日本においてもグローバル化した社会環境の中でスポーツは一気に国際化が進んだ。イベントにしてもアスリートにしても国内にとどまっている競技は数えるほどだ。昨年のラグビーワールドカップが証明したように、スポーツには世界をつなぐ力がある。新型コロナウイルスが終息したあと、外国人とのコミュニケーションでスポーツの話題で誤解を生んだり、恥をかいたりしないように、「オリンピック」をおさらいしよう。
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近代オリンピック第1回アテネ大会から124年。2020年に開催が決まっていたオリンピック大会が延期になった。紀元前8世紀から4世紀にかけて400年もの間、古代オリンピックはオリンピヤードという4年を単位として開かれていた。例外としては、ローマ帝国がギリシャを制圧した時代。暴君ネロが自らに利するように第211大会を、本来のAD65年から67年に変更させたという史実が残っている。
オリンピックにはスポーツを超えた何かがあるだけに、人々の思い込みも大きい。
五輪
「五輪」の二文字を見ない日はない。五輪とはいったい何だろう?
東京オリンピックの開催が延期された。しかし、世界的なコロナ感染が収まらなければ1年後ですらおぼつかないという危惧を感じる。今まで近代オリンピックは1916年、1940年、1944年の大会が世界大戦の影響で中止になっているが、延期は歴史上初めてだ。開催年が2021年になっても、名称としては変更なく「2020」をそのまま使うという。大会としてのオリンピックはパラリンピックと一体として運営されることから、短く「東京2020」という表記をよく目にする。「ニーゼロ・ニーゼロ」と発音するのがルールだ。
一方、オリンピック単体を指す際には、カタカナではなく「五輪」と書かれるのが普通だ。これは何と読むのが正解なのだろう。東京五輪は「トウキョウゴリン」、それとも「トウキョウオリンピック」か? 『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)のオリンピックの項目には「『五輪』はゴリンと読まれ、戦前に日本で新聞記者がスペースを節約するために造り出したもの」とある。ともあれ、頭の中で五輪をオリンピックと読み替える人はかなり多いだろう。
五輪は、実は第2次大戦で日本が開催を返上した「幻の東京オリンピック」に関連して生み出された新造語だ。1936年のIOC総会において東京の招致が成功したというビッグニュースを伝えた読売新聞運動部の川本信正氏が生みの親だ。一定のスペースに活字を組み込まなくてはならない新聞は、文字数の多い単語を嫌う。例えばコンピューターを「コンピュータ」と表示するのはそのためだ。6文字のオリムピックを短くしようと考えた川本記者は当時28歳。オリンピックシンボル(ファイブリングス)と宮本武蔵の『五輪書』からヒントを得て「五輪」の2文字にたどり着いたという。
表記としての五輪は、外来語を日本文化の枠組みの中で漢字に置き換え、定着した稀有な例だが、文脈によってはオリンピック大会とオリンピックシンボル(五つの輪)のどちらを指すのか微妙かもしれない。
オリンピックシンボルは、青・黄・黒・緑・赤と5色の輪を連結した形で、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の連帯を意味するとされる。クーベルタン男爵が古代ギリシャ時代の都市国家のひとつで、「神託」で知られるデルフォイの祭壇に刻まれていた紋章から着想を得、5色にデザインした。1914年のIOC創設20周年記念式典で正式に制定され、「五輪旗」となって1920年アントワープ大会からスタジアムに掲揚されるようになったのだ。
聖火
日本人は「聖火」という表現に対して何の疑問も違和感も抱いていない。
五つの輪と並んでオリンピックを象徴するのは間違いなく「聖火」だ。近代オリンピックに聖火が登場したのは1928年のアムステルダム大会が最初で、スタジアムのマラソンゲートの外側に設置された塔に灯された。聖火は古代オリンピックが催されたギリシャ、オリンピアの遺跡、ヘラ神殿前で採火される儀式が定着している。その炎を人々の手をへて開催地まで運ぶ聖火リレーは、1936年のベルリン大会の演出として始まり、その後も途絶えることなく現代まで行われてきた。
聖火は英語では何というか。Sacred Flame(聖なる炎)だろうか? いや、正しくはOlympic Flame(オリンピックの炎)と表現していて「聖なる」という意味合いはそこには含まれない。ドイツ語ではOlympisches Feuer、フランス語でもFlambeau Olympique で同様だ。世界中を見渡しても、聖なる炎と呼ぶのは日本だけのようだ。
アムステルダムの次の1932年ロサンゼルス大会に関する新聞記事では聖火と言わずに「オリンピックのかがり火」と伝えている。聖火、あるいは聖火リレーという表現はベルリン大会に関する報道で出現するようになった。古代オリンピアとベルリンを(聖なるオリンピックの炎)のトーチリレーで結びつけ、歴史観に彩られた正当性をアピールしたナチスドイツの戦略にまんまとはまったのだろう。
旧国立競技場にはバックスタンドの最上部に聖火台が設置されていた。代表サッカー試合の際などには点火され、イベントの演出に一役買っていた。このときの聖火、国内規定では聖火と言ってはならない。炬火、そして炬火台と称することになっている。炬火という言葉はなじみがないが、松明やかがり火のことだ。オリンピックをことさら神聖視する日本のスポーツ文化の一つの現れといえるのではないか。
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終わりにメディアに関する残念な誤解を2件紹介しておこう。一つは活字メディア、もう一つは映像メディアに大いに関係あることだ。
新聞や雑誌のスポーツ報道は写真なくしては成り立たない。写真を撮影するのは? プロカメラマンだが、ここに問題がある。カメラマン(Camera man)は英語としては別におかしくはない。しかしながらカメラマンあるいはカメラクルー(Camera crew)はテレビや映画の撮影スタッフを指す、いわゆる業界用語だ。一方、写真の英語表現はphotograph(フォトグラフ)、転じてphotographer(フォトグラファー)がカメラマンに相当する英語になるので、使い方に注意しないと外国人に誤解される。
テレビにかかわることに話題を変えよう。スポーツ中継がスタジアムやアリーナでの観戦とは一線を画した面白さがあるのは、見えにくい角度や見逃したシーンを見られること。そして解説が加わってより理解が深まるからだ。こういった実況中継の演出に欠かせないのがビデオテクノロジーだ。ビデオ(録画)はアメリカのアンペックス社が開発し、ソニーなど日本のメーカーが参入して技術革新が進んだ。最初は2インチのテープ、1インチになり、2分の1インチになった。テレビ番組はビデオなしでは成り立たない。
「今のシーンをVTRで見てみましょう」「取材をVTRにまとめてあります」スポーツのみならず「VTR」はナレーションの中で頻発される。この3文字のアルファベット、日本語ではどう訳すのか。録画映像だろうか。VTRはビデオテープレコーダー(Video Tape Recorder)の略称。1970年代に家庭用のビデオ機器が普及した際に生まれた用語だ。つまりはハードウエアのことなのだが、いつごろからか録画映像ソフトを言い表す用語に変わってしまった。本当は「ビデオ」だけで録画映像を指すのだが、もっともらしさに欠けるとテレビ局関係者が思ったのではないだろうか。
結局、残念な間違えが日本中で広く使われるようになってしまったのだ。
海外で使うと恥ずかしい、ちょっと残念なスポーツ用語
わずか2~3か月で感染が地球規模に広がってしまった新型コロナウィルス。その社会、経済に対する影響は計り知れず、いまだに先が見通せない。スポーツ界も例外ではなく、各国でスポーツイベントが軒並み中止になり、オリンピックも1年延期になった。アスリート、スポーツファンの落胆は当然として、経済的損失も甚大である。