対戦相手のゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)は全階級を通じての強さを示すパウンド・フォー・パウンド(PFP)でかつて1位に君臨した正真正銘の名チャンピオン。アマチュア時代の2001年に大阪で開かれた東アジア大会で金メダルを獲得し、今回プロとして初めて日本のファンの前に降臨する。国内ボクシング史上、類を見ないビッグイベントは、リング外でも「GAFA」と呼ばれる米IT大手4社の一角が絡み、スケールも異次元。時代を先取りする放送体制を含め、いろいろな意味で“メガマッチ”だ。

スイートスポット

国際ボクシング連盟(IBF)王者のゴロフキンは2010年に初めて世界タイトルを手にすると19度連続防衛を果たすなど、激戦区の階級で歴史に名を刻んできた。直近の試合は昨年12月、無敗だったカミル・シェルメタ(ポーランド)から4度のダウンを奪い快勝。39歳と年齢的に全盛期を過ぎたとの声も多いが、健在ぶりを証明した。

強烈なパンチを武器に、戦績は43戦41勝(36KO)1敗1分けと驚異的なKO率を誇る。さらにはアマ時代を含めて一度もダウンしたことがないタフさも特筆すべき点だ。打たれ強さはもとより、人並み外れた身体能力は、以前からのトレーニングキャンプ地、米カリフォルニア州ビッグベアレークにも秘けつがある。スポーツにおける遺伝の影響などを科学的に分析した書籍「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」(デイヴィッド・エプスタイン著)によると、高地トレーニングの効果が大きく現れる標高には“スイートスポット”があり、「1800mから2700mの間と言われている。この標高であれば、人間の身体に生理的な変化を起こすには十分であるが、空気が薄すぎてハードトレーニングに支障をきたすことはない」と説明。米国のある有名マラソン選手が標高2100mを超えるビッグベアレークで育ったとの例を挙げた。過去にも何人もの名ボクサーが練習拠点を置いていた当地で、ゴロフキンはことあるごとに激しいトレーニング。強靱な肉体が養われ、並のアラフォーではない。

1分けと1敗はともに、ゴロフキンが勝っていたとの見方も根強い。村田も「僕の中では勝っていた試合だと思う。事実上、負けたことのない選手だと思っている」と口にする。2試合とも相手は、現在のPFPで1位に座るサウル・アルバレス(メキシコ)だった。会場はともに米ネバダ州ラスベガス。ヒスパニック系から絶大な人気を得ているアルバレスのホームとも言っていい場所だ。アルバレスのドーピング違反を挟んでの再戦となった2018年の敗戦は0―2と僅差の判定。もしこのときのジャッジのポイントが一つでも違っていれば、現在のランキングでトップ10に入っていないゴロフキンのポジションや、アルバレスのトップといったPFPの様相も異なっている可能性が大きい。

地上波生中継なし

世界的にも注目を集める今回の試合は、両選手の母国を除く約200カ国・地域向けに、映像配信サービスのDAZN(ダゾーン)で動画配信される。ちなみにゴロフキンは2019年、6試合を闘う条件でDAZNと約1億ドル(約115億円)の巨額契約を結んでいる。日本国内向けには会員制サービスの「アマゾンプライムビデオ」がライブ配信。プライムビデオによると、日本でのスポーツのライブ中継は初めてで、力の入れようが分かる。アマゾンプライム会員は世界で2億人を超えるといい、日本では4900円の年会費または500円の月会費を支払えば登録できる。一方で、まれに見るスーパーファイトにもかかわらず、テレビの地上波での生中継がない。関係者によると、ファイトマネーを含む巨額の費用が背景にあり、テレビ局の予算ではまかなえない事情があるという。

最近では同様の現象がサッカー界でも発生した。来年のワールドカップ(W杯)カタール大会のアジア最終予選で、日本のアウェーでの試合が地上波では扱われず、DAZNの独占配信となった。関係者によると、アジア・サッカー連盟(AFC)が管理する放送権料の高騰が原因とされ、テレビ局には支払うだけの体力がなくDAZNに持っていかれた形だ。DAZNによると、AFCと2028年まで契約を結び、アジア・チャンピオンズリーグやアジア・カップなど関心の高いコンテンツの放映権を獲得した。

ゴロフキンと村田の一戦の前、12月14日に行われる世界バンタム級統一チャンピオン、井上尚弥(大橋)の防衛戦もインターネットで有料ライブ配信され、地上波では生中継されない。今や豊富な資金力を擁するのはネット配信サービスに移行しつつあるというだろう。動画配信ともなると、家庭のテレビではなくても個人のパソコンやタブレット、スマホ、ゲーム機器などで場所を選ばずに視聴できる。かつてのK―1ブームなど、年末にテレビ各局が格闘技を放映するトレンドができた。ここにきて、家族とともにお茶の間で中継を楽しむという光景と一線を画す動きが、確かな潮流となった。

メディアの多様化

地上波の放送がないということはデメリットも想定される。地上波の場合、中継局が試合開催決定後に断続的にテレビCMを流したりニュースコーナーで取り上げたりし、新聞や雑誌の報道との相乗効果で盛大な事前告知が可能となる。それに比べ、動画配信サービスだけだと露出が少なくなることは否めない。

今回ほどのカードとなると、中継局のPRがなくても新聞記事などを通じ、コアなファン以外にも一定の訴求が予想される。ただ一般的には、試合当日の生中継を含め、従来の愛好家以外のファン開拓や普及という側面では、誰もが無料で視聴できる地上波の方が力を発揮しやすい。また、スポーツの公共性という観点もあり、例えば英国では、五輪やサッカーW杯など国民の関心が高い大会や試合を有料放送で独占的に中継することは認められていない。

それでも時代の流れにはあらがえない。著名な米国の未来学者アルビン・トフラーは1990年に記した著書「パワーシフト」の中で、テクノロジーの発達した未来の形について次のように指摘していた。「いくつかの例外はあるにせよ、事実は、文化も商品と同様、脱マス(大衆)化しつつある。(中略)新しいグローバル・メディア・システムは、『第二の波』のメディアが行ったような均質化ではなく、多様化を追求することになろう」。人々に広く情報が行き渡る世の中になると、世間の関心は多様化してメディア環境も細分化が進行。それぞれに深度を増していくのは必定のようだ。

キラーコンテンツ

加えて、ボクシングは本場米国で視聴ごとに課金されるペイ・パー・ビュー(PPV)方式が浸透し、収益モデルとして確立している。ゴロフキンとアルバレスの試合では優に100万件以上のばく大なPPVの購買数を生んだとされる。人間の闘争本能に訴えかけ、それでいて“スイートサイエンス”の別名を持つように科学的な闘い方も魅力のボクシング。「誰が最強か」という純粋な興味をかき立てられる点において、競技として有料放送との親和性は高いといえる。その恩恵にあずかり、スポーツ選手の長者番付では以前、フロイド・メイウェザー(米国)が何度も1位に輝くなど海外のボクサーにとって今や不可欠なシステムだ。

プライムビデオは今回のミドル級統一戦を皮切りに、世界トップレベルのボクシングイベントを継続的に催していく方針を示している。プライムビデオのジャパンカントリーマネジャー、児玉隆志氏は12日の記者会見で「ここ数年、スポーツコンテンツのライブ配信をずっと検討してきた。誰もが見たくなるキラーコンテンツを用意したいという思いだった。日本では何がキラーコンテンツかずっと考え、機会を待ち続けた。今日言えるのは、本当に待っていて良かったということ」と大きな期待を寄せた。

ゴロフキンは旧ソ連のカザフスタンから拳一つで世界のトップに上り詰めた。これまでニューヨークのマディソンスクエアガーデン、ロンドンのO2アリーナ、ラスベガスのTモバイル・アリーナなど地球上の名だたる大舞台に立ち、人々を熱狂させてきた。アマチュア時代に大阪で頂点に立ってからちょうど20年後の今回、さいたまスーパーアリーナで二つのベルトを手にするのか。それとも前評判では劣勢が伝えられる村田がサプライズを起こすのか。勝負の行方が注目されるのはもちろん、動画配信コンテンツとしてビジネス面に及ぼす反響など、日本のボクシングの在り方に関して一つの試金石になる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事