日本人選手だけで40人がサブテン達成

 「こんなタイムが出るとは思わなかったので、正直自分が一番ビックリしています」とゴール後、鈴木自身が驚いていた。日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーも「まさか4分台が出るとは夢にも思っていませんでした」と漏らすほどの衝撃だった。

 鈴木の2時間4分台を筆頭に土方英和(Honda)、細谷恭平(黒崎播磨)、井上大仁(三菱重工)、小椋裕介(ヤクルト)の4人が2時間6分台をマーク。日本人選手だけで40人がサブテン(2時間10分切り)を達成した。

 日本人選手のサブテンは2016年が6人、2017年が9人、2018年が16人、2019年が8人、2020年が29人。同一レースでは昨年の東京で19人がサブテンを果たしているが、今回はそれ以上。世界的に見ても、サブテンの人数は史上最多というレベルだった。スタート時9時15分の天候は曇り、気温7.0度、湿度57%。ゴール付近となった11時20分は気温10度、湿度50%だった。風はほとんどなく絶好のコンディションに恵まれ、ペースメーカーも予定通りにキロ2分58秒ペースで進んだ。鈴木はトップ集団後方に陣取り、中間点を1時間2分36秒で通過。25㎞過ぎに井上大仁がペースを上げたときは対応せずに、仕掛けたのは36㎞過ぎだった。給水のマイボトルを取り損ねた鈴木は、そのままペースアップ。土方英和とサイモン・カリウキ(戸上電機製作所)を一気に引き離した。

 36㎞までの1㎞は3分04秒かかったが、37㎞までの1㎞を2分53秒に引き上げると、その後もキロ2分50秒台で押していく。そしてゴールまでのラスト5㎞を14分20秒台で走破。35㎞通過時は昨年3月の東京マラソンで日本記録を樹立したときの大迫より25秒遅れていたが、最終的には大迫の記録を33秒も上回った。2時間4分台というタイム以上に終盤の〝スピード〟が驚異的だった。「今季は10000m27分台を2回マークして、自分でもスピードがついた感触がありました。それをマラソンに生かしたいと思って取り組んできて、しっかりとかたちになったと思っています。中村匠吾さんと質の高いトレーニングをこなしたことも自信になりました。あと1年間大きな故障なくやれたことが一番大きかったですね」

箱根ではエース区間で区間賞、しかし社会人になり怪我で苦しんだ鈴木

 社会人3年目の鈴木は神奈川大3年時に箱根駅伝2区で区間賞を獲得して注目を浴びたランナーだ。当時から2020年の東京五輪を強く意識しており、大学4年時には2月の東京マラソンに出場。学生歴代7位(当時)の2時間10分21秒をマークしている。

 しかし、富士通入社後は故障に苦しんだ。2019年9月のMGCは7位に終わると、前年のびわ湖も12位(2時間10分37秒)と振るわなかった。マラソンでの東京五輪を逃した鈴木は、自分の身体を見つめ直して、ウエイトトレーニングを開始。フィジカルを鍛えるとともに、スピードを磨いてきた。その結果、大学時代は28分30秒16だった10000mの自己ベストを27分49秒16まで短縮している。昨年12月の日本選手権10000mは33位に沈んだが、元日のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)は6区で区間賞を獲得。年明けから本格的なマラソン練習に入り、今回の大記録につなげた。

 大迫が二度もゲットしたことで話題になった日本新記録の1億円(実業団マラソン特別強化プロジェクトの褒賞金)は支給されず、東京五輪のマラソン代表に選出されることもない。それでも鈴木は、「最後の大会で大会記録、日本記録を出せたことを誇りに思います」と笑顔を見せた。

1億円がもらえない?心配は無用だ

 1億円をもらえなかったことに可哀想という声もあるが、心配は無用だ。鈴木の2時間4分56秒は世界歴代57位タイ(アジア歴代2位)。男子100m9秒台は145人なので、その価値の高さがわかるだろう。2時間4分台の実力・実績があれば、今後はいくらでも稼ぐことができる。びわ湖毎日マラソンに賞金は設定されていないが、アボット・ワールドマラソンメジャーズ(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティマラソン)など世界のメジャーレースでは賞金がある。たとえば、東京マラソン2020は優勝が1100万円(2位が400万円、3位が200万円という具合に10位まで支給)。加えて日本記録で500万円のボーナスがあった。

 それから「招待選手」になれば出場料(世界トップクラスは1000万円を超える)も発生する。2時間10分台では世界的にメジャーな大会に招待されないが、2時間4分台の選手になったことで、今後は世界各地のレースから「招待」のオファーが届くだろう。また今後はスポーツメーカーから「スポンサー契約」の話も舞い込んでくるはずだ。男子マラソンの日本記録保持者という肩書きだけでなく、2024年パリ五輪の金メダル候補という評価を受ければ、その〝契約料〟も大きくなる。契約内容次第だが、さらに日本記録を更新することができれば、メーカーから夢のあるボーナスを受け取れる可能性もある。

 鈴木は強烈なスパートが魅力で暑さにも強い。世界選手権やオリンピックなどの世界大会でもメダルを狙える逸材だ。年齢(現在25歳)を考えても、今後はマラソンランナーとして〝大金〟を稼ぐ潜在能力は十分にある。故障なく、トレーニングを積み重ねることができれば、鈴木のマラソン人生にはバラ色の未来が待っていることだろう。

びわ湖毎日マラソン大会公式サイトより

酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。