結果的な先行投資

 数々の伝説の中で、代表的なのがボクシングの世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦。1976年6月、世界的スーパースターとリングで向き合った。アリ側から突きつけられたルールで、立った状態でのキックや肘を使った攻撃など多方面のプロレス技が禁止となった。猪木はパンチを浴びないようにマットに寝そべりながら、相手の脚にキックを繰り返す。アリはその周囲を動き回り、攻撃のチャンスをうかがう展開に終始。前代未聞の真剣勝負は、まともに対峙する場面はほぼなく、15ラウンドが終了した。期待が大きかった反動もあり〝世紀の凡戦〟とやゆされた。

 18億円と言われたアリのファイトマネーをはじめ、実現には巨額の費用がかかった。当時の新聞報道をひもとくと「30億円興行失敗か」など過激な見出しが躍る。消費者物価指数を基に現在の貨幣価値に換算すると約50億円にも上る。新日本プロレスのホームページによると、会社は1972年に資本金9250万円で設立。猪木はそのとき社長を務めていたが一時的に人気も落ち、ばく大な借金が残った。「アントニオ猪木自伝」(新潮文庫)によると、負債の返済のために世界中の格闘家たちと闘うことになり、異種格闘技路線がスタート。その試合に合わせてテレビ朝日が特番を組み「その放映料(たしか一番組六千万円ぐらいだったと思う)で借金を返済して行く方針が決まった」とつづっている。

 ただ、この一戦を実現したこと自体、効果はのちのち表れることになった。アリは当時から世界的に抜群の知名度を誇った。猪木は、果敢にもアリと闘った男として海外で認知されるようになった。1989年の参院選で初当選を果たして国会議員になると、既成政党の枠にとらわれずに外交に着手。北朝鮮をたびたび訪れて同国初のプロレス公演を開催したり、キューバなどとも太いパイプを築いたりした。アリと試合をしたことは、後から見れば〝先行投資〟の形となり、政治家としての活動を支えた。

迷わず行けよ

 特筆すべき功績は1990年、イラクのクウェート侵攻による湾岸危機に際し、人質解放に尽力したことだった。腰の重い日本政府とは一線を画し、独自のルートを生かしてイラクに入国。バグダッドで「平和の祭典」を開催し、イラク要人との折衝を経て日本人の人質解放にこぎ着けた。大きな手柄を引っ提げて帰国後、国会では「外交で大事なのは心と心の触れ合いだ。外と交わらずしてどうして外交ができるのか」と言い切った。

 中東においても知名度を発揮した形。実は、アリ戦の約半年後にパキスタンのカラチで百戦錬磨の地元の英雄、アクラム・ペールワンを倒したことがアラブ世界で猪木の存在を知らしめたとの見方がある。本人も自伝の中で「イスラム社会では強い者が尊敬される。格闘家の地位が高いのだ。パキスタンでアクラムに勝ち、パキスタンの国際レスリング委員会からペールワン(最強の男)という称号を授かっていたから、私の名前はイスラム社会では有名だった」と説明している。自らの体一つで激闘を繰り広げたことが、お金には換えられない人助けにつながった。

 金銭面の逆境はアリ戦だけではない。バイオテクノロジー事業で巨額の借金。新日本プロレスの経理担当による横領という裏切りにも遭ったこともある。それでも災いを発奮材料にするかのように立ち上がり、次々と新しい試みに打って出た。プロレスというエンターテインメントの世界でも、あくまで強さを追求。かつて新日本プロレスはテレビ朝日系列で金曜夜8時というゴールデンタイムで放映され、20%以上の高視聴率をコンスタントにマークしていた。ジャイアント馬場の全日本プロレスとともに列島をブームで包み込んだ。

 1998年、東京ドームで選手を引退した。その時のラストメッセージは今も語り継がれ、猪木の神髄を表している。「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ」

受け入れられたビンタ

 ”闘魂ビンタ”も一世を風靡した。猪木の張り手で気合を入れてもらうべく、テレビ番組で芸能人が浴びるのはおろか、イベントでは一般の人たちも公衆の面前でビンタされることを希望した。ハラスメントにうるさくなった昨今の流れと逆行するようなパフォーマンス。世間に受け入れられたのは、常に闘い続けてきた猪木のキャラクターならではだった。

 昨年2月、デビュー60周年を祝うセレモニーが催された。長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋らリングで一時代を築いたそうそうたる面々がリング上で猪木の張り手を受け、観衆を喜ばせた。例えば長州は最近、テレビドラマに出演するなど活躍の場を広げている。蝶野は毎年大みそかに日本テレビ系列で放映される「笑ってはいけないシリーズ」で、落語家でお笑い芸人の月亭方正に張り手を見舞うなどお茶の間でも親しまれている。各選手がそれぞれの道で羽ばたいていったが、みんな新日本プロレスから巣立った共通点がある。猪木の前では今でも弟子という雰囲気で、プロレスを発展させてきた男の存在感の大きさを、改めて感じさせる一幕だった。

 現在78歳の猪木。一昨年には「心アミロイドーシス」という心臓の難病で入院したことも明かしていた。3月21日にはYouTubeで病室の様子を公開し、食事風景やトークを繰り広げた。ベッドに横になった状態でも、「元気ですか!」に始まり、「1、2、3、ダァー!」で締めくくる話術は健在だった。ちょうどマットの上でも延髄斬りやバックドロップで相手をフォールするのと同じようなお約束の光景でも、それを待ちわびているのがファン心理というもの。ジャンルは異なるが、昨年亡くなったタレントの志村けんさんも自著で「『待ってました』とか『おなじみ』という笑いをバカにしちゃいけない。(中略)マンネリはやっぱりひとつの宝だ」と指摘していた。これまで長い間、猪木から元気をもらってきた立場からすれば、コロナ禍で元気がない世界に活力を!と言いたいが、今は声援を送って早期の復活を願うのがささやかな恩返しなのかもしれない。

高村収

著者プロフィール 高村収

1973年生まれ。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事