リモート応援システム

 東京・両国国技館内にはごひいきのしこ名を呼ぶ声が響き、力士たちもそれに発奮するように初日から攻防のある内容が目立った。番付発表後の原則外出禁止など、一般社会以上の厳しいコロナ対策を講じている角界。拍手での応援推奨の下、来場者はそれに従って手をたたいたり、ファンの力士のしこ名入りタオルを掲げたりするスタイルが定着していた。そこに加わった生の声はひと味違い、優勝経験のある幕内大栄翔は「久々に歓声をいただき、声援は力になるんだなと感じています」としみじみと語った。

 新型コロナ禍になり、ファンのためにも力士の励みのためにも、日本相撲協会はさまざまな策を練ってきた。その一つが、スマートフォン用アプリで場内のスピーカーから歓声を流せる「リモート(遠隔)応援システム」。サッカーのJリーグなどで導入されたもので、遠隔地からでもスマホのボタンを押すと競技場に音が届き、スタジアムの熱気向上につながる。角界も動いた。コロナ禍初期段階の2020年。政府の緊急事態宣言を受けて5月の夏場所が中止となった後、7月場所を両国国技館で開催する準備の過程で、同システムに着目。関係者によると、6月に業者を呼び国技館でテストを実施した。

 結果的に採用はされなかった。音が鳴るタイミングにより、土俵の進行に影響が出る可能性があったという。大相撲の場合、取組の勝負がつくと勝者が行司から勝ち名乗りを受け、場内アナウンスで勝ち力士と決まり手がアナウンスされる。その後スムーズに呼出しが次に対戦する力士の名前を呼び上げ、力士たちが気合を入れて土俵に上がる。午前9時頃から夕方6時頃までの流れるような進行も本場所の妙味で、伝統文化たる由縁でもある。そぐわないのであれば、新たなシステムを用いないのも致し方なかった。

 ようやく戻ってきたファンの声援。初場所後の1月27日には政府のさらなる緩和策により、満席の状態でもマスクをしていれば大声での応援も可能とした。5月8日には感染症法上の扱いが季節性インフルエンザと同等の「5類」に引き下げとなる。3年前の春場所は史上初の無観客開催だったことを鑑みると、角界全体で耐えてきた月日の重みを感じる。

数字よりも大切なもの

 館内の雰囲気が高まる中で、貴景勝の奮闘は面目躍如だった。先場所まで3場所連続で続いていた平幕優勝の流れを止め、番付社会たる大相撲界の姿を取り戻したとも捉えられる。持ち味の重い突き、押しが威力を発揮したのはもちろん、相手に右差しを許しながら左小手投げで2番勝ったのも制覇につながった。昨年冬巡業では突き、押しだけではなくもろ差しなどいろいろな取り口を試しており、幅を広げる意図が早速奏功した形だ。

 次の春場所では綱とりに挑む。初場所でも一部メディアなどで昇進の可能性が声高に取り沙汰されていた。場所を盛り上げる意味合いもあったと思われるが、「2場所連続優勝か、それに準ずる成績」との条件が前面に出過ぎの感がある。これは横綱審議委員会(横審)の推薦内規にある文言。

 貴景勝は昨年11月の九州場所で12勝3敗の成績から優勝決定戦に進み、平幕阿炎に敗れて「優勝同点」との扱いにされた。確かに「優勝に準ずる」と言えばそうだろう。ただ、内規にはその前に大切な条文がある。「品格、力量が抜群であること」の一文だ。読んで字のごとく〝群を抜いている〟と大方の人が納得するような成績や内容が求められており、一概に数字だけでは計れないものがある。貴景勝は昨年九州場所では優勝決定戦で格下の阿炎に全くいいところなく敗れていた。印象的にいいとは言えず、綱とりの起点であると衆目が一致するのは難しかった。

 最高位へ昇進できるか否か、議論のスタートは相撲協会審判部の裁量にゆだねられている。審判部が昇進を審議する臨時理事会開催を理事長に要請して初めて昇進へのアクションが始まるからだ。序ノ口から結びまで、交代で土俵下に座りながら取組に目を光らせている部署だけに、テレビ画面からは伝わり切らない力士のコンディションや技術も察知。メディア等でしきりに取り沙汰される「2場所連続優勝か、それに準ずる成績」という数字もさることながら、「品格、力量抜群」に達しているかどうか、まずはプロの目で見定められていることを忘れてはなるまい。貴景勝は初場所で3敗を喫したものの、出場者で番付最上位というプレッシャーを背負い、気迫あふれる内容で賜杯を手にしたことには相当の訴求力がある。

尋常ではない期待

 4関脇4小結でも注目された初場所。関脇で勝ち越したのは2人で若隆景が9勝、豊昇龍は8勝と2桁には届かなかった。小結を含め、大関候補から抜け出す存在が出てくるまではもう少し時間がかかりそうな気配。その代わりに十両以下でも関心を呼んだ事象があった。

 代表的なのが大関経験者の朝乃山。関取に復帰して14勝1敗で十両優勝を飾った。番付が落ちた原因がけがではなく、新型コロナ対策のガイドライン違反という自覚を欠いた行動だった。地力から見れば当然ともいえる制覇だが、取組数が7番から15番に増えても何のその。呼応するように、尋常ならざる期待がデータに表れた。NHKが公表している取組の動画再生ランキングで、連日のように朝乃山の取組がトップ。「もう一度、本土俵の上で相撲を取らせていただけることへの感謝の気持ちを忘れず精進します」と殊勝に話すなど、真摯に出直している姿が共感を呼んでいる。

 支えてきた周囲の人たちも十両返り咲きを喜び、初場所後には待ちわびたかのように東京や地元富山で後援者による祝賀会の予定。所属する高砂部屋でも、師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)の指導をはじめ、部屋全体でしっかりと復活劇をサポートしてきた。本人は「今年は三役を目指していきたいです」と意欲的。125年ぶりの1横綱1大関の現状で、特別な存在感を放っている。

 初場所では黙食を前提に客席での食事が可能になり、飲酒制限も緩和された。升席でビールを飲み、弁当を食べながら取組を楽しむ光景が広がった。横綱審議委員長を務めた作家、舟橋聖一氏による1943年刊行の『相撲記』には、昔の国技館の雰囲気が伝わってくる次のような一節がある。「私が東の支度部屋の前の、顔馴染の東花亭といふ寿司屋で立食をしてゐると…」。大相撲観戦において飲食をたしなむ醍醐味は昔から変わらないようだ。気分の高揚を助長し、興行面での華やぎに結び付く。

 大阪で開催される春場所は地方場所の中でも熱い応援で知られる。くしくも貴景勝、朝乃山ともに新大関昇進を決めたのが浪速の地だった。コロナ禍からの平常化とともに、両者の闘いぶりがますます興味深くなるような今年最初の本場所だった。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事