12月30日の試合後、2カ月でアメリカ2戦目へ

©勝又寛晃

池田 今日は、この対談の前に井上選手のスパーリングを拝見させて頂きましたが、スパーリングパートナーは海外から呼んでいるのですか?

大橋 はい。いま横浜に滞在させているパートナーのうち2人は、フィリピンから呼んでいます。日本人は(井上尚弥のスパーリング相手を)やってくれないんですよ。壊されてしまうから、と。さっき、尚弥の相手をしていたジェネシス・セルバニア(フィリピン)は金沢のカシミジムと契約して、日本に住んでいます。

――セルバニアは3階級上の世界トップランカーです。

大橋 最近まで29戦全勝(12KO)だったけど、オスカル・バルデス(メキシコ)というアメリカでも期待の大きいチャンピオン(WBO世界フェザー級)からダウンを奪って、奪い返されての激闘で負けちゃいました。尚弥も“本当にタフな相手だ”って感謝しています。

池田 アメリカといえば井上選手も9月にカリフォルニアで試合をしましたが、今後、彼を向こうでどうさせていきたいんですか?

大橋 単純にいえば体重を上げていき、“マニー・パッキャオ(フィリピン)の再来”にしたい。無謀なはずの冒険マッチでも勝ち続けた“アジアの至宝”です。向こうでの初戦、アメリカの関係者の尚弥に対する評価は高いんですよ。でも我々は、彼が緊張していつもの良さが出ていなかったと思っています。

池田 気負いすぎて、変に意識しちゃったんでしょうね。

大橋 そう。翌朝には「筋肉痛でめちゃめちゃ体が痛いです」って言っていました。

池田 これまでは、軽量級で無敵だった“ロマゴン”ことローマン・ゴンサレス(ニカラグア)が当面の標的のように見えましたが、ロマゴンは最近、シーサケット・ソールンビサイ(タイ)に2連敗しましたよね。モチベーションを見失ったりはしていませんか?

大橋 私は正直、ロマゴン戦には自信があったんです。ロマゴンはスピードがないから、シーサケットみたいなフィニッシュに持っていけると思っていました。噛み合わせを考えると、ロマゴンより井岡のほうがよっぽど怖いんです。ノーモーションの連打はシャープだし、ボディ打ちも巧い。スーパーフライ級の前後には強敵がたくさんいるから、これからもまったく気は抜けません。だから、尚弥の向上心は相変わらず問題ないですよ。

池田 今、特に意識している対戦相手はいるのですか?

大橋 同じ階級でIBFの世界王座にいるジェルウィン・アンカハス(フィリピン)とは、ずっと交渉してきました。12月30日の試合が終わったら、来年2月にアメリカで興行があるけど、尚弥は「2カ月も休めば次の試合をできます。戦いたいです」って言うんです。昔のボクサーはやっとの思いで世界チャンピオンになったら、少しでも長く、その座にいようとしました。ただでさえ世界戦は心身の消耗が激しいから、回復に時間をかけて、試合を延ばそうとしていたんです。それなのに「2カ月でいい」って言うから、アメリカのプロモーターも驚いていましたよ(笑)。尚弥は、自分が忘れていたことを思い出させてくれます。 私も身近で刺激を受けています。

――アンカハスは別団体の世界王者だけあって強敵なんですけどね。しかもサウスポーなので、本来ならその準備に時間をかけたいはずです。

大橋 俺もそう思ったんだけど「サウスポーは得意だから大丈夫です!」って言うんだよね。

池田 戦いたい(やりたい)んですね。そういうメンタルの強さというのは、やっぱり天性に左右されるものなのですか?

大橋 うん。特に尚弥は、これまで見てきた選手の中でもすごいですね。どうやって育てたんだろうと思って、お父さんに聞いたんだけど、そんなに特別なことはしていないんです。

池田 普通なら、子供は逃げちゃいますよ。すばらしいなぁ。

井上尚弥と見る5階級制覇の夢と驚きのマッチメイク方法

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池田 これまでに井上選手はライトフライ級とスーパーフライ級の2階級を制覇しています。今後、もっと階級あげて、多くの階級でのチャンピオンを狙っているのですか?

大橋 来年はバンタム級に上げて、まず3階級制覇ですね。そのあとにスーパー・バンタム級。最終的にはフェザー級で、5階級制覇を意識しています。セルバニアがバルデスと良い勝負したでしょ? それなら尚弥も、もっと大きくなればフェザー級で戦える。今日のスパーリングを見たら分かってもらえると思います。

池田 それは楽しみですね。大橋会長にも、『井上選手の才能を持て余してはいけない』といった、管理者としての重圧もあるのではないでしょうか?

大橋 それはありますよ。すっかり酒が増えている(笑)。今回の横浜文化体育館でも相手が見つからなかったんです。アンカハスで進めていたんですけど、契約書を待っていたら『今回はやはり、やめることにした』と返ってきました。ファイトマネーも破格で、7人をファーストクラスの飛行機に乗せてほしいとか、ゲストにパッキャオを呼ぶという条件まで、私は飲んでいたんですけどね。

池田 そういうマッチメイクも、大橋さんが全部、ご自身でなさっているんですか?

大橋 基本的にはそうです。今はスマートフォンに英訳アプリあるじゃないですか? それでフェイスブックのメッセンジャーを使ってやっています。

池田 そんな手軽に!?

大橋 そういうところで飾る必要はないと思います。ただ、私の変換が変で、向こうが日本語で送ってくるようになりました(笑)。英語は必要だと思いますね。でも業界用語を使えたら、あとはアプリでも交渉は問題ありません。時間をかけたくはありませんし、このやり方が最適だと思います。

池田 舞台裏のいい一面を見させていただきました(笑)。ファイトマネーはいくらくらいに持っていきたいんですか?

大橋 尚弥は、1億円以上です。前回の初陣で40万ドルでした。あと何回かアメリカに行けば、すぐそれくらいになるでしょう。金額面でもアメリカには夢があります。

池田 今後も注目させていただきます。アメリカでの展開も楽しみですが、その一方で、横浜という地域にも密着感をもっと出してもいいかもしれませんね。

大橋 おっしゃる通りです。池田さんがベイスターズでやっていたことに近い、地域密着型の取り組みをしているのは川崎新田ボクシングジムですね。Jリーグの川崎フロンターレと組んで、サッカーの応援にボクサーが行ったり、川崎フロンターレのサポーターが試合に来たりしています。

池田 いいですね。そうした連携ができれば、あとは商品がどれだけ伴うか。そこに井上尚弥がいるというのはとても大きいことです。

大橋 ええ。他にも、八重樫を始め、 心強い選手がたくさん世界一を狙っていますからね。

子供の教育にも有効なボクシング

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――お二方は、いつからご面識があるのでしょうか?

池田 2010年ですね。千葉国体のボクシング競技に出ていた川内将嗣(北京五輪ボクシング代表)と清水聡(同)を観に鴨川に行ったんですよ。

――いきなりディープですね。お仕事ではなく?

池田 プライベートです。そうしたら、客席に大橋さんがいらっしゃいました。そのときは話しかけなかったんですけど、隣にさり気なく座らせていただいたんです。それが初めてですね。

大橋 いま、うちのジムに所属している井上尚弥と松本亮が、少年の部で出ていたときですね。当時から尚弥はよくウチに出稽古に来ていたし、松本は練習生でした。ただ、池田さんにはさすがに気づかなかったなぁ。

池田 僕はうれしくて言いふらしたんですよ(笑)。ボクシングが好きで、これまで後楽園ホールに50回は観に行っています。2012年6月に大阪であった八重樫東(大橋)対井岡一翔(井岡)のWBA&WBC世界ミニマム級王座統一戦も、リングサイド席を取ったんです。僕がベイスターズの社長を務めていたとき、井上選手が世界チャンピオンになって、始球式をお願いしたのも、ボクシング好きが高じてですね(笑)。

大橋 初対面の頃に比べたら、池田さんがすっかり上に行っちゃいましたね。池田さんが社長を務めたことで、ベイスターズは劇的に変わりました。私は川崎球場がガラガラな時代も知っているけど、今はいつも満員になった。池田さんは以前、ご自身でもボクシングをなさっていたんですよね?

池田 はい。都内にあったアマチュアジムに通っていた頃には、公式戦も経験しました。窒息するような緊張感というか怖さでしたね。ああいう場で世界チャンピオンになった大橋会長を尊敬します。

大橋 でも、私だって生まれ変わったら、多分同じことはできませんよ。プロ・アマで何十戦もやったけど、辞めて20年以上経つと、性格も変わるじゃないですか。よくやれたなって思いますね(笑)。

池田 人前で殴り合うだけで過酷なのに、ボクシングは体重コントロールも大変ですよね。僕が試合したライトウェルター級のリミットは64キロ(でしたっけ?アマチュアってもっと重かったように思います)だから、今よりも8キロくらい減らさないと……。減量自体もう無理だな(笑)。

大橋 1993年にあった私のラストファイトは、日本の世界戦では最後の当日計量でした(タイのチャナ・ポーパオイン判定負けで王座陥落)。今みたいに前日計量だとだいぶコンディショニングが違ったはずだけど、私は試合中にいつも低血糖になっていましたね。

池田 練習方法自体は当時とそんなに変わってないんですか?

大橋 基本的は一緒だけど、中身がいろいろ変わったかな。走り方とか食事とかには科学的な根拠が増えてきました。練習中に水を飲むなとか、計量が終わったら肉食えとかも言われない。

池田 僕は30歳でボクシングを始めたんですけど、練習は楽しかったんですよ。駆け引きは大人も楽しめると思いました。いや、大人だからこそかもしれません。

大橋 奥深いんですよ、ボクシングは。

池田 パンチをもらうと、『痛い』とかじゃないんですよね。『うわっ、やられた。そうきたか。チクショ〜!』が最初に来る。

大橋 ボクシングはエクササイズとしても有効だし、ゲーム性もすばらしいから、僕がプロボクシング協会の会長になったときに『エアボクシング大会』を始めたんです。子供が殴られるのは本人がよくても、親がイヤだったりするじゃないですか。だから、子供や中高年の練習生たちのためにも、シャドーボクシングを競技化してみようと。ジャッジは元世界チャンピオンたちにお願いしました。非日常の緊張感を味わえるので、常連も多いんですよ。

池田 ボクシングは子供にとっても、もちろん楽しいですし、教育にも役立ちますよね。ウチの子は、上が10歳の女の子で下が3歳の男の子なんですけど、玄関にサンドバッグを置いて、殴り方を教えているんです。 “親指を包んでしまうと突き指するんだよ”とか、“おもいきりなんでもスポーツは力入れてもだめで、腰の回転ときちんとした踏み込みで体重がのったいいパンチになる”とかちゃんと教えておかないと、運動の基本にはボクシングはすごくいい。さらには喧嘩のためじゃない。“殴るとこんなことになるんだよ”とか、今の子は分かっていません。

大橋 そうそう。加減が分からなくて、死んじゃったりするじゃないですか。私の時代は体罰とかが当たり前だったけど、今はないのが当たり前ですからね。

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善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。