文=松原孝臣

予想以上に平穏に終わったリオ五輪

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 2016年に行なわれたリオデジャネイロ五輪とパラリンピックは、大会を前に数々の問題が伝えられた。資金不足による運営危機、水上競技会場における環境問題、警察官などによるストライキ、ジカ熱、治安問題……。あまりにも多くが取沙汰されたのは記憶にまだ新しいだろう。

 そんな中で大会は始まり、終わった。期間中に強盗被害にあった選手や観客はいたし、トラブルがなかったわけではないが、終わってみれば概ね順調に進んだ。いや、むしろ高く評価する人は少なくない。メディアなどの取材者、現地で観戦した人々からである。

 どのようなところが好評価となったのか。中でも高かったのが、各会場などにいるスタッフやボランティアである。ときに、ミスがあったのは事実だ。会場間を運行するバスの運転手が道を間違えて大幅に時間を超過して到着したり、誘導が間違っていたりといったことはあった。それでも彼らの真剣さや、応対の感じのよさがあったのだ。

 例えば、競技会場がいくつも集まった「オリンピックパーク」内で、道に迷った取材者がいた。ある売店のスタッフに尋ねると、そのスタッフは周囲の人々に懸命に聞いてまわった末、持ち場を離れてわざわざ案内してくれたという。その一例にとどまらない。職務に必死になっていても困っている人がいれば、にこやかに、フレンドリーに対応しようとする。

好印象の原動力はスタッフやボランティア

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 接するスタンスばかりではない。例えば、会場間のバスの運行が時刻表通りではなかったときがある。出発時間を過ぎてもバスがやってこなかったりする。そんなときでも、とことん、にこやかなのだ。本来なら腹が立つような場面でも、微笑む。いつしか苛立っていた人々も笑顔になる。

 また、マニュアルはきっとあったはずだ。だが、それでは対応できない問題が起きれば、個々がやはりにこやかに、自分なりの考えで対応しようとする。イレギュラーなことに対しても「いいよ、いいよ」と鷹揚さを何度も見せた。大会の終盤になって知人の記者が言っていた言葉を思い出す。

「なんか、いい人たちばかりで楽しかったですよ。大雑把かもしれないけれど、過ごしていて気持ちよかったし」

 問題がなかったわけではないのに、多くの人に好印象を与えた原動力は、やはりスタッフやボランティアの姿である。

 それは2020年の東京五輪・パラリンピックに課題を突きつける。大会には、海外から多くの人がやってくる。そのとき、どのように接することが彼らを迎え入れ、心地よく大会を過ごしてもらえることになるのか。先にあげたトラブル対応などのときに、リオの人たちのようなスタンスをとるのは日本人には困難だ。

 日本には日本らしいスタンスがある。トラブルをいかになくすかに腐心するだろうし、起こればその解決に速やかに取り組むだろう。ただ、リオを体験した人は、あのフレンドリーさを記憶している。そういう意味で、リオが東京大会の運営のハードルを上げた面があるのは否めない。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。