気になるスポーツにはまず挑戦
小学3年生から中学2年生まではラグビーのクラブチームに所属し、同時並行で中学から高校にかけてテニス部、そして大学時代は実業団でテニスを続けつつ、サッカーやバスケットボールのサークルに入り、興味があるもの、誘われたものに片っ端から参加してきた。雑食系というか、気になると何でも手を出してしまう。ひとつのことに集中するのが苦手なのかもしれない。
父の教え
ラグビー選手だった父親は、地元のクラブチームでコーチをしていた。自分から「やりたい」と言ったのか、連れて行かれたのかはもう覚えていないが、小学生からラグビーをやっていた。
ラグビーは背が高くても低くても、大柄でも小柄でも、足が速くても遅くても、どんな体でも、マッチするポジションがあるといわれている。
やせ型だった私のポジションはスクラムハーフ。ラグビーは大きく分けると8人のフォワードと7人のバックスの15人でプレーするスポーツで、スクラムハーフは簡単にいうとフォワードとバックスのつなぎ役。スクラムやモール、ラックのそばで掻き出されたボールを最初に拾い、バックス陣にパスを回すことが主な役割で、密集で止まったボールをすぐに見つけて、味方へパスを供給し続ける必要がある。そのため、的確な判断力と敏捷性が求められるポジションで、体が小さくても活躍できるといわれている。
とはいえ、鍛えるに越したことはない。
「日々の体幹トレーニングが身体を鍛える」と父親から教わり、腹筋、背筋、腕立て伏せをそれぞれ10回ずつ3セット、毎日欠かさず行った。この頃はトレーニングというよりも、歯を磨くといった日々のルーティンの中、自然と筋肉がついていったように思う。毎日欠かさず行ったことで、腹筋が割れ、見た目にもかっこよくなっただけでなく、おなかお腹をパンチされても平然とするレベルにまで達した。
ラグビー体形からテニス体形へ
ラグビーのクラブチームは土日のみの活動だったので、中学ではテニス部に入った。ラグビーの練習と同時並行ということに鑑み、なんとなくゆるく部活ができるんじゃないかという漠然としたイメージだけでテニスを選んだのだが、どっこい、所属したテニス部は県内でも有数の強豪チーム。 想像とは違い、かなりの練習量で、結局ラグビーは中学2年で辞めることになってしまった。
ラグビーはスクワットや走り込みといった下半身の強化がメインだったが、テニスは体全体を鍛える必要があったため、トレーニングに違いが出てきた、特にラケットをもつ前腕の強化につとめ、ダンベルトレーニング、腕立て、背筋、腹筋に力をいれた。ラグビー時代は太腿、ふくらはぎ、肩回りが大きくなり、いわゆるラグビー体形になっていたが、テニスにシフトしてからは前腕がたくましくなり、さらにたくましい体になったように感じた。
高校ではエリアで優勝、県大会ではベスト16に入るなどそれなりの成績は残せたのではないかと自負している。
自分の身体に見惚れる
有難いことに大学進学後、テニスの実業団から声がかかり所属することになった。この18、19歳頃の身体が一番引き締まっていたと思う。
というのもこの頃、温泉やサウナにハマりよく通っていたのだが、鏡に映る自分の身体を見て、うっとりしていたのだ。湯舟にじっくり浸かり、身体からお湯が玉のように流れ落ちる姿、サウナで汗をたっぷりかいた後の体を絞れたという感覚、引き締まった体が鏡に映ると、自分のお眼鏡にかなうというか良く見えるのだろう、正直いって見惚れていた。
自宅にある鏡よりも温泉にある鏡が大きいこともあり、全身を俯瞰的に眺めると、何度も書いて申し訳ないが、やはりかっこいい。あまりのかっこよさに写真を撮って、家族、知人に送る始末。送られてきた方は呆れてたことであろう。この場をお借りしてお詫びしたい。
魅せる身体
せっかくテニスの実業団に入るも、大学生活で酒を覚えると興味の矢印はすぐさま、そっちへ。テニスを辞め、バーテンダーのアルバイトを始めた。といっても、プロを目指したのではなく、ただ単にかっこいい=モテそう、という浅はかな考えである。そんな若気の至りはまだ続き、今度はモデルを目指すことにした。
実は、姉がモデル活動をしていた関係で、小学校の頃から遊び半分で撮影を見に行っていたのだ。
モデルへの登竜門を探したところ、養成所の募集を見つけた。だが、場所は東京だ。何かしたい、環境を変えたい、こうなったら歯止めが利かない私は勢いに任せて、大学を中退。東京へ向かった。