2021年ローランギャロス開幕前の5月27日に、大坂は、自身のSNSで大会期間中の全会見を拒否すると宣言。「アスリートのメンタルヘルスについてあまり考慮されていないと感じていた」という大坂は、負けた選手への配慮に欠ける質問があるなど、会見の在り方も含めて痛烈に批判した。ローランギャロス大会自体やすべてのメディアを非難するものではないと断ったものの大きな物議となった。そして、自分が会見を拒否した時に科せられる罰金は、メンタルヘルスをケアする団体に寄付されればいいと皮肉った。

 大坂の言動を受けて、錦織圭は、
「彼女の真意がどこにあるのか、ちょっとわからない。話していないので。何とも言いづらい。なおみちゃんの場合は特に、そういう活動(黒人人種差別への抗議)もしていて、いろんな立ち位置的なところで、いろんな嫌な質問を聞かれることが、僕よりも断然多いと思う」と語り、彼女の本当の思いを知りたいとしつつ、「彼女が本当に病んでいたりしたら……」と心配もしていた。
 1回戦勝利直後のオンコートインタビューにはかろうじて応じた大坂は、言葉少なく足早にコートを去り、試合後の記者会見には、自らの宣言どおり姿を現さなかった。
 この大坂の行動を受けて、ローランギャロスだけでなく、オーストラリアンオープン、ウィンブルドン、USオープン、すべてのグランドスラムの共同声明およびペナルティとして、大坂に1万5000ドル(約165万円)の罰金を科した。
 もし今後も大坂が会見拒否を続けた場合、今回のローランギャロスからの追放、さらなる高額な罰金、そして、全グランドスラムへの出場停止という制裁も控える事態になり、一時は大坂のキャリア存続の危機にもつながりかねない厳しい状況になってしまったのだった。

 ただ、そもそも今回の大坂の言動でひっかかっていたのは、2020年USオープンの時の黒人人種差別行動への抗議を含めて、これまで実に思慮深い言動をできていた大坂が、なぜ今回に限って彼女らしくない行動に出たのか疑問だった。大坂にしては珍しく、あまりに性急であり過激で、正直驚かされたし、まるで別人のような彼女の言動が理解できなかった。
 そんな中で事態は急変して、5月31日に大坂はローランギャロスからの棄権を表明。さらに、うつで悩まされていることも打ち明けた。
「2018年USオープン以降、長い間うつに悩まされてきて、本当に対処するのに苦しみました」
また、ローランギャロスでの会見拒否についても弁明した。
「すでにパリで、私は傷つきやすくなっていたので、セルフケアとして記者会見を回避した方が良いと考えました。会見のルールがかなり古くさくなっている部分があり、注目してほしかったので、先んじて発表しました」

 大坂の棄権表明とうつの告白を受けて、子供時代から大坂が尊敬してきたセリーナ・ウィリアムズは、優しい言葉をかけてあげた。
「私が感じるのは、ただ一つ、なおみのために。彼女を抱きしめてあげたいと思った。私は、彼女のような立場になったことがあります。誰もが違うし、誰もが物事の扱い方も違います。彼女(大坂)がやりたいように、彼女が考える最良の方法で対処させてあげればいいのです。私が言えるのは、それだけです。彼女はベストを尽くしていると思います」

大坂が棄権を表明した時、試合中だった土居美咲は、戸惑いも驚きも隠せなかったが、負けた試合の直後であったのにもかかわらず大坂を慮った。
「ウィズドローする必要があるのかな……、あるよね、あるんだよね、やったんだから……。私としては今までも負けた時でも、気持ちを話す場があることによって、ある意味次に向かえる切り替えにもなる。それも仕事の一つとしてやってきたし、ある意味義務と思ってやっていた部分もあります。なおみちゃんのポジションになったことがないので、うまく言えないですけど。おそらくなおみちゃんも、この大会(ローランギャロス)に向けて一生懸命練習してきたはずですし、勝ち進むことを目標に絶対努力を重ねて来たはずなので、この決断に後悔しないかどうかがちょっと心配というか。なおみちゃんを含め選手全員が、グランドスラムという素晴らしい大会で勝つことをやっぱり目標にしている。私も一生懸命努力をしている。それでも勝つ時もあるし負ける時もある。その場を、戦う前に棄権せざるを得ない状況になったのは、それほどつらかったのかなと思います。今後、(大坂が)この決断を後悔しなかったらいいなと思ったりします」

 西岡良仁は、大坂に関する質問が必ずあると見越して、「僕はこの質問を拒否していいですか……。これ、言いたいなと思っただけです(笑)」と彼らしいユーモアで和ませてから持論を語った。
「聞かれたくないことを答えたくないのであれば、拒否できる権利がなおみちゃんにも存在する。なおみちゃんクラスになると、いろんな所に露出しているので、英語の質問が多くて、いろんな質問がある。僕にはわからない部分がたくさんあると思いますけど、彼女が答えたいか答えたくないか判断すればいい問題だったかなと思ってます。やろうとしていることはすごく正しかったですけど、その手順が早過ぎたかな。なおみちゃんの考えている人種差別問題だったり、今回のメンタルヘルスだったり、その行動力は尊敬に値する」

 そして、ローランギャロス大会主催者であるフランステニス連盟会長のジル・モレットン氏は、大坂へ謝罪してから次のように語った。
「大坂なおみのローランギャロス棄権という結果は残念でなりません。彼女が少しでも早く回復することを願っています。来年、われわれの大会でなおみと会えることを楽しみにしています」

物静かな女の子が、スターダムを駆け上がりわずか2~3年で世界的な有名選手になったことが、メンタルヘルスに影響か!?

 私が、大坂のプレーを初めて見たのは彼女が16歳の時で、パワフルにプレーするのとは対照的に、こちらからの質問には、聞き取るのが大変なくらい本当に小さなか細い声で答えていた。基本的に口数の少ない物静かで、日本のアニメや漫画が好きな女の子だったが、ここわずか2~3年で、大坂はグランドスラムで優勝し、世界ナンバーワンになって一気にスターダムを駆け上がった。
この急激な変化にさらされ、適応することは本当に大変だったと思う。幸い大坂は英語が堪能なので、記者会見で海外メディアからの質問の受け答えには問題なかったが、それでも立派に受け答えをしているなと感心することは何度もあった。
「もともと私は話上手ではありません。世界中のメディアの前で話す時、私は大きな不安を覚えます。本当にナーバスになりながら、いつもできる限り最善の回答を試みようとしてストレスを覚えるようになっています」という大坂の言葉を見ると心が痛む。
大坂のうつの症状がどの程度なのか、SNSの文字だけでは詳しくわからないが、選手のメンタルヘルス改善を訴えた大坂自身が、心身へのダメージを受けているのは間違いないだろうし、彼女が無理をしていたのだとわかり、やるせない。
ただ、チーム大坂のメンバーやエージェンシーのマネージャーもいるのだから、これまで適宜に大坂のうつ治療や対策がもっとできたはずなのではという残念な思いは残る。

「メディアに謝りたい」という大坂だが、一部のメディアや旧態依然とした慣例にあぐらをかいていたテニス4大メジャーであるグランドスラムにも、大坂を追い込んでしまった責任の一端はそれぞれにある。
大坂の一連のアクションを受けて、改めてメディアは、取材の際、選手との接し方、テニス競技への向き合い方を再考し、大会側も選手とのコミュニケーションを見つめ直すべきなのではないだろうか。
 例えば、日本の地上波テレビのスポーツ報道は、最近バラエティと混濁したような形で取り上げられることが多く疑問に感じる。まじめにスポーツを伝えようとせず、どこか面白おかしくしようとするきらいがある。専門知識が乏しく、現場で定期的に取材をしないタレントやお笑い芸人などの門外漢を起用してコメントさせることにどれほどの価値があるのか。ノンフィクションとフィクションの境界線があいまいになり、スポーツ報道の根幹が危ういことが実に多い。

 2018年USオープンで初優勝した直後に、東京で東レ パン・パシフィックテニスが開催された時、大坂の聡明さを目の当たりする場面があった。日本での凱旋大会とあって、普段テニスに注目しない地上波テレビがこぞって取材に押し寄せた。メディアからの取材攻勢をはじめ、周囲のあまりにも大きな変化と注目の大きさに、大坂は戸惑い、心労もあったのにもかかわらず、準優勝という結果を残した。その準優勝会見の一番最後にテレビクルーから質問があった。それは、試合を終え大会を去っていく選手にする質問としては明らかにふさわしいものではなかったが、大坂は怒りもせず、「大会最後の質問で、本当にその内容でいいの」と聞き返した。地上波テレビのスポーツ取材の質が、地に落ちた感が否めない場面だった。
当時20歳の大坂は、現在と同様に相手の質問をまじめに答えていたのだが、今思えば、大坂の頭の回転が良いだけに、場合によってはメディア対応が辛かったのだろうと考えさせられてしまう。
 加えて、本来メディアは応援するべき立場ではない。そんな当たり前のことを無視して、応援という言葉で専門知識がないことをごまかしながら、大坂らスポーツ選手を持ち上げる姿勢には辟易とされる。メディアなのに、応援という言葉を使うのは、個人的には一番卑怯だと思う。地上波テレビで多く見られるようになったスポーツ報道の稚拙さは、最近では目に余るものがあり、聡明な大坂のメンタルヘルスに悪影響を及ぼす可能性があると考えられる。

「少しの間コートから離れるつもりですが、しかるべき時が訪れたら、選手、メディア、ファンにとって、より良い物事が実現する方法を議論しながら、ツアーと取り組んでいきたい」
 ツイッターを締めくくる言葉には、いつもの心優しい大坂が戻ってきているようで正直ホッとした。最初のツイッター投稿は、おそらくうつの悪影響があったためと推察されるが、乱暴な発信ではあったため、もっと別のやり方があったのではという印象は拭えなかった。ただ、大坂によるメディアやプロテニスへの問題提起は、今回もなされたとはいえる。モレットン氏は、
「すべてのグランドスラム、(女子プロツアーの)WTA、(男子プロツアーの)ATP、ITF(国際テニス連盟)、私たちは、これまでと同様に、すべてのアスリートのウェルビーイングを重視し、メディアを含めたトーナメントでのプレーヤーの体験をあらゆる面で改善していきます」

 大坂からのメッセージを真摯に受け取った者たちの理解が得られ、新たな動きが始まろうとしている。
ただ、今は大坂自身がメンタルヘルスにダメージを受けているので、まずは長い目で彼女の回復を願いつつ、再びテニスコート上で元気なプレーを見せてほしいと思う。今後、うつの治療をしていくにあたって、ドクターあるいはカウンセラー、もしくはメンタルコーチをチームに招いて、継続的に大坂を見守る体制を築いていくべきだ。今回のような騒動の再発だけは防がなければならない。そして、会見でも再び大坂が、ユーモアとウィットに富んだ本来の彼女らしい知的な発言をできるようになることを楽しみにしたい。
 メディアをはじめ大会関係者や選手が、ツアーやグランドスラムで、大坂と笑顔で再会する時には、プロテニスが21世紀にふさわしい在り方へ向かって、改善への一歩を彼女と共に踏み出せていたらと思う。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。