中東初開催となった今大会は、価値観の衝突という現実から逃れられなかった大会でもあると思う。それこそが、中東でW杯を開いた最大の「意義」だったかもしれない。古くからのサッカー界の住人といえる欧州や南米での開催だったら、今回あらわになったような問題は起きなかったのではないだろうか。

 2010年12月に開催地が決定して以降、欧米を中心にカタールに対して厳しい視線が注がれた。招致の不正疑惑に加え、スタジアムの建設現場の劣悪な環境で出稼ぎ労働者が多数死亡したとの調査報道もあった。イスラム教における性的少数者への扱いについても、人権問題の一つという捉え方から非難の的となった。「多様性」という言葉は世界共通のようでいて、決してそんなことはないとあらためて思い知らされた。

 イングランドなど欧州の7チームは、大会に向けて差別撲滅を訴えるためのキャプテンマーク(腕章)を用意していたという。しかし、国際サッカー連盟(FIFA)は政治的スローガンの発信を禁ずる規定に抵触するとして「警告など競技上の処分対象になる」と通達した。各チームは着用を断念した。ただ、昨年の東京五輪ではどうだったか。同じように政治的メッセージの発信は五輪憲章で禁じられてはいたが、高まっていた黒人差別反対運動「ブラック・ライブズ・マター」の機運に寄り添うように、サッカーの試合前に「膝つき」のジェスチャーをすることなどが認められた(今回のカタールでもイングランドは「膝つき」をしていた)。それを思い返せば、今回の腕章に対するFIFAの対応は、過敏といえるほどの神経のとがらせようだった。

 腕章を巻けない代わりに、ドイツは日本戦のキックオフ前の記念撮影で選手らが口を覆うパフォーマンスをして「無言の抗議」をして見せた。ドイツの、あるいは欧州の立場からすれば、それは一貫した姿勢に映る。人権問題の解決は、どんなことがあっても尊重されるべきで、自分たちは正しいことをしようとしている―。そんな「正義」を見る思いだった。

 しかし、どうだろう。スタジアムを訪れたイスラムの人々はドイツの第2戦で、エジルの似顔絵を多数掲げて見せた。エジルはトルコ系の元ドイツ代表選手で、2014年のW杯制覇に貢献した1人である。しかし、18年大会で1次リーグ敗退に終わると、同国内で批判にさらされた。大会前にトルコのエルドアン大統領と一緒に写真に収まったのが事の発端で、強権的とされる同大統領への拒否反応がドイツ国内で高まっていた時期に重なったこともあって、やり玉に挙げられる格好となっていた。エジルは「勝てばドイツ人、負ければ移民」と訴え、トルコ系という自身の出自を根本的には受け入れないドイツ社会に対して抗議の意を示すとともに、ドイツ代表からの引退を決断した。イスラム社会の人々から見れば、西欧社会にも根深い人権問題、差別問題は横たわったままなのである。

 欧州人も人権問題を訴え、イスラムの人たちもまた人権問題を叫びながら、両者の主張は交わることのないまま平行線をたどっていた。

 大会が進むにつれて、そういった軋轢の声は次第に聞かれなくなっていった。世界中の誰もがピッチを転がるボールの行方にのめり込み、一喜一憂した。それだけの熱量がサッカーにはある。それは確かだろう。

 ただ、もう一つ忘れてはならないことがある。4年前、W杯の舞台はロシアだった。世界中から多くのサッカーファンがロシアを訪れ、モスクワの赤の広場や、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にも足を運んだ。サッカーの熱狂の中心にロシアがあったはずだった。ところが、わずか4年後、今年に入ってからのロシア情勢はどうだろうか。ウクライナへ侵攻し、21世紀になってもなお人類は戦争を繰り返している。ほかのスポーツ界と同様にFIFAはロシアを国際大会から締め出し、ロシアはW杯のプレーオフへの出場が認められなかった。インファンティーノ会長は「(ロシア周辺)地域が抱える問題は解決できず、平和は続かなかった」と、サッカーの持つ力だけでは政治的な問題が解決し得なかったことを認めている。

 酷暑を避けるために変則的な時期の開催になったことでプレー水準は比較的高いものに保たれたこと、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)に加えてAI(人工知能)を活用したオフサイド判定技術が威力を発揮したこと、女性が初めてW杯のピッチで主審を務めて笛を吹いたこと、そして何よりメッシが世界一の称号を手にしたこと……。カタール大会のトピックを取り上げるならば、いくつも思い浮かぶ。ただ、それよりも、カタール大会が問いかけた根本的なものの大きさを感じずにはいられない。「郷に入っては郷に従え」ということわざもあるように、イスラムの風習やしきたりを世界は本気になって理解しようとしただろうか。相手への尊重の心を持ちながら、互いが接しただろうか。カタールを舞台に繰り広げられた激闘の余韻に浸りながら、重たい問いは頭の中をぐるぐると回っている。


土屋健太郎

共同通信社 2002年入社。’15年から約6年半、ベルリン支局で欧州のスポーツを取材