2020年3月18日に発表された官報決算データベースによると、ブリヂストンスポーツの2019年売上高(12月末決算)は201億9500万円(前年比0.02%+)。営業利益は、1億4000万円の赤字だったが、前年よりは約17億円赤字を縮小させている。その中で、ラケット、ボール、シューズなどのテニスギアをはじめ、パラディーゾのテニスウェア、ストリングやラケットなどのテクニファイバーブランド、それぞれの売上高や営業利益を、ブリヂストンスポーツの広報部へ問い合わせたものの、「詳細についてはお答えできません」という回答だった。

ブリヂストンスポーツは、1974年にテニス事業へ参入し(スポルディングブランドの販売)、1984年にブリヂストンブランドのテニス用品展開を開始した。1970年代後半から1980年代前半といえば、男子ではスウェーデンの貴公子といわれたビヨン・ボルグやアメリカの若き天才で悪童といわれたジョン・マッケンローが世界中でカリスマ的な人気を博し、さらに女子ではアメリカ若手美女選手でアイスドールといわれたクリス・エバートが人気で、日本にも第2次テニスブームが起こっていた時代だ。

■日本のレジェンドたちから惜しむ声

長年、日本のテニス市場を支えてきたブリヂストンだけに、現役時代のほとんどをブリヂストンと共に過ごした元プロテニスプレーヤーである福井烈氏は、今回の撤退を人一倍残念がる。福井氏は、全日本テニス選手権の男子シングルスで史上最多となる7回の優勝を誇るが、1985年と1988年は、ブリヂストン所属選手として優勝トロフィーを手にした。現在は、日本テニス協会専務理事であり、さらに日本オリンピック委員会専務理事で東京2020オリンピック日本選手団団長も務める福井氏だが、ブリヂストン主催のテニスクリニックには必ずといっていいほど参加し、テニス愛好者との交流を深めつつ、ブリヂストンのテニスギアの魅力を伝えている。

「日本を代表する企業でもあるブリヂストンが、テニスに参入するということだけで、テニスに携わるものとしてはワクワク感がありました。立ち上げから36年間、情熱を持った仲間たちと共に歩んで来たことは私にとっても誇りでもあり、歴史でもあります。私の肩書は、今でもプロテニスプレーヤーです。さまざまな団体の役職に就こうとも、今でもいちプレーヤーとして、テニスに向き合っているつもりでいます。参入当初、ブリヂストンは最新の技術を駆使し、当時はまだ珍しかったアプローチでのテニスギアの作製や、大会の開催など、アドバイザリーとして係る私自身も大きな刺激を受けました。テニスはグローバルなスポーツであり、変化が激しく一時代を築いたとの自負もあるブリヂストンでさえ、今の流れとは方向が違ってきてしまったのかと、今回の撤退は残念に思います」

また、神尾米さんは、1995年にオーストラリアンオープン、ウィンブルドン、USオープンそれぞれで3回戦に進出し、WTAランキング自己最高24位を記録した元プロテニスプレーヤーだが、まさにブリヂストンと共に世界の舞台で戦った。また、1994年全日本テニス選手権の女子シングルスで優勝した神尾さんだが、現在は、日本テニス協会常務理事でありながら後進育成に取り組んでおり、ブリヂストンへのあふれるほどの愛着があるだけに今回の撤退への落胆は大きい。

「私は残念というより寂しい気持ちが強いです。30年以上お世話になり、私の人生を今も支え続けてくれています。私にとっては家族のような存在です。その家族がバラバラになってしまうのは本当に寂しい。今から自分にできることはないか?考えてもなす術なく……。自分の無力さにがっくりしていますが、とにかくブリヂストンスポーツのテニス事業部の方々には、ありがとうございましたと心から伝えたいです」

神尾さんからは、走馬灯のようにブリヂストンと共に過ごした思い出が次々に甦る。

「納得いくまでラケットを何度も作ってくださったこと。試打した時、私の感想はいつも『何か振りにくい』、『何か違う』という曖昧な言葉ばかりでした。なのに、それをくみ取り、感じ取ってくださりながらラケットを作り続けてくれたのはさぞかし大変だったかと思います。皆さんに会えるブリヂストンのイベントが、年に1、2回ありましたが、いつも楽しみでしたし、大好きでした。テニスラケットのCMに使ってくれたのも思い出深いです。『勝負できます!』と何回言ったことか……。みんなで大笑いしながらCMを作りました。
ブリヂストンの皆さんはとにかくいつも温かく、たとえ私が負け続けても応援してくれました。テニスだけでなく、私の人生を応援してくれました。いつでも私を気にかけてくれ、アドバイスもたくさんしてくれ、今でも見守られています。だからこそ、こんな温かい家族と離れるのは心が痛いし、寂しい」

■撤退の要因は何か

ブリヂストンスポーツ広報は、テニス事業撤退の理由を次のように語る。
「ブランド価値向上における事業ポートフォリオやリソース配分の最適化を戦略的に進める中で、本事業から撤退することを決定いたしました」

ただ、いつ頃から撤退を考え始めたのか。具体的に事業ポートフォリオ、リソースの配分がどういうことなのか、それを最適化して、戦略的に進めることは具体的にどういうことなのか、明確な回答を得ることはできなかった。

かつて20世紀では、ブリヂストンのラケットは、福井氏や神尾さんによって使用され大きな存在感を示していた。現在、ブリヂストンのラケットを使用する代表的なプロテニスプレーヤーとして青山修子(WTAダブルスランキング22位)が挙げられる。青山は、WTAツアーで活躍するダブルススペシャリストで、2013年ウィンブルドン女子ダブルスでベスト4に進出し、ツアー優勝は12回を誇る。身長154cmと小柄ながらも、ツアー屈指の俊敏さを活かしたダブルス前衛でのポーチ力は、多くの選手から一目置かれている。フェドカップ日本代表メンバーでは、ダブルスのキーマンとして大活躍している。

ただ、残念ながら海外のトップ選手がブリヂストンのラケットをはじめテニスギアを使用することはほとんどなく、海外市場におけるギアの使用率の低さや人気の低さが、撤退要因の一つになったと推測される。やはりウィルソンなら錦織圭、ヨネックスなら大坂なおみという、海外市場で広告塔になり得るようなわかりやすいアイコンの存在がなかったのも大きかっただろう。この点に関しても、広報は「詳細についてはお答えできません」の一点張りだ。

一方、ブリヂストンスポーツの親会社である株式会社ブリヂストンは、2016年3月から東京2020パラリンピックのゴールドパートナーを務めている(契約は2020年12月31日まで)。また、2014年より国際オリンピック委員会のワールドワイドオリンピックパートナーとして、2016年リオデジャネイロオリンピックや2018年ピョンチャン冬季オリンピックを含めてオリンピック活動のサポートも行ってきている。今回の撤退に関しては親会社からの指示はなかったようだ。

「親会社の意向は特にございません。当社は、スポーツ事業を通じて、(タイヤなど)ブリヂストンブランドの価値向上に取り組んでおります」
こう語る広報は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)による東京2020オリンピック&パラリンピックの1年延期は、今回のテニス撤退と関係ないことを付け加えている。

■別れの時まであと少し。今後の展開は

ブリヂストンとパラディーゾの扱いは2020年いっぱいとなるが、テクニファイバーの扱いは、2021年1月1日より株式会社ラコステ ジャパン(代表者・李孝氏)が引き継ぐことになった。

今後ブリヂストンスポーツは、ゴルフ事業に注力していく。ゴルフでは、タイガー・ウッズがブリヂストンのゴルフボール使用を2017年1月より契約しており、その他にも海外や日本のトッププロゴルファーがゴルフボール使用契約をしている。もちろんボールだけでなくゴルフクラブやシューズなどさまざまなアクセサリーでも、日本だけでなく海外でのさらなる展開を目指していく。

「今後は、ゴルフ事業に経営資源を集中させて、当社事業の成長を図ってまいります。国内と米国市場のシェア拡大を第一義として、世界市場でブランドの存在感をさらに高めることを目標としています」

このように広報が語る中、ブリヂストンスポーツのテニス事業では、契約プロと共に過ごす時間はあとわずかとなり、別れの時間は刻一刻と近づいている。

「あと数カ月、愛と感謝の気持ちを込めて、ブリヂストンスポーツと共にテニスコートに立ちます」(神尾さん)
「これからも、いちテニスプレーヤーとして、1人でも多くの人にテニスの魅力を伝えるべく、ブリヂストンで培ったノウハウで邁進していきたいと思います」(福井氏)

ブリヂストンテニスブランドは、日本テニスの歴史において重鎮のような存在であったが、その撤退はひとつの時代の終焉を告げるものになりそうだ。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。