©松岡健三郎

「ほほえみの国」が注目したJリーグ開幕戦

Jリーグの新シーズンの開幕がこれほど他国から注目を集めたことがあっただろうか? 24日、エディオンスタジアム広島で行われた、2018J1リーグ第1節、広島対札幌の戦いは、「ほほえみの国」タイの熱視線を浴びることになった。
 
ホーム広島には“タイの英雄”と呼ばれるストライカー、ティーラシン・デーンダーが、札幌には昨季からプレーする“タイのメッシ”チャナティップ・ソングラシンが先発出場を果たしていた。
 
この様子はタイ国内でも大変な注目を集めた。地上波、有料放送、タイでは主流を占めるインターネット放送を網羅する大手放送局Trueがあらゆるチャンネルで放映し、バンコク市内で行われたパブリックビューイングは、“世紀の一戦”を街頭でともに観戦しようとする人で大盛況だったという。
 
試合ではマンチェスター・シティやリーガエスパニョーラのアルメリアに在籍経験もあるタイ代表のエースストライカー、ティーラシンがタイ人初ゴールを挙げ、タイ対決に花を添えた。「タイ」が話題の中心になったこの試合はアジア戦略を強化するJリーグにとっても大きな一歩となった。

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Jリーグに挑むタイ代表主力3選手が語ったこと

この一戦から遡ること10日ほど前、2018 Jリーグキックオフカンファレンスが行われた2月15日にVICTORYでは3人のタイ人Jリーガーにインタビューする機会を得た。3人とは、サンフレッチェ広島に加わったティーラシン・デーンダー(29)、コンサドーレ札幌所属のチャナティップ・ソングラシン(24)ヴィッセル神戸の一員として開幕を迎えたティーラトン・ブンマタン(28)だ。
 
「Jリーグでプレーすることは自分の夢だった。その夢が叶った」
 
そう話すのはタイ人Jリーガーの先駆けとなったチャナティップ。Jリーグでプレーしたことで、先輩や後輩、たくさんの人から「Jリーグってどうなの?」と、興味を持って聞かれたというチャナティップは、自身のプレーが、今季新たに加わる選手たちに好影響を与えたことに安堵の笑みを漏らす。

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「夢が一つ叶って終わりではなくて、自分がプレーして、ティーラシン、ティーラトン先輩がJリーグに来てくれて、さらに下の世代である、後輩2人も日本でプレーすることになった。こうしてタイ人選手が活躍するきっかけになれたことを誇りに思う」
 
実際、昨シーズンのチャナティップの活躍は、Jクラブのタイ人選手への関心を惹いた。広島、神戸が即戦力としてタイ代表主力の2選手を獲得したのは、間違いなくチャナティップのプレーぶりあってのことだ。
 
もちろんタイでのJリーグの存在感も高まっている。タイ代表の中でも抜群の実績を誇るティーラシンは、タイでのJリーグの認知についてこんな話をしてくれた。
 
「タイでは、以前からイングランドプレミアリーグの人気が高かったのですが、最近は、サッカー好きな人の間でスペインのリーガもよく見られるようになっていました。Jリーグも以前から中継自体はあったし、アジアナンバーワンのリーグとして尊敬を集めていましたが、チャナティップの加入で、Jリーグを観る人、Jリーグの情報をフォローする人が一気に増えました」

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タイの人々の期待を背負って日本にやってきたティーラシンは、自分たちがJリーグでプレーする意味についても語ってくれた。

「今シーズンは、チャナティップだけでなく、自分もティーラトンも日本でプレーするので、『タイ人がJリーグでどれくらいやれるのか? 通用するのか?』という目で見られると思います。Jリーグがタイでさらに注目を集めるのは間違いありませんが、自分たちが日本で活躍したあとに、タイ代表に何を持ち帰って、どう貢献できるかにも期待が集まっていると感じています」

タイの人々にとって、ワールドカップ出場の常連である日本代表は今のところ仰ぎ見る存在だが、タイ代表選手たちがJリーグで活躍することで、その差を日常的に体感できるようになるというわけだ。

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タイ代表、ACLなどで日本のクラブとの対戦経験のあるティーラトンも、Jリーグ入りを「ずっと待ち望んでいた夢」と語る一方で、「Jリーグでどんなプレーをするのかが大切」と意気込みを語る。
 
「これまでは、ACLなどの数試合でしか接点がありませんでしたが、その試合でもタイと日本の差は歴然としていると感じていました。ヴィッセル神戸でリーグ戦を戦うためにはハードワークするしかないと思っています。移籍してわかったのは、フィジカル、テクニックともにタイとは差があるということと、Jリーグの選手たちが、たとえ練習でも常にプロフェッショナルとして行動しているということです」
 
ヴィッセル神戸での練習でティーラトンは早くも日本とタイの「取り組みの違い」という差を見つけたと話してくれた。
 
インタビューでは、3選手とも、個人としての挑戦というほかに「国を代表して」Jリーグでプレーするという姿勢を明確に打ち出した。代表常連の3選手としては、後に続く後輩、次代を担う選手たちのお手本として、日本でのプレーに先鞭をつけ、タイ代表の底上げにつなげたいというはっきりした意志が感じられた。

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Jリーグのアジア戦略 タイ人選手加入の効果とは?

一方、タイ人選手の加入によってJリーグにもさまざまなメリットがある。「アジアの一国の人気、注目度でしょ?」と侮るなかれ、すでに2017年のチャナティップ効果は目に見える形であらわれている。

まず、チャナティップのJリーグ入りのニュースは、タイをはじめ、中国、マレーシア、香港などでも報じられ、アジアを駆け巡った。さらにチャナティップの母国タイではティーラシンの実感したようにJリーグへの注目度が増している。Jリーグではタイ語公式ページを設けているが、このチャンネルでチャナティップの初練習を公開したところ、リーチ数332万人、再生回数103万回、同時視聴1.5万人を記録した。

海外からの観光客を取り込む「インバウンド」施策ではよく言われることだが、アジア圏のSNSの拡散力、爆発力は無視できない。通信インフラが整っていなかったアジアの国々では、スマートフォンへの切り替えが一足飛びに進み、生活の中心を占めることになった。タイでは、Facebookの国民使用率が60%を超えると言われ、FacebookやInstagramを通じて商品を購入する人の割合が世界一高いという調査結果もある。

チャナティップのInstagramのフォロワーは200万人超。チャナティップが札幌の雪景色や、グルメ、レジャー情報を投稿すれば、たちまち100万人単位のタイ人に観光情報をデリバリーすることになる。この日の「タイ人Jリーガーレセプションツアー」にも我々のほかにタイからのテレビ局のクルーが密着帯同、SNS発信を前提に動画を撮り続けていた。

チャナティップ Instagram

日本生活の“先輩”でもあるチャナティップは、「札幌に来たら、ジンギスカンに連れて行きたい」と2人の先輩をもてなす計画もあるようだが、タイ人Jリーガーがもたらす経済効果は計り知れない。

チャナティップにInstagramの投稿に対する反響を聞くと、「投稿するときにチームメイトや通訳から日本語を教えてもらって、極力日本語を使おうと心がけているけど、日本語の返信はまだできない」とおどけてみせた。

笑いながら話すチャナティップの話を聞いていると、タイでサッカー選手の枠を超えたSNS人気を獲得しているのもうなずける。元々明るい性格で、ムードメーカーとしてチームを盛り上げる姿も評価されているチャナティップ。一挙に仲間が増えた安堵からかこの日は常に笑顔で、2人の兄に見守られる“末っ子”感を醸し出していた。

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タイ大使館で国賓クラスの歓待?

朝から忙しくスケジュールをこなすタイ人選手一行が、インタビュー後に向かったのは、なんとタイ大使館。U-23チームでのプレーを前提にセレッソ大阪に所属するチャウワット・ヴィラチャード(21)、昨季7月からFC東京に在籍するジャキット・ワクピロム(20歳)の若手2人が加わり、タイ人Jリーガー5人が揃った。

今回の訪問は、普段は全国に散らばるタイ人Jリーガーたちが一堂に会するチャンスとして、Jリーグがタイ大使館に打診した。実現に当たっては、駐日タイ王国大使を務めるバンサーン・ブンナーク氏の「ぜひ会いたい!」という歓迎の声があったという。

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タイではサッカーは文句なく人気ナンバーワンのスポーツ。タイ代表の主力ともなれば国民的スターといっても過言ではない。普段は他国の首脳や大使、公使が訪れる応接間での食事など、国賓待遇でもてなされた5選手は、さすがに緊張の面持ちだった。

レセプションのセレモニーを終えた5選手の元には、大使館の職員が我先にとサインと写真撮影をねだる光景が見られ、タイにおける彼らの人気ぶりがうかがえた。

続いて移動した2018 Jリーグキックオフカンファレンスでも、Jリーグタイ語公式Facebookでの生配信番組への出演など予定が目白押し。5選手が出演し、お笑いタレントのワッキーさんと日本で活躍するタイ出身モデル、ヴィエンナさんがMCを務めたこの番組では、配信が始まると同時にどんどん視聴者数が増えていき、リーチ数80万人、同時視聴者数1万人、累計で27万回再生を記録した。

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こうした結果は、Jリーグのアジア戦略としてのSNSでのプロモーションのモデルケースとなる手応えにもつながる前例となる。

タイ国内でも大きな注目を集めた開幕戦に続き、2日に行われたJ1第2節では、チャナティップがうれしい初ゴールを決め、タイにJリーグの話題を提供し続けている。かつては多数派だったブラジル人や南米の選手、ヨーロッパの選手たちで占められていたJリーグの外国人枠だが、いわゆる「アジア枠」や「Jリーグ提携国枠」の登場によって、その多様性が広がり、Jリーグのアジア戦略にも一役買っている。

<了>


大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。