「いろいろな人に引っ張り上げられてきた競技人生でした」

 亀山は感無量の面持ちだった。

 セレモニーのスピーチでは、恩師2人の名を挙げた。1人は、生まれ故郷の仙台で、体操教室に通い始めた3歳の時から中学3年生まで指導を受けた仙台スピン体操クラブの横山茂明氏。子供の頃、自宅に友達が遊びに来ると逆立ちで玄関まで出迎えるなど、抜群の運動神経を持つ亀山の才能を、いち早く見抜いた。ところが、小学5年生のある日。亀山は横山氏にこう言った。

「友達と遊びたいから、体操を辞めます」

 練習に来なくなった亀山の元を横山氏が訪ねたのはその1カ月後だった。「横山先生が自宅まで会いに来てくれて『耕平、やめるな。おまえには才能がある。オリンピックにいけるかもしれない』と言ってくれました」。

 それからほどなく亀山は横山氏に連れられ、新幹線と電車を乗り継いで仙台から神奈川県横浜市の日本体育大学へ行き、練習を見学した。2人だけの見学旅行だった。

「日体大で練習を見ながら、横山先生に『こういうふうにできるようになるよ』と言われ、帰りの新幹線では『どんな技をやろうか』と話しながら帰りました。スクールに通うたった1人の小学生を連れて日体大に行ってくれたのは、今思うと本当にすごいこと。あの時の先生の行動がなかったら、私は今、ここにいません」

 もう1人は、徳洲会体操クラブの米田功監督だ。社会人3年目で初出場した2013年の世界選手権で種目別あん馬の金メダリストとなった亀山は、翌2014年も世界選手権に出場したが振るわず、その後は成績の波が大きくなった。最大の目標としていた2016年リオデジャネイロ五輪は代表選考会で敗退。

「当時、僕は28歳で、東京五輪では32歳になる。年齢的にも狭き門を狙っていくための覚悟を持てるかどうか」

 引退の意思を固めた亀山だが、米田監督は必死に慰留した。「カメ、やめてまうのはもったいないやろ。カメだったらオリンピックにいけるやろ」。

 それから5年後の2021年夏。長く苦しい代表選考レースを戦い抜いた亀山は、最後の最後に東京五輪代表の座を手にした。

 「米田さんのお陰でここまでやり遂げられた。感謝してもしきれない。あそこで引き留めてもらえなければ、挑戦しなかった自分に後悔していたと思う」。亀山は一言ずつ、噛みしめるように言った。

 その後あらためて行われた記者会見では、「セレモニーでは時間がなくて話せなかったのですが、東京五輪までずっと二人三脚でやってきた徳洲会の佐野友治コーチなど、名前を挙げたい人は大勢います。本当に、人から引っ張り上げられた人生でした」と感謝の思いを口にした。

 引退を決めた理由を聞かれると、こう説明した。

「オリンピックに出られたことと、オリンピックの期間を過ごす中で、競技者としてあれ以上になることはないと感じたことがきっかけです。時間が経てばまたやりたくなるのかなと考えて、現在までやりましたが、もう無理。きょうの代表選考会(全日本種目別選手権)を見ても、自分の場所はないなと思いました」

 そんな風に表現したように、実際にここ数年の日本のあん馬のレベルは高くなっている。2013年世界選手権で亀山が獲得したあん馬の金メダルは、2003年の鹿島丈博以来、日本人としてわずか2人目で、長い間、あん馬は日本の弱点種目だった。しかし、亀山の出現後は世界レベルの選手が現れ、2015年世界選手権と昨年の東京五輪で萱和磨が銅メダルを獲得。亀山も東京五輪で5位に入賞している。さらには、杉野正尭や谷川翔ら、世界レベルの目安となる15点台を出せる選手が複数いる。亀山が引っ張る形で強化に繋がったとみて良い事象だろう。

「つらいことと向き合うとたまに扉が開く」

 スペシャリストとしての存在感や生きる道を示したのも亀山だ。日本で体操と言えば、内村航平に象徴されるように6種目で戦う個人総合が大前提という歴史だが、亀山は「全日本種目別選手権で初めてあん馬のチャンピオンになった2009年から13年間、あん馬一本で戦ってきた。長所を伸ばすことには重要な意味があると思っている」と胸を張る。

 もちろん、楽しさとつらさは表裏一体だという考えも持っている。

「技を覚える時は、レベルアップしているような感じがして、楽しいんです。ただ、代表を狙っていくと、すごくつらくなってくる。オリンピックの選考がかかると、『体操、好きだったっけ?』『自分は本当にオリンピックに出たかったのか?』と迷うくらい、つらい状況だったりもした」

 それでも、葛藤を繰り返してきた中で確信したことが2つある。

「1つは、体操がすごく好きな人はめっちゃ伸びるということ。もう1つは、つらいことと向き合うとたまに扉が開くということ」

 世界チャンピオンの座も、五輪出場も、「たまに開いた扉」。そのために幾重にも努力を重ねてきた道のりがあるのだ。

 同学年の内村や山室光史とともに切磋琢磨したことについて聞かれると、「同級生には鉄棒がすごく上手で、6種目もできた齊藤優佑もいた。すごい才能に触れると、こいつらに勝ちたいと思う人と、俺には無理という人がいるが、僕は後者。ある意味、あきらめさせてくれたお陰であん馬一本にできた。僕以外がまぶしい世代だった」と、どこか楽しそうに目を細めた。

 今回は、横山氏と米田監督に2度目の「引退報告」という形にもなった。

 「お疲れさまと言われて、もう引き留めてくれませんでした」。亀山はカラッと笑みを浮かべた。「もう辞めていいよ、ということだと。ああ、やっと辞められるのか。ありがとうございました。そういう気持ちでした」。

 技を追求し続け、メンタルの強化に挑み続ける道のりは、喜びよりも険しさや苦しさがまさる時間だったかもしれない。ネガティブな思いを赤裸々に吐露したこともある。苦悩する表情も何度も見せてきた。だが、それでも前を見つめ続け、真摯に体操取り組んできたからこそ、とことんポジティブな言葉が並ぶ引退会見があった。

矢内由美子

著者プロフィール 矢内由美子

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。ワールドカップは02年日韓大会からロシア大会まで5大会連続取材中。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。