負け戦のシンボル
——そもそも、どうして武田さんに金八先生役のオファーがきたのでしょうか。
「プロデューサーの方が、ほとんどヤケになられたんじゃないかな。『金曜の8時』で『金八』なんて、タイトルからしてヤケでしょ。でも、それがちょっと合気道的なんですよ。テレビ局のあるプロデューサーが絶体絶命のピンチに陥る。看板の時間帯である金曜日夜8時、何をやっても裏番組に負ける……」
——石原軍団の「太陽にほえろ」と、プロレス中継でしたから。
「それで『何をやっても駄目でも、負けるなら負け方がある。勝とうと思わず立派に負けよう』と」
——武士みたいなノリですね。
「ほんとね。立派に負けるためにはどうするかということで、覚悟を持って学園ドラマをやり、馬鹿丁寧に子供たちの心を描く番組にしようということになったそうです。金曜の夜8時にそんなものを観る人がいないだろうけど、40人のクラスでまず2、3人が観て学校行ったときに『意外といいよ』と話してくれるような番組。
最終的には、クラスで5、6人が観てくれればいいという程度の成功を目指していました。視聴率も8%ぐらい取れれば上出来だという番組を作ろうとしたんです」
——なるほど。
「その代わり、大人が隠していることを全部ばらしちゃおうと。かっこいい先生なんか駄目だ。田舎者で、不細工で、不器用で、ローカルのにおい立つような青年。そのくせ、彼はものすごい説教する」
ダサい男だから
「それで、負ける番組のシンボルとして誰がいいかと見渡したら、二流、三流のフォークシンガーで武田鉄矢という、山田洋次という名監督が気に入ってる者がいる。TBSのホームドラマのときも演技がそこそこできていたから、このダサい男にやらしてみよう、と。学校の先生になるために大学に行っていたというのも好印象だったみたいです」
——それで、髪も長いままでと?
「これは逆なんですよ。ゴールデンタイムの主役、ここがイメチェンのチャンスだと思って、私は『切ります!』と言ったんです。そうしたらプロデューサーが『いや、そのままで』って。現実の世界でも、教職員の髪の毛に関して学校は管理してはいけないそうです。だから、番組が放送されときは、複雑な気持ちもありました。なんじゃ、この髪型とキャラクターは(笑)。でも、初回の視聴率は8%ぐらいだったかな」
——負け戦にはならず、狙い通りの視聴率を達成して。
「第2話ではさらに上がって、2桁いきました。皆で喜んでいたら、第7話でね。あの学ランでマッチが歩く回で、17、18%ぐらい取ったんです。それで制作陣は勝負に出て、『15歳の母』という、とんでもない回を作る肚を決めた」
——中学3年生が妊娠しちゃう衝撃の展開……私は当時、小学5年生でした。
「びっくりしたでしょう」
——最初の頃は、母と楽しく観ていたんですけど、杉田かおるさんが演じた雪乃が妊娠するあたりから、PTAが「子どもに金八先生を見せないように」と騒ぎだして、「15歳の母」のあたりは禁止されて、リアルタイムでは観られなかったんです。
「たしかに批判は凄かったですね。テレビ局への抗議の電話が鳴る、鳴る。でも、やっぱりプロデューサーは気骨がありました。『また来ましたよ~』とか言いながら、ニコニコしていて。私はもう怖かった、あの時は」
——批判されても、番組の人気は衰えなかったですものね。
「回を重ねるごとに、たのきん(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)はどんどん売れっ子になって。素晴らしい才能の持ち主たちでした。その後も生徒役のオーディションをきっちりやって、物語に本当に必要な子を選ぶ手間を惜しまなかったんです」
身体と心の変化
——40代になると、燃え尽き症候群に陥ったみたいな時があったとか。
「無理をしていたんでしょうね。もらった役に対してうまく演じなきゃと気負ったり、もともと演技派でもないくせに妙に凝った演技を試してみたり。自然体からはほど遠く、身体と心のバランスがぎくしゃくしていた記憶があります」
——40代の初めといえば『101回目のプロポーズ』が大ヒットしましたが。
「でも、その後の映画『織金(プロゴルファー・織部金次郎)』も一生懸命やったけど、だんだんとパワーダウン。金八先生もパート4はより社会性を帯びたものになり、シリアスになっていった。パート1、2ぐらいのときの金八先生のテンションでは通用しなくなったんですね、どう頑張っても」
——そこに、福澤克雄さん(ディレクター)が現れた。
「やっぱり、パート1、2では、演じている私自身も若かったわけです。ところが、シリーズが続くうち、生徒たちはそのたびに入れ替わって、永遠の15歳。金八を演じている私だけが年齢を重ねていく。パート5、6ぐらいから、自分の中で、もうこの子たちとずっと一緒にいることはできないと思ったんですね。もし一緒にいようとすると、こっちが無理することになって、妙に物分かりのいい年寄り先生になっちゃう、媚びる先生になっちゃう」
——ドラマの中で、生徒に好かれようとするのをやめた?
「好かれる、嫌われるというより、もはや青年ではなくなった金八が、子供たちを理解できなくなる部分が生ずるのも自然なことだと考え直したんです」
向かい風に進む力を借りなさい
武田鉄矢の人生はジェットコースターのように山あり谷あり。そして、自分でもいまだ原因がわからずじまいの「しくじりの謎」が数多くある。海援隊の紅白出場直後の人気の急降下、名だたるプロに教えを乞うても上達しないゴルフ、ずっと思い描いていたラストシーンにならなかった「3年B組金八先生」……。そうした若き日の「しくじりの謎」を74歳の今、読書や武道修業での学びを頼りに解明していく。「わからなかったことを判るために人は老いるのだから」と。 「3年B組金八先生」の初めの生徒たちが還暦を迎える今、かつての教え子世代への、老いにくじけず老いを味方につけるための授業が始まる……。 リー・トレビノや青木功プロとの思い出を綴った「打っちぃみい」、65歳で始めた合気道での道場生たちとの触れあいを描く「道場の四季」、四十数年を経て山田洋次監督の意図がようやくわかった「幸福の黄色いハンカチ」を含む19の痛快エッセイを収載。
武田鉄矢
1949年、福岡県生まれ。歌手。俳優。1972年に海援隊のボーカルとしてデビュー。「母に捧げるバラード」や「贈る言葉」などヒット曲多数。1977年、映画「幸福の黄色いハンカチ」で、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞。1979年開始のドラマ「3年B組金八先生」は、30年以上にわたる人気シリーズとなった。現在は「武田鉄矢の昭和は輝いていた」(BSテレ東)、「ワイドナショー」(フジテレビ系列)に出演中。1994年よりパーソナリティをつとめる文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」は、自ら選び読んだ本をテーマに語る長寿番組として愛されている