東京の1レースだけで、日本歴代10傑に4人、20傑には9人の選手がランクイン。高久龍(ヤクルト)と上門大祐(大塚製薬)が2時間6分台に突入して、2時間7分台も7人がマークした。その全員がナイキ厚底シューズを使用していたという事実は、数年前なら考えられないことだ。

日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、「シューズが進化するのは当たり前。前のシューズよりはいいですけど、選手も努力をしています。シューズで良くなったと言われると、選手たちはかわいそう。私は選手が努力した結果だと思っています」と話しているが、記録の面では〝厚底パワー〟が大きかったのは間違いない。

トップランナーはすでにナイキ厚底シューズの圧倒的な威力に気づいている。昨年9月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)はナイキ厚底シューズの使用が男子30人中16人だったが、東京マラソンは男子完走者107人中94人(87.8%)が着用。この数字は、正月の箱根駅伝(210人中177人/84.3%)を上回る。他メーカーと契約している選手がいることを考えると、「異常」ともいえるシェア率だ。

【参考】東京マラソン2020 上位10名のタイム&着用シューズ

東京マラソンでは、前日本記録保持者の設楽悠太(Honda)が『ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」を着用。一方、大迫は『エア ズーム アルファフライ ネクスト%』(以下、アルファフライ)と、今回は使用モデルが割れた。その理由はアルファフライが発売前だったのが大きい。ナイキと契約している大迫ですら、同シューズを履いたのはレースの3週間ほど前だったという。

アルファフライは靴底の厚さが39.5mmと従来モデルよりも超厚底になっており、前足部にはエアパックが搭載されている。そのため、慣れ親しんだモデルを使用した選手も少なくなかったのだ。しかし、大迫に迷いはなかった。

「新しいモデルなので、ナイキの新しい技術が使われている。ナイキを信用して、履いてみようと思いました。足を入れた感じは、薄底から厚底を履いたときのように違ったんです。でも、実際に履き始めたら、慣れるのに時間はかかりませんでしたね。クッション性がすごく上がったと思いますし、エアが入っているので、より反発力もある。これまでのシューズよりもロスが少ないように思います」

2月29日に行われた米国の東京五輪男子マラソントライアルでも、ナイキの厚底シューズが席巻した。ゲーレン・ラップが2時間9分20秒で完勝するなど、五輪代表に選ばれた上位3人がアルファフライを着用していたのだ。

■女子へも広がる厚底フィーバー

そして厚底フィーバーは日本の女子にも伝播していく。1月の大阪国際女子マラソンは松田瑞生(ダイハツ)がMGCファイナルチャレンジの設定記録(2時間22分22秒)を突破する2時間21分47秒で優勝。東京五輪代表に大きく前進したと思われたが、3月8日の名古屋ウィメンズマラソンでさらなる衝撃が待っていた。

冷雨のなかでアルファフライを履いた一山麻緒(ワコール)が日本歴代4位の2時間20分29秒で独走V。松田のタイムを越えて、東京五輪代表切符を勝ち取った。なお、一山は女子単独レースの日本記録を49秒も更新している。

ワコールはアディダスとユニフォーム契約しているが、足底に不安のあった一山は、スタッフの勧めもあり、2月の丸亀国際ハーフからナイキにチェンジ。名古屋ウィメンズマラソンの翌日には、「足底の痛みはありません。履いた感じが心地いいので、東京五輪もこのまま(のシューズで)いきたい」と話している。

一方でダイハツはナイキとユニフォーム契約をしているが、松田が履いていたのは過去のメダリストたちを支えてきたシューズ職人・三村仁司氏が手がけたニューバランスの別注シューズ(薄底タイプ)だった。

ナイキの厚底シューズはエネルギーリターンが高いため、「速く走れる」シューズでありながら、クッション性も優れており、「脚へのダメージが少ない」のが特徴だ。終盤にペースダウンした松田に対して、一山は29km以降にペースアップ。薄底と厚底の差が出たといえるかもしれない。

名古屋ウィメンズでは5位(2時間23分27秒)の佐藤早也伽(積水化学)、8位(2時間26分34秒)の細田あい(ダイハツ)もナイキの厚底シューズを着用しており、MGC(女子)の10人中1人から一気に増加している。

MGCファイナルチャレンジが終了したことで、東京五輪のマラソン日本代表内定が決まった。男子は中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)、大迫傑(ナイキ)。女子は前田穂南(天満屋)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、一山麻緒(ワコール)。このなかで前田だけがアシックスで、他の5人はナイキを履く選手となる。

東京マラソンの「異常」は「常識」となるのか。それともナイキ以外のメーカーが意地を見せるのか。ランニングシューズ市場に大きな影響を及ぼすトップランナーたちの足元から目が離せない。


酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。