錦織と大坂は、プロとして人として、コロナ禍でのオリパラ開催可否について、当たり前の意見を発言しているだけ

 世界での新型コロナウイルスの累計感染者は1億6080万6067人、累計死亡者は333万9583人(ジョンズ・ホプキンス大学、5月12日現在)となり、感染拡大が深刻なインドやブラジルをはじめ現在も新型コロナのパンデミックは続いている。
 プロテニス選手は、世界中を移動することが仕事の一部であるため、コロナ禍では何とも因果なことになってしまっていて、自粛警察の偏見や白い目にさらされるリスクがある。だが、プロテニスツアーは、バブル(コロナ感染対策を施した隔離空間)を作ったり、入国後に検疫期間を設けたりして大会開催への試行錯誤を続けている。多くの大会は、感染対策をしながら無観客あるいは観客動員を制限して開催されている。

 そんな中、5月10日の週にイタリア・ローマで開催された大会に出場した大坂なおみと錦織圭が、オリパラ開催可否について持論を語った。
 5月6日に、世界のスポーツ界で権威のあるローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀女子選手賞を日本人として初めて受賞した大坂なおみは、いつものように他人を思いやる優しさを含みながら冷静かつ理路整然に話した。
「もちろんオリンピックは開催してほしいと思っています。私はアスリートですし、これまで自分の人生の中でずっと待ち望んでいた大会ですから。でも、とても重要な出来事があまりにも多く起きています。とりわけここ1年は。予想できないことが起きたと思います。もしオリンピック開催が、人々を危険にさらすのであれば、そして、人々をすごく不快にさせるのであれば、われわれは今すぐに議論をすべきなのは明白なことだと思います。
 つまるところ私はアスリートにすぎません。そして、パンデミックは今も起きています。
すべての人が安心だと感じられる、安全な大会であってほしいと願っています。多くの人が日本に入国することになります。間違いなく正しい選択をしなければならない問題です。私はワクチンを接種しました。いろいろ考えると、他の誰かにワクチンを無理強いはできません。オリンピックであろうが何であろうが、開催するのであれば、開催国が幸せだと思える方法で行われなければなりません」

大坂は、2月に開催されたオーストラリアンオープンの際にも、東京オリンピックは自分にとって特別だと語りつつ、自分には2週間の検疫を受け入れる心の準備があると表明し、多くの外国人を受け入れる日本国民の安全が何よりも大事だと慮っていた。

 大坂がローマ大会でのプレ会見を済ませた翌日に、1回戦に勝利した錦織も会見に臨んだ。プロテニスツアーでは、試合後必ず会見を行い、まず英語で、次に母国語で質疑応答を行う。まずオリンピックについて英語で質問がされ、錦織は毅然として答えた。
「(大坂と)同じ感じだと思う。IOC(国際オリンピック委員会)や日本サイドで何が起こっているかわからない。何を考えているかわからないし、バブルをどう作るのかもわからない。この大会(ローマでのツアー大会)のような100人規模ではなく、1万人が選手村に集って大会を行うのは簡単じゃないと思う。日本で今起こっていることを思うと状況は芳しくないし、もちろん全世界でもそうです。
あと2~3カ月あるので(オリンピックのテニス競技は7/24~8/1、パラリンピックの車いすテニス競技は8/27~9/4)、今語るのは容易なことではない。先延ばしにしても、直前には決断すべきだ。でも今は(開催が)とても難しいと思う。
アスリートとしてだけなら、オリンピックができたらいいけど。バブルがいい状態を保てるなら開催できるかもしれない。でもリスクはつきまとう。選手村で100人、あるいは1000人の感染者が出てしまうかもしれない。容易にコロナ感染拡大は起こる。なおみとは同じ意見です。開催されるのであれば、どうしたら本当に安全にプレーできるのか、議論を重ねるべきです」

 ここまで錦織は英語でしっかり回答し、さらに日本語でも言葉を慎重に選びながら続けた。
「(開催されれば)出ないという選択肢はなかなか難しいですけど……。安全に開かれるなら、もちろんそれは開かれるべきだし。でも、(コロナのパンデミックが続く)この状態で僕は何とも言えませんね。どれぐらい敷き詰めて政策が行われているのかが、全くわからない。こういう風にちゃんとやると言うのを(IOCなどが)表明してくれれば、僕も意見を言えますけど、なかなか内部でどういう相談が行われているのか全くわからない。
 でも、究極を言えば、1人でも感染者が出るなら、あんまり気は進まないですけどね。テニスだけでなく全体で。本当のことを言えば、今も大会中に数人(感染者が)出たりするので、しょうがないという言い方もできますけど……。でも、このコロナのひろがり方、簡単にひろがっちゃうところプラス、死者がこれだけ出ていることを考えれば……。例えばですけど、(オリパラは)死人が出てまでも行われることではないと思うので。究極的には、ひとりもコロナの患者が出ない時にやるべきかなとは思いますけどね。なかなか、政治のこともあるだろうし、内部のことはわからないので」

 錦織と大坂が、プロとして、そして人として自分の意見を述べたことを評価したいし、誇りに思いたい。本来ならプロアマ問わず、賛成反対どちらにしろ、選手として意見することはごく当たり前のはずなのだが、意見した錦織と大坂が日本で異端扱いされるのは正気の沙汰ではない。中でも、錦織の発言の一部を切り取り、意味を取り違えて批判するSNSやワイドショーの門外漢の発言には辟易とさせられる。
 今のところ錦織と大坂以外に、しっかりと意思表明しているのはプロゴルフの松山英樹、陸上の新谷仁美、バレーボールの古賀紗理那ぐらいだろうか。オリパラのさまざまな利権やしがらみが絡んで、選手たちは正論すらまともに口にできない異常事態になっている。
 日本はもちろん世界各国を巻き込んで商業主義に突き進み過ぎたオリパラの間違った在り方が、人ではなく皮肉にもコロナによってあぶり出され、もはやそれは看過できるレベルではなく、いいかげん見直す機会が訪れていることにわれわれは気づかなければならない。

ワクチン接種が遅れている日本でのオリパラ選手へのワクチン優先接種。人道的になぜおかしいと言えないのか

 5月上旬時点で、人口1億2557万人(総務省統計局、1月1日現在)の日本での新型コロナウイルスのワクチン接種率は約2%に留まっている。一方、アメリカは約46%、イギリスは約53%、イスラエルは約63%で、このような大きな差が生じたのは、ひとえに日本政府の先読みの甘さであり失策であると言わざるを得ない。
 また、医療従事者などへの新型コロナのワクチン総接種回数は466万9140回、内1回目327万4566回、内2回目139万4574回(5月12日現在、首相官邸ホームページ)で、約480万人といわれる医療従事者へのワクチン接種は未だに完了していない。

 そんな中、5月6日に、アメリカの製薬会社であるファイザー株式会社からオリパラ選手への新型コロナのワクチン優先接種が提案された。日本選手団へは、オリパラ選手に約1000名、コーチら関係者約1500名へのワクチン優先接種が想定されるという。しかも国民の分とは別枠というのが理解できない。
ワクチン優先接種は世界各国および各地域の判断に委ねられるのだろうが、一般的に各国のワクチン接種状況は足並みが揃っておらず、国によって接種スピードの格差もある中、各国の民衆は納得できるのだろうか。世界で新たな分断が生まれるかもしれない。
 もちろん日本も同様であり、日本選手団に関して、東京オリパラ組織委員会の橋本聖子会長から語られた、「アスリートファーストの観点からも進めていってもらいたい」という発言には全く納得がいかないし、あきれるばかりだ。橋本会長は、ここで安易にアスリートファーストという言葉を使うべきではなかったし、しかも元選手でオリンピアンでもある橋本会長から、歪められたアスリートファースト発言がされたことが残念でならない。

 アスリートファーストは、通常時なら何ら問題はない。だが、新型コロナウイルスのパンデミックが続く非常時におけるワクチン優先接種は、到底アスリートファーストの一言で片づけられる問題ではない。
 新型コロナウイルス感染症のワクチンが優先接種されるべきは、まずは医療従事者。次に高齢者、その次に基礎疾患のある人たち、そして、エッセンシャルワーカーであるべきだ。東京オリンピックやパラリンピックの選手たちに優先接種をあてがうべきではない。コロナの非常時に、ただでさえワクチン接種スピードは遅れている日本で、なぜオリパラ選手に優先順位があるのか理解できない。大会側は、日本国民にしっかり納得のいく説明を果たすべきだ。今、優先されるべきは、日本国民全員の命であるべきで、オリパラ選手や関係者ではない。
 選手たちは、ワクチン優先接種が、平和の祭典であるオリンピックに参加するオリンピアンとしての精神に反するどころか、人道に反する行為であることを認識すべきだ。

 また、ワクチンの副反応が怖いはずだが、もし6月上旬から開始予定のワクチン優先接種に甘んじるならば、その選手名は公表されるべきであり、オリンピック後にも続くキャリアの中で、日本国民(特に接種を終えていない医療従事者)をさしおいて優先接種したという十字架を背負って競技活動を続けていくべきではないだろうか。
 ただ、選手だけにその責任や業を背負わせるのは違う。身勝手な優先接種を実施してまでオリパラを開催へ仕向けている国際オリンピック委員会(IOC)と日本オリンピック委員会(JOC)と東京オリパラ組織委員会、そして、日本政府の責任も非常に重い。

 コロナ変異株が猛威をふるい始めているため、ワクチン接種すれば絶対安全だと短絡的には考えられない。そのうえでオリパラ開催国として、日本国民全員へのワクチン接種が終わっていないのにもかかわらず、オリパラ開催のために海外から約10万5000人(約1万5000人の選手含む)の入国者を、検疫期間無しで日本へ受け入れることにリスクが伴うのは、1年以上コロナと共に過ごしてきた者なら誰にでも予想でき、理解できることだ。

オリンピックオフィシャルメディアパートナーは、コロナの非常時において、中立であるべきメディアの役目を果たせず

 賢明な読者なら、自分たちが読んでいる新聞には、オリパラ選手のワクチン優先接種について、中立の立場から批評された記事が無いことに薄々気づいているだろう。
 もちろん新聞でも優先接種のニュースは伝えているが、メディアとして優先接種の是が非を批評し、日本国民に問うことはできておらず、現状では、スポーツ新聞の記事ばかりが目立つ印象だ。

 今回のオリパラでは、東京2020オリンピックオフィシャルメディアパートナーというものがあり、朝日新聞、読売東京本社、毎日新聞、日本経済新聞が名を連ねている。さらに、
東京2020オリンピックオフィシャルサポーターもあり、産経新聞と北海道新聞が入っている。
 新型コロナのパンデミックが起こらなければ、オリパラを盛り上げるための記事を書きさえすれば良かったのだが、事態は一変してしまった。今回のオリパラ選手へのワクチン優先接種だけでなく、日本国民の多くがオリパラ開催へ懐疑的になっているのにもかかわらず、これらの新聞は、開催可否についてさえも中立の立場で明確に論じることができなくなっている。
 オリンピックオフィシャルメディアパートナーに入っているがゆえに、本来のメディアとしての機能を果たせないのは、太平洋戦争の終盤時に、旧日本軍の言いなりになって、戦争で日本優勢という誤った情報を垂れ流し続けた当時の旧新聞の醜態と酷似している。
 また、1936年ベルリンオリンピックで、旧ナチスによってオリンピックがプロパガンダに利用された時と同じぐらい、今回の事態はオリンピック史上最大級の黒歴史になりつつある。
 もちろん新聞社が矜持をもって、中立の立場でオリパラと向き合えるのなら、汚名返上できるチャンスはあるのだが、オフィシャルメディアパートナーを離脱する可能性は極めて低いだろう。もしオリパラが開催された場合、日本国民の危機に真摯に寄り添えず、“オリンピックウイルス”によって組織を侵された新聞が書くオリパラ記事にどれだけの説得力があるのかはなはだ疑問が残る。

 幸いにも、現代では全メディアが、IOCの言いなりになっていないのは救いだが、オフィシャルメディアパートナーに入っている新聞だけでなく、オリパラ放映予定である地上波テレビ局も同様で、優先接種やむなし、あるいはオリパラ開催ありきで片づけられてしまう可能性が高く、とても恐ろしい。コロナ禍である非常時に、どのメディアがどう発信していたのか、われわれはしかと記憶に留めておくべきだ。

 日本では5月12日より、6都府県で緊急事態宣言が延長された。日本国内での新型コロナウイルス感染者は累計で65万8629名、死亡者は1万1165名、入院など治療を要する者は7万250名、退院または療養解除になった者は57万3913名(厚生労働省、5月13日現在)で、この状況からわかるように、オリパラを「コロナに打ち勝った証し」にすることは、もはや夢物語に終わった。特効薬がないためコロナ封じ込めは無理にしても、せめてワクチンによって抑え込みができていればよかったのだが、ワクチン接種が行き届いていない日本では厳しい現状で、東京オリンピックの開幕日である7月23日までに、劇的に状況が好転する可能性がきわめて低いことを、専門家でなくてもこれまでの経験上多くの賢明な日本国民は理解している。
 そして、コロナに対してことごとく後手に回った日本政府の対応の悪さも知っているため、万が一オリパラ開催中に感染爆発が起こった時に制御できないことを容易に想像でき、いくら安心安全だと口先だけで言われても不安を拭えず怖いのだ。

 もし開催されたとしても、鬼畜ではない真っ当な人間ならば、コロナのパンデミックが続く中で、本当にこれでいいのかという心の底から湧きあがる違和感を払拭することはできないだろう。
 オリパラ出場に向けた選手たちの努力、開催準備に向けた関係者たちの尽力には最大限の敬意を表したい。
だが、オリパラ開催ありきのために、オリパラ選手や関係者が優遇されて、本来先に助けるべき命が冷遇されることがあってはならない。命の重さは、誰もが平等であるべきだからだ。
 今この瞬間も、変異株を含めた新型コロナウイルスが、緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も関係なく、人間に施された線引きに対してお構いなしで感染していくリスクは存在する。目に見えないウイルスに対して絶対安全だとは決して言いきれない。

 開催するべきではないという日本国民の民意が多くを占めるのなら、その声を無視せず、オリパラ開催可否についてしっかり議論すべきだ。
 歪められたアスリートファーストによって、オリパラが強行開催されることは決してあってはならない。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。