テニスがフィジカル重視になった理由とは? USTAコーチ・大地智に訊く(前編)

ライセンスの保有が義務付けられていないS&Cコーチ

――大地さんはどのような経緯で、USTA(全米テニス協会)のヘッドストレングス&コンディショニングコーチになったのでしょう?
大地 子供の頃は地元の静岡で、プロに憧れるテニス少年でした。ただ僕が高校生の頃は、マイケル・チャンやピート・サンプラスらが、10代でグランドスラムを制していたんです。同世代の選手が世界を取る一方で、自分はインターハイに出られるかどうかでは遅れているなと感じていました。選手としての道を諦めた訳ではないけれど、ちょっと難しいなと分かっていたんだと思います。また通っていた高校はテニスの古豪だったのですが、その分、トレーニングや練習も良く言えば伝統的……悪く言えば、根性論的なところがありました。自分もケガしたこともあり、何か別の方法があるのではと思うようになったんです。
 僕が高校生だったその当時は、ちょうどテレビの衛星放送でNFLやNBAなどを見られるようになった頃でもあったんです。するとアメリカのスポーツでは、100kg以上の人や身長2メートル以上の人達が、凄いスピードで走ったり止まったりしていて……それを見て「これは絶対、何かが違うんだろうな。きっとトレーニング法などがあるんだろうな」と考え始めました。選手をあきらめた訳ではないけれど、もし選手としてやっていけなければ、トレーニング法を学びたいと思ったのがその頃です。
 そこで高校の体育の教員に相談したところ、「今の日本では、そのような勉強をするのが難しい。まずは体育系の大学に進めば何かつかめるのでは」と言われ、体育系の大学に進学しました。その在学中に、郷里の静岡市と姉妹都市であるアメリカの町から、大学のテニス部の監督さんがいらしたんです。そこでその監督に「トレーニングの勉強がしたい」と相談すると、「それならうちの大学に来なさい」と言われたんです。しかも幸運なことに、そのクレイトン大学には、ナショナルストレングス&コンディショニング協会(NSCA)の創設者の一人でもある、トーマス・ベックレーという権威の教授がいました。もともと、今の日本では自分のやりたことを学ぶのが難しいと言われていたところに、そういう機会があったので飛びつきました。日本の大学をやめてクレイトン大学に入り、ベックレー先生のもとで勉強する機会が出来て、しかも大学では選手としてプレーしながらトレーニングを指導してもらえる機会もあったんです。そのなかで、アスレティック・トレーナーはこういうことをし、ストレングス&コンディショニングコーチはこういう仕事で……というのも分かっていきました。そこで最終的に、「サトシがやりたいのはストレングス&コンディショニングコーチだね」と言われて、今の道に進んだんです。

――大学を卒業してからは、どのような道を辿ったのですか?
大地 ストレングス&コンディショニングコーチの面白いところは、特に「このライセンスを持っていないと出来ない」ということはない点です。ただ王道は、NSCAが発行する“S&Cスペシャリスト”の資格(CSCS)を取ることで、これを持っている人は僕達も信頼します。CSCSのテストは、基本は4年制大学の学位を持っていれば受けることができます。テストは筆記で、運動生理学や解剖学、栄養学などスポーツ科学全般になります。そのテストをパスできる学力があれば、人の身体に関する基本的な知識は揃っているという指標になります。
 僕も卒業後はCSCSを取得し、大学院でアシスタントとして経験を積んだ後に、マスター(修士号)を修得しました。大学院はネブラスカ州立大学に行ったのですが、アシスタントとして働いたのは母校のクレイトンです。
 そのマスターコースが終わるか終わらないかの頃に、USOC(アメリカオリンピック委員会)でインターンシップとして働く機会を頂き、半年くらいトレーニングセンターでS&Cコーチをやりました。そこでは全ての五輪競技の選手を見させてもらえたので、とても良い経験を積むことが出来ました。それが終わった頃に、クレイトン大学の方でスタッフに空きが出来たので、ヘッドストレングス&コンディショニングコーチに就任したんです。
 クレイトンのコーチに就任した8年後、今度はUSTAが施設の場所を移して選手育成規模も大きくし、ストレングス&コンディショニングコーチも新たに募集することになりました。正直、僕はテニスにこだわってはいなかったのですが、やはり自分が選手としてやっていたこともあり、以前からUSTAのお手伝いや情報交換もしていました。そこで、ポジションの空きが出来た時に連絡を頂いたので応募し、雇ってもらえたのが2008年です。

大地氏の考える理想のS&Cコーチとは

――大地さんのお仕事は、この10年間でどのように変化してきたのでしょう?
大地 入ってすぐは僕一人だったので、まずは人員を増やすことから始めました。指導する選手も、最初にUSTAに入ったときはジュニア選手中心だったんです。全寮制だったので、そこに居る選手達の体力測定を行い、それにあったトレーニングプランを組んで、年間を通したプログラムを作ることから始めました。
 次はそこから移行して、ツアーを回り始めたばかりのプロ選手が中心になります。そうなると、年間を通して見られる選手はなかなかいなくなります。そこで年に何回か測定する機会を設け、それに応じたプログラムを組みながら、遠征に帯同しつつ年間を通してサポートできる体制を作ったんです。
 そこからまた発展し、今度は一人の選手に対して、コーチやストレングス&コンディショニングコーチ、アスレティック・トレーナーなども含めた“パフォーマンスチーム”を作ろうということになりました。そのチームの人員は、必ずしもうちのスタッフでなくてもよい。どんなスタッフが必要か全体像を見ながら選手を強化していく体制を作ろうというのが、ここ2~3年ほどの流れです。パフォーマンスチームでは年間最低3~4回は全員が集まるミーティングを行い、果たしてフィジカルが弱いのか技術が低いのか、あるいはメンタルが弱いかなどを相談し、それに応じてトレーニングをコンスタントにやっていくようにしています。

――大地さんがスタッフに求めることや、ご自身がストレングス&コンディショニングコーチとして掲げる信条は何でしょうか?
大地 大前提としてあるのは、あくまで主役は選手であり、僕達ストレングス&コンディショニングコーチはサポートスタッフだということです。ですから、常に選手中心に物事を考えることは心がけていますし、スタッフにもそのように指導します。選手が強くなり健康であり、最終的に良いパフォーマンスをしてくれるのが何より大切ですから。
 ただテニスの難しいところは、筋力が上がれば勝てる訳でもない。すると選手からは「トレーニングしたのに勝てないじゃないですか、フォアハンドのショットが入らないじゃないですか」と言われたりもします。その時に「それは自分の仕事じゃないよ、知らないよ」ではなく、相談し話し合えるのが、良いストレングス&コンディショニングコーチだと思います。
 ウェイトがこれだけ上げられたとか、立ち幅跳びがこれだけ伸びたとなれば、僕ら的には嬉しいんです。成果が数字としても見えますから。でも、オフシーズンにトレーニングをガッツリやり、「あれだけやったんだから大丈夫だ」と送り出したとしても、直ぐに結果が出るわけでもない。そういう時に、「これだけ測定値が伸びているんだからいいじゃないか」と言われたりしたら、選手はやりきれないですよね。ですから選手の立場に立って物事を考え、選手に寄り添っていける人でなければいけません。試合をするのは選手ですから。
 僕も時々、自分に言い聞かせることがあるんです。自分にも葛藤はありますから……「この選手はこれだけトレーニングをやってこれだけ数値は上がっているのに、なんで勝てないんだろう?」と。でも僕がそんな風に思うのだから、選手はもっと不安だろうなと思うんです。ですから、そのような時こそ、どこに問題があるのか考え、選手と話しあっていきたい。“究極の縁の下の力持ち”……それこそが、僕達が目指す理想のストレングス&コンディショニングコーチです。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。