内面は負けん気を秘めた性格の持ち主

(C)UGA

――東京生まれなんですね。湘南生まれ湘南育ちかと思っていました。

「生まれは品川区の大崎です。父の実家が東京で、母が湘南の鵠沼です。小学校に上がるタイミングで鵠沼に引っ越すことになりました。だからもともとはサーフィンがしたくて鵠沼に来たわけではないんですよ」

――サーフィンとの出会いは?

「小学校が海のすぐ近くで、放課後は海によく遊びに行きました。友達のお父さんがサーフィン好きで、ロングボードに乗せてもらったのが最初です」

――ご両親はサーファーですか?

「いえ、父が年に数回だけやるくらいです」

――サーフィンにはすぐハマったんですか?

「小学5年生くらいのころにフラダンスの教室に通うようになって、その練習が忙しくてサーフィンは全然していませんでしたね」

――本格的にフラダンスをしていたんですか?

「公民館で開いている教室だったんですが、コンテストを目標にして本格的にご指導いただき、ハワイの子どものための大きなコンテストに出ることになってしまったんです。それで4位になりました」

――ハワイのフラのコンテストで4位になったんですか?

「はい、でもそのコンテストは小学生の部門までしかなかったんです。それで目標が無くなってしまって、これではフラを続けることはできないなと思っていたときに、サーフィンをがんばってみようと思うようになりました」

――何か自分が打ち込める目標がほしかったんですか?

「そうなんです。ちょうどそのころ茅ヶ崎でキッズの試合があって、それに出ることにしました」

――それはキッズのサーフィンの試合ですか?

「そうです。実はそれが初めて出場したサーフィンの試合だったんですが、波に一本も乗れずに負けてしまいました。それが悔しくてサーフィンをがんばろうと思ったんです。自分の中に目標ができたんですね」

――試合に負けてサーフィンに燃えたんですか?

「そうなんです(笑)」

――外見のしとやかさとは違って、内面は負けん気な性格を秘めているんですね。

「何事も明確な目標を設定して、そこに向けて本気で取り組んでいきたい性格ですね。一番を目指すのって明確ですよね。だから、楽しみながらがんばれるんです」

――根っからのコンペティターなんですね。

「そうかもしれません(笑)」

勝ち負けよりも自分のサーフィンを出しきることをテーマにした

(C)UGA

――サーフィンの練習では試合に勝つという目的意識で海に入るんですか?

「最初は楽しくてサーフィンしていましたが、キッズの試合で負けてからは、勝つという意識に変わりましたね」

――それで若干15才でプロになったんですね。

「はい、当時は最年少でした」

――どうやってプロになったんですか?

「アマチュアが出られるプロの試合に出場してみたら、プロの公認資格がいただける成績が残せて……。それでプロになったんです。それまではプロサーファーは雲の上の存在だったので自分でも驚きました」

――アマチュアの試合での成績は?

「全日本選手権のセミファイナルまで残ったことがあります。全日本級別選手権では優勝しました」(※全日本級別選手権:全日本選手権と同格の全国大会で、ルールが異なる)

――プロになってからは海外の試合にもよく出るようになったんですか?

「はい、プロになってからは国内だけでなく海外のWQS(国際的なサーフィンのコンテスト)もフォローしました。ヨーロッパやアメリカ、オーストラリア、中国の海南島にも行きましたね」

――でも高校生だったんでしょ?

「家の近くの高校を選んで自転車で通って、試合のないときは朝と夕方に海に入って練習していました」

――プロで戦ってどうでしたか?

「高校2年の時にプロの試合で初優勝しました」

――その時点でプロの実力を十分に身に付けていたんですね。

「まだランキングも低かったのですが、そのころは勝ち負けよりも自分のサーフィンをどうすれば出しきれるかということをテーマにして試合を続けていたのが良かったんだと思います」

――それから大会の上位に残るようになって、2014年にJPSA(日本プロサーフィンアソシエーション)の総合ランキング2位まで上り詰めたんですね。

「そうですね」

――試合の遠征費はどうしていたんですか?

「メーカーのサポートも受けていたんですが、足りない分はバイト2つ掛け持ちでやって補っていました」

――学生で朝夕にサーフィンして、そのうえにバイトですか?

「辻堂にある焼肉の『トザワ』と『ジャミン』というサーファーが集まる飲食店でバイトしていましたね」

――それでは眠る時間がなかったでしょう?

「眠る時間はほとんどありませんでしたね(笑)」

――現在は芸能プロダクションと契約をして、その分野の仕事も始められたんですね。

「はい、レプロエンタテインメントさんから声を掛けていただいて、少しお仕事をさせていただくようになりました」

――最近テレビ番組にも出演したとお聞きしましたが?

「TBSの『炎の体育会TV』に出させていただきましたね。楽しかったです」

――東京2020オリンピックをどう見ていますか?

「(東京2020オリンピックで初めてサーフィンが正式種目として選ばれたことで、)オリンピックがきっかけになってサーフィンの認知度がもっと上がってくれればいいなと思っています。試合のルールも改善されてサーフィンの経験のない人でも分かりやすく楽しめるようになってきていますから、ぜひ多くの方に見ていただきたいですね」

無難に戦って負けたときは自分が許せない

(C)UGA

――水野さんは自分のやりたい道をアクティブに進んでいるように見えますが、自分ではどう見ていますか?

「どうなんでしょうね。でも私は自分がこれと決めたらその道を進んでいくタイプではあると思います。やらずに後悔するのは嫌なので、チャンスがあったら失敗してもいいからなんでもやってみよう。そう思っていますね」

――そういう意志の強さはご両親から受け継がれたんでしょうか?

「いえ、そんなことはないです。私の家は普通の家庭で、父も母も優しいです。でも私が言い出したら聞かないのは家族全員が認めています(笑)」

――試合に負けると悔しいですか?

「負けるのは一番嫌いです。特に無難に戦って負けたときは自分が許せないですね。大技にチャレンジして失敗して負けたら、それはそれで納得します。悔しいけど、後悔はないですね」

――女友達とはどんな感じで遊ぶ? グループではリーダーですか?

「女友達と遊ぶときはむしろ静かにしていますね。でも時間があれば海でサーフィンしますから、誘われても行けないことが多いんです。友達はわかってくれていますけどね」

――JPSAの試合で解説を始めたと聞きましたが。

「そうなんです。DJブースで解説をさせていただいています。いまは試合に出るのを控えて自分のサーフィンを追求しているんです。いずれ試合に復帰することも視野に入れて、カリフォルニアで長期滞在してコーチングを受けていますね」

――サーフィンって、試合に勝つことだけではないんですか?

「試合に勝つこともサーフィンですが、試合ではなくフリーサーフィンという波に乗って楽しむというジャンルもあって、それがサーフィンの本質だと思っています。私は今まで試合中心でやってきて、これからは自分のサーフィンを追求するフリーサーフィンでもっと技を磨いて、もう一度試合に戻るのもありかなって。でもフリーサーフィンだけのサーファーにも試合の面白さをもっと知ってもらいたいという気持ちもありますね」

(C)LesPros Entertainment

――ビッグウェーブにも挑戦すると聞きましたが?

「2カ月くらいハワイに滞在してサンセットビーチの波に挑戦したことがあります」

――サンセットビーチというところはハワイでも有名なビッグウェーブのサーフポイントですよね。

「はい、大きな波ですごく緊張しました」

――これまでにビッグウェーブで危険なことはありましたか?

「サンセットで8~10フィート(ビル2階分)くらいの波が来ちゃって、ヤバイって沖に向かってパドルしたんです。やっとの思いでそれはクリアーできたんですが、やれやれと思ったらもっと大きい波がやってきておもいっきりその波に巻かれました(笑)」

――苦しかったでしょう?

「はい、苦しかったです。そういえばサーフボードが折れちゃって岸まで泳いで戻ったこともあります」

どんなことでも意味のないことは無い

(C)UGA

――水野さんの同世代の女性の中にはもう結婚して子どもがいる若いママもいると思いますが、水野さんは子どもは好きですか?

「はい、子どもは大好きです。先日も湘南オープンという試合の時に子どもを集めて無料のサーフィンスクールを開催したんです。ロングボードに一緒に乗ってサーフィンしました。楽しかったな」

――結婚して子どもを持ちたいという夢は?

「はい、あります。具体的にはまだですけれど……」

――もし母親になったらどんな風に子どもを育てたいと思いますか?

「子どもはかわいいけど、育てるとなると簡単なことではないんだろうなって思います。だから独身の私がどんな風に育てたいかなんてとても言える立場ではないと思います。でも子どもができたら海で一緒に遊んで、海を好きになってもらいたいですね。サーフィンをやるかやらないかは本人次第だと思います」

――アスリートとして、サーファーとして、また一人の人間として、水野さんの好きな言葉はありますか?

「よく思うのは、『どんなことでも意味のないことは無い』ということですね。越えなければいけない高い壁に阻まれたときや、海外遠征で苦労したときにも、『これはきっと自分にとって何か意味のあることなんだ』って考えます。そうやって私なりにいろいろな壁を乗り越えてきました。でも、どんなにつらかったことでも、振り返ってみると楽しい思い出に変わっているんです。不思議ですよね」

――海外遠征で困ったことというと?

「それは数えきれないくらいいっぱいありますね。言葉の問題もそうですし、飛行機に乗れなかったとか、荷物が出てこないとか。そういえばフランスの空港で、21歳以下でレンタカーが借りられず、タクシーで移動しようとしたんですが、滞在先で予約したタクシーが来なくて……。仕方ないからGoogle翻訳で現地のフランス人の方に相談したら地元のレンタカー屋に連れて行ってくれて、そこでは車が借りられたんですが、今度は帰り道が分かんなくなって。それでクラッチが使えなくて坂が上れなくなって、通行人を呼び止めて運転してもらったり。それでなんとかホテルに戻って、『明日から試合だ!』って張り切って朝起きたら、車の前後に別の車がぴったり駐車してあって出せなくなってしまって、ホテルの人をたたき起こして助けてもらいました(笑)。そんなこともありましたね」

――そんな時にも、『これはきっと意味のあること』って思うんですね?

「(笑)。そうなんです。そう思うと最善を尽くそうと冷静になれるんですよ」

――今日はいろいろと楽しいお話をありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

インタビュー中のレストランでも、ひときわ華のある彼女には周囲の視線が集まりました。海外遠征やビッグウェーブへの挑戦が彼女を頑強なアスリートに鍛えてあげているはずなのに、にこやかに質問に答えるその姿からはタフなイメージは少しも感じられませんでした。そこが水野亜彩子さんの魅力であり、あえて言うならばそれは21世紀の新しいアスリートの姿かもしれません。注目が集まるスポーツ、サーフィンとともに彼女の活躍を目にする機会がどんどん増えそうです。

<了>

(C)UGA

[PROFILE]
水野亜彩子(みずの・あさこ)
1993年生まれ。プロサーファー。湘南・鵠沼をホームポイントとする。当時最年少の15歳でJPSAプロデビューし、「ルーキーオブザイヤー」に輝く。2014年JPSA年間ランキング2位を獲得。2015年WSL日本チャンピオンを獲得しプライムイベントに出場。現在はテレビやラジオなどに出演するなど、マルチに活動中。

取材協力:SPORTIFF Café

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李リョウ

サーフィンフォトジャーナリスト。世界の波を求めて行脚中に米国のカレッジにて写真を学ぶ。サーフィンの文化や歴史にも造詣が深く、サーファーズジャーナル日本版の編集者も務めている。日本の広告写真年鑑入選。キャノンギャラリー銀座、札幌で個展を開催。BS-Japan「写真家たちの日本紀行」出演。自主製作映画「factory life」がフランスの映画祭で最優秀撮影賞を受賞。