異例の選手契約

ベイスターズで約24億円あった赤字を解消して黒字化に成功し、さまざまな施策で閑古鳥が鳴いていた横浜スタジアムを満員にするなど、プロ野球の世界に「スポーツビジネス」の概念を持ち込んだ池田氏。オーナーに就いてから約3カ月だが、クラブスタッフを総入れ替えし、早速経営の健全化に強い意志を持って取り組み始めている。

その中で打ち出したのが、選手に「二足のわらじ」を履かせるという新機軸だ。今回の4選手はプレーヤーとしてだけでなく、全員がクラブ内で選手以外の職種も兼務する異例の形での契約となった。元々は、一つのことに専念するのを良しとする日本古来の考え方もあり、「どっちつかず」などネガティブな意味合いで使われてきた「二足のわらじ」という言葉だが、今回の取り組みはもちろんポジティブな発想によるもの。池田オーナーは、狙いをこう説明する。

「初めてのシーズンですし、野球同様にバスケットボールビジネスも一巡しないと体得できないと想定していました。しかし、それ以前に新型コロナウイルスの影響でクラブ経営も先行きが分からない。本当は前年の選手全員と契約したいと考えていましたが、より一層経営の戦略を理解してもらうことの重要性が高まり、“二足のわらじ”を理解してくれ、将来のブロンコスを背負ってくれる可能性のある選手とのみ契約を更新する運びに、自然となりました」

その具体的な形がクラブ内での兼業。例えばモーガンは選手兼アシスタントデザイナーとして契約。アパレルブランドを手掛けてきた経験を生かし、Tシャツなどチームグッズのデザインに関わる予定だ。身長175センチとバスケ選手としては小柄ながらダンクシュートを得意とすることから、試合前のイベントなどでダンクを披露する「ダンク担当」としての役割も契約に盛り込まれる徹底ぶり。また、4万人のフォロワーを持つインスタグラムを運用しており、情報発信者としてチーム公式SNSのディレクションにも携わる構想がある。

コーチライセンスを持つ田中はアカデミーチームのコーチ、吉川と山口はアカデミーチームのコーチ補佐としても契約。子供たちへの指導など地域密着、地域活性化に欠かせない交流事業を担う予定だ。さらに、選手はスポンサー獲得に向けた”営業マン”としても活動。スポンサーを獲得してきた選手に、その30%を成功報酬として還元する条項も契約には盛り込まれている。

”コロナの時代”のスポーツビジネス

今回、埼玉ブロンコスが打ち出したクラブ内での「二足のわらじ戦略」は、新型コロナウイルス感染拡大の影響が広がるプロスポーツの厳しい現状を踏まえても、非常に理にかなった、スタンダードになり得るものといえる。五輪でメダルを獲得した選手といえども、競技だけで生計を成り立たせられているアスリートはごく一部であるのがスポーツの世界の現実だ。実業団に所属し、競技とは無関係な会社の事務作業を強いられる選手も多い。2008年北京五輪に出場した女子日本代表「なでしこジャパン」のFW荒川恵理子(日テレベレーザなど)が、スーパーマーケットの西友でレジ打ちのアルバイトをしていたことが美談のように取り上げられたのも、一つの象徴的な例といえる。プロ野球やサッカーJ1クラスの“国民的スポーツ”ならいざ知らず、その流れは“コロナの時代”を迎え、さらに加速することが予想される。

アスリートのセルフプロデュース、セカンドキャリアにもつながる取り組みでもある。サッカー・ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(セリエA・ユベントス)は「サッカー選手としての人生は短い。年齢を考えると間もなく収入も減る」とし、ホテル経営に進出。ポルトガルの大手ホテルチェーンと組み「ペスタナCR7」というホテルをポルトガル・マデイラ諸島、スペイン・マドリード、米ニューヨークなどにオープンさせている。元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ(J1神戸)はワイナリー経営やシューズブランドを運営していることで知られる。変わったところでは、米プロバスケットボールNBAシカゴ・ブルズなどで活躍したデニス・ロッドマンは俳優やプロレスラーとしても活動し、話題となった。目先を変えれば、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平も「投打二刀流」で高い才能を示すことで自らの価値を向上させている。

Bリーグ関係者によると、コロナ禍の中ではB1・B2で契約できない選手は150人ほど出てくるといわれている。観客を入れての試合開催も、いつできるようになるか不透明な状況だ。もちろんC・ロナウドやロッドマンの例は世界的なスターによるスケールの大きな話であり、同列に語ることはできない。ただ、そんな厳しい経営環境にある日本のプロバスケットボールの世界で「二足のわらじ」を履き、自らの価値を最大化することには大きな意味があり、新たな活路を開くことにつながるという事実に変わりはない。いつ再びパンデミックが起こるかもしれない“コロナの時代”で、それはなおさら。「二足のわらじ」は、緊急事態下での頼もしい「保険」にもなる。

そんな異色の契約をオンライン会議システム「Zoom」を活用して締結した埼玉ブロンコスの“コロナの時代”の経営戦略は、サンケイスポーツ、スポーツニッポンなど6月2日付のスポーツ各紙に大きく取り上げられた。B3のチームのニュースが全国紙の紙面で扱われること自体が異例。そんなところからも、いかに今回の取り組みが前例のないものであるかが分かる。

池田氏は「B3は開幕の時期も見通せない状況。まずは今回の4人でスタートして地域をまわり、動画をつくるなど、スマートな経営をしていきたいと思っています」と説明する。さらに「コロナというものがきっかけにはなりましたが、せっかくの機会として捉えて、外国人選手頼みになりがちなB3で、日本選手によるチームをつくりたいとも思っています。それで、どれくらい戦えるのか。スピードのある選手をそろえることで、試合展開の早い魅力のあるチームにしたいと構想しています」と早速チームの青写真も披露した。

クラブスタッフを総入れ替えし、新生・埼玉ブロンコスは今後、6年スパンでの成長戦略を立て、経営の健全化と、さいたま市、所沢市、深谷市、春日部市を中心とした埼玉県全域の活性化に貢献できるクラブチームづくりを進めていくという。そんな経営戦略を理解し、クラブ経営に資する人材として選ばれたのが、オンラインで面談を重ねてきた今回の4選手というわけだ。池田オーナーは「まだ4人のチームですが、新生ブロンコスのスタートとしては意義のある”粋なファミリー”だと私個人は思っています。今年はクラブも、選手も、私も『稼げない年』です。ただし、将来に稼ぐための『サバイブの年』でもあります。いつでも”粋なファミリー”の一員を募集しています」と話す。

スポーツビジネスの最前線で実績を残してきた経営者が新たな挑戦の舞台に選んだのが、バスケットボール、しかもB3という環境。そして、そこで挑むのが“コロナの時代”におけるスポーツビジネスのスタンダードの確立だ。スタートから早くもメディアをざわつかせた埼玉ブロンコスの姿に、そのパイオニアとしての未来が予感される。




【埼玉ブロンコス】
1982年に結成されたマツダオート東京バスケットボール部を前身に、96年に所沢ブロンコスとして設立。97年から社会人の日本リーグに参戦し、2002、03年度に2連覇を達成。05年のプロバスケットボール、bjリーグ初年度から参加し、同年に現名称となった。16年秋に発足した新リーグ、Bリーグの3部(B3)に在籍。今季は19勝20敗、勝率.487で7位(12チーム中、15日現在)。00年にホームタウンを埼玉県全域へ広げ、メインアリーナは所沢市民体育館。チーム名の「ブロンコス」は「暴れ馬」の意味。


VictorySportsNews編集部