人が持つ自然治癒力に、最新技術でアクセルをかける

PRP治療・幹細胞治療とは、人間が本来持つ「自然治癒力」を医療技術によって最大化させるものだ。体にメスを入れることなく、注射によるPRP(血漿/けっしょう)もしくは幹細胞の投与で施術は完了する。手術に比べて体への負担が軽く、リスクが少ないことから、昨今スポーツ現場でも認知が広がっているが、具体的にはどのような治療法なのか。

寺尾医師「PRPは血小板の濃縮液のことです。血小板は通常血液中を流れ、怪我をした際に出血を止めたり、周りの組織に働きかけて組織の修復を促したりする役割を持っています。高濃度なPRPを患部に投与することで、修復のメカニズムが動き出すスタートボタンを押してくれるものと考えてください。
一方幹細胞とは、骨・軟骨・腱・神経・皮膚などわたしたちの体をつくる様々な細胞に変わる能力をもった、まだ未分化の細胞のこと。幹細胞治療では、本人の幹細胞を増殖させたものを患部に投与します。体内の損傷部分にくっつき、分裂を繰り返すことで細胞組織を構築し、損傷の修復を促します」

どちらも、本来体に備わる修復のメカニズムを応用し、回復力を高める治療法だが、修復プロセスのなかで担当パートが異なる。

寺尾医師「PRP治療で活躍する血小板には、自らが何かに変化する能力はありません。血小板の中にある成長因子が血管壁の細胞に働きかけ、幹細胞を作り出すところまでが役割です。修復のための土台を構築したあとは、できあがった幹細胞が筋肉や靭帯にくっつき、損傷部分の組織を形成していきます」

つまり、PRP治療も最終的には幹細胞の修復プロセスをたどる。寺尾医師によれば、幹細胞を増殖させてから投与する幹細胞治療の方がより大きな損傷にも対応できるという。一方幹細胞の培養には時間がかかるため、完治までのスピードを要する場合にはPRP治療が有効だ。

齋藤医師「大谷翔平投手が2018年に右肘の靭帯を傷めたときには、PRP治療と幹細胞治療を併用したという話です。まだエビデンスが明確ではありませんが、どちらか一方の単独投与よりも、組み合わせたほうが修復が早まるという論文もあります。これは、修復の土台をつくるPRPと、修復機能をもつ幹細胞を同時に投与することで、幹細胞の働きにアクセルがかかるという考え方で、理論的には納得できます」

様々な細胞に変わる能力をもっている幹細胞

早期復帰の鍵は、新しい組織の安定化

靭帯治療といえば、健康な腱を患部に移植するトミー・ジョン手術が有名だが、ヤンキースの田中将大投手は2014年に同手術を避けてPRP治療を選択。2か月で戦列に復帰している。なぜ、PRP治療は早期復帰が可能なのか。

寺尾医師「トミー・ジョン手術では、体の別の部位から健康な腱を移植します。全く新しい腱が、新しい場所で本来のピッチングにつながる動きをするほどに定着し、安定化するまでの期間がおよそ1年です。PRP治療は存在する組織に働きかけて修復を促すので、手術よりも早く安定すると考えられています」

一方大谷投手もPRP治療を選択して一度は手術を回避したと思われたが、復帰後新たな損傷が見つかり、同手術に踏み切っている。PRP治療、幹細胞治療、トミージョン手術はどのように選んでいくべきなのか。

齋藤医師「一度手術してしまうと長期離脱が避けられません。アスリートにとっての1年間のブランクはとてつもなく長い。復帰後も、手術前の機能が戻る保証はなく、関節の固さが残る場合もあります。PRPや細胞治療であれば、3ヶ月あれば治療の成果がはっきりします。たとえ失敗したとしても、治療前より状況が悪化することはありません。もちろん靱帯損傷の程度にもよりますが、まずはリスクが少ないPRP治療で様子を見てから、止むを得ない場合に手術を選択するという順番は妥当ではないでしょうか」

繊細な感覚を頼りに高いパフォーマンスを発揮するアスリートにとって、体にメスを入れることは大きな賭けだ。ローリスクで早期復帰も見込めるPRP治療は、ファーストチョイスとして心理的負担も少ない。

しかし損傷の度合いが激しい場合には、PRP、幹細胞治療ともに適用できない場合もある。

寺尾医師「組織が完全に断裂してしまっている場合には手術が確実と考えられるでしょう。幹細胞はすでにある組織にくっついて働くものなので、断裂部分に投与してもあまり効果が見込めません。一部でもつながっていれば、そこで筋繊維の橋渡しができるのですが完全に切れてしまうと、幹細胞はどの向きに組織を形成していけばいいのかわからなくなってしまいます。運が良ければ断裂部分の両端にくっついてくれる可能性もありますが、本来の動きを持つ組織が完成するとは言い切れないのです」

青少年の野球肘には、ローリスクな治療の選択を

損傷度合いによっては手術を選択せざるを得ない場合もあるものの、一般的な野球肘の治療法としてはPRP治療・幹細胞治療は効果的なケースが多い。二つはどちらも再生医療に分類され、開業には厚生労働省の審査が必要となる。昨今は一般のスポーツ整形外科のなかでもこの手続きを踏み、治療を行える医療機関が増えてきた。
そもそも幹細胞は靭帯や筋肉だけでなく、内臓や骨など人体のあらゆる組織に分化可能な細胞だ。肝硬変やインプラントの治療などではすでに実績が多い治療法であり、脊椎損傷の治療に用いる場合には保険適用もされる。スポーツ界に“ようやく”広がり始めただけで、手段としては以前から存在し、有効性も実証されている。

一般向けにも認知が広がることで、青少年の選手生命にも寄与できるのではないか、と両医師は考える。

齋藤医師「手術の方が確実であるとか、健康な腱を移植することで以前よりも強くなるといったイメージを持っている方も多いようですが、その後の競技人生のプランについてもよく考え、手術を受けるメリットとデメリット、リスクについて判断してほしいと思います。損傷の程度がひどくなければ靭帯組織は1年間でかなりの程度自然治癒します。そこにPRPや幹細胞治療を取り入れ、自然治癒を早められるならば、手術以上にメリットが大きくなる場合もあるでしょう」

若年層の腱移植手術に警鐘を鳴らすと同時に、怪我をしないための投球フォームという視点を指導者が合わせ持つべきとも訴えた。

寺尾医師「そもそも、10代で手術を選択するほどの体の使い方をしていることを問題視するべきです。投球の際、肘のねじれを腕だけで受け止めるのではなく、下半身も使いながら全身に負荷を分散させるフォームへの改善が求められます。また、ストレートよりも変化球の方が肘のねじれは強くなりますから、若いうちから変化球を多用するピッチングスタイルも、本来は避けるべきでしょう」

再生医療を用いて復帰したとしても、投球フォームと球数が変わらなければいずれまた怪我をする。損傷を繰り返すうちに、取り返しのつかない大怪我へと繋がる可能性もある。新しい治療法が生まれても、予防に勝る術はない。

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小田菜南子