2019年トゥーロン国際大会で森保ジャパンにも招集され、注目を集めるレノファ山口の小松蓮選手。中高時代には県三部リーグを経験し、「エリートとは程遠い」と語る小松選手は、これまでどのような経験をし、今どのような考えを持っているのか。Vol.8では小松選手が恩師という岸野監督とのエピソードを語った。

基礎の基礎を学んだ、恩師岸野監督との時間

―記憶に残っている岸野さんとのエピソードは?

小松:岸野さんはとにかく怖いし、普段の練習からめちゃめちゃ厳しいんですよ。めちゃくちゃ走るし、根性を叩き込まれました。走るとか、球際とか、切り替えとかはそこで教わりましたね。山雅のトップチームが走るサッカーだったので、ユースも同じくとにかく走るっていうサッカーでした。他のJユースより技術的には劣っていたので、走る部分では絶対負けないっていう気持ちで毎日練習していました。当時から、ポゼッションとかの練習を全然やっていなかったですね。プロに入ってからでいうと、金沢ではひたすら対人の練習をしていました。

―トップチームでも対人の練習をメインにやるんですね。

普通に素走りもするし、一対一、三対三、四対四をずっとやるのがめちゃめちゃキツかったですね。金沢自体がマンツーマンのチームなんで、対人の練習が多かったですね。山口はポゼッションの練習が多いんで、初めてポゼッションしようっていうチームにきた感じですね。なので割と苦労することも多いです。
山雅ユースでは岸野さんが何もないところから走るサッカーをスタートさせたんで、サッカーの中で一番大事なところであるボールを奪う、奪われない、切り替える、走るとかのベースの部分を作っていたっていう感じでした。

―当時、岸野さんによく言われていたことは?

小松:とにかく走れって言われていました。結構個人的に話もしてくれたんですけど、あんまり思い出せないですね(笑)。

―チーム全体として言われていたことは?

小松:チームメイト同士、思ったことはなんでも言い合えっていうのは言われていました。それまでの山雅ユースはそれすらもなかったので。例えば味方のパスがちゃんと来なかったら、「なんでここに出せないんだよ」って要求すらなかったですね。そういう部分からやっていきましたね。中3のときは僕が一番下だったんで、負けている試合とかで言われる「マト」になるんですよ。それが結構イヤでしたけどね。ただその時は、「他の奴らも大してできてないのになんで言ってくるん」って思っていました(笑)。それでも毎回言い返したりはしなかったですね、点を取れば何も言われなかったので。

自分の成長が実感できるように

―それまではサッカーの基礎的なところからは教わってこなかったのですか?

小松:全然ですね。戦術の理解度もなかったし、サッカーの試合を見ても、誰がうまいとか誰が点を取るとか、そういう見方しかできなかったですね。みんなが小さい頃から教わっていることを、やっとユースで教えてもらったって感じです。長野県のサッカーの教育が全然なっていなかったと思います。今の小学生のチームであれば、もちろんチームによって変わるところはあると思いますけど、割といい指導者がいて、ネットとかでも情報を得られるようになっていますよね。当時の僕の小学校では、昼間ずっと消防士として勤務している人が監督で、「なんで決めないんだ」とか言われるだけだったので。チームとして「止める、蹴るをしっかりやろう」っていうのはなかったですね。僕は今でも、どのチームに行っても止める、蹴るは下手な方ですし。当時の長野県自体のレベルはすごく低かったと思いますね。だからこそ岸野さんっていう全国レベルのサッカーを知っている人が来てくれて、サッカーの基盤をつくれたかなって思います。

―当時は「これが自分のサッカーだ」っていうのはなかったんですか?

小松:全くなかったです。点を決めるっていうことだけですね。中3でやっとって感じです。本当にありがたかったですし、人に恵まれたなっていうのは思っています。

―岸野さんに対して反抗したことは?

小松:反抗できるような人じゃなかったです(笑)。7時から朝練で、58のおっさんが100キロベンチプレスをしているんですよ(笑)。そんな人に反抗できるわけがなかったですね。

―岸野さんに教えていただいたことが、ターニングポイントになったんですね。

小松:本当にそうですね。教えてもらう中で、自分でも成長が実感できました。特に中学生の大事な大会とかに出た時は、はっきりとユースとはレベルが違うなっていうふうに感じました。岸野さんがいたのは僕が高1の時までで、高2のタイミングでカターレ富山の監督になって。その後は山雅のアカデミーダイレクターとして岸野さんが戻ってきてくれました。
高1の時は県2部リーグでやっていて、練習は人工芝でやっているけど、試合は土でやるって感じでした。Jユースのときは、天然芝でできるってことで浮かれていました。当時僕が監督だったら、この中からプロになるやつなんて絶対にいないって思っていたと思います(笑)。

―まわりの同期たちや先輩たちはプロを目指していたのですか?

小松:みんな本気で目指していましたよ。僕が一年の時に三年だった先輩は大学に行って、プロになれず地域リーグとかでやったりしていますけど、なかなか難しいですね。僕が高校卒業して三年経ちましたけど、当時の先輩や同期、後輩も含めて、プロは出てこないですね。

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VictorySportsNews編集部