ベッドに潜り目を閉じても、全身を駆ける熱は収まらない。ろくに眠れぬまま翌日の決勝で敗れた彼は、「一日早く喜びすぎてしまいました」と苦笑いをこぼした。ただその敗戦後の会見で、彼はこうも語っている。

「次のパラリンピックの時は、僕はもう36歳。正直、年齢的に厳しいかなと思っていましたが、モチベーションができました」

 国枝慎吾。現在、37歳。
 待ち望んだ、通算5度目のパラリンピックとなる東京大会に、彼は世界1位としてのぞむ。

◇ ◇ ◇

「プロとして、車いすテニスに専念したい」

 国枝がそう強く願ったのは、2007年のことだった。すでにその前年に、世界ランキング1位の座に到達している。当時は大学職員との二足のわらじだったが、後進への道を切り開くためにも、プロとして生きていくことを決意した。

 同時に彼自身の中で、プロ転向への必須条件は「翌年の北京パラリンピックでの、シングルス金メダル獲得」だとも設定していた。ダブルスの金メダルは、既にアテネ大会で獲得している。グランドスラムでの優勝、世界1位の座、そして、単複のパラリンピック金メダル——。それら誰にも文句を言わせぬ戦果を手に、プロになると自らに誓った。

 果たして彼は、その誓いを北京で実現する。しかも決勝までの全試合、セットどころか、1試合最多で3ゲームしか落とさぬ圧巻の強さを示してだ。かくして “絶対王者”の称号を勝ち取った彼は、2009年、プロ転向を宣言した。

 この国枝のパイオニア精神に、真っ先に賛同の意を示しサポートの手を挙げたのが、ユニクロである。当時のユニクロは急成長中のアパレル界の風雲児だが、スポーツ界との関わりは薄い。そんな両者を結んだのは、「世界ナンバー1」への情熱だ。

 柳井正社長が熱っぽく語った「私たちは世界ナンバー1を目指している」の言葉は、「今後も世界ナンバー1を長く維持していきたい」と熱望していた国枝の心に、共鳴する。また、自称「ものすごく汗っかき」の国枝にしてみれば、通気性に優れた材質のウエア提供も、このうえなく心強い。しかも素材は急ピッチで進化を続け、“ドライEX”を用いたウエアは、試着のたびに肌ざわりが格段に良くなるという。かくして国枝は、ユニクロという心強いパートナーを得て、プロの道を疾走しはじめた。

 「良くやっているなと思いますね。東京の招致が決まっていなかったら、リオで終わっていたかもしれないし」。あの時のプロ転向から12年経った今、自らが残した轍を振り返り、国枝はしみじみと言う。

 2016年のリオパラリンピックは、肘の痛みとの戦いのなか、シングルスは準々決勝で苦杯をなめる。しかも痛みはパラリンピック後も消えないため、長期ツアーから離れるとともに、肘に負担の掛からぬフォームを模索した。

 ラケットも複数試し、打ち方を変えては、依然肘を差す痛みに落胆する。ただそれでも投げ出さなかったのは、自らも招致活動に参加していた、東京パラリンピック2020という目標があったからに他ならない。

 さらには、悩みのトンネルの中にいた彼に、鮮やかな光を示した人物が居た。それが国枝も尊敬する、テニス界の生きる伝説こと、ロジャー・フェデラー。国枝がツアーを離れていた2017年初頭、膝の手術から復帰した当時35歳のフェデラーが、全豪オープンで頂点に立ったのだ。しかもフェデラーはその翌年も、全豪オープンを制する。

「フェデラーが全豪を連覇した2017年と18年……あれは見ていて、ものすごく勇気をもらった瞬間でした。自分自身ケガで悩んでいた時期だったので、フェデラーがもの凄いトップフォームでケガから戻ってきた姿には、勇気づけられました」

 同時にフェデラーの偉業達成は、国枝が自らに設けていた“年齢”の檻をも、大きく揺さぶる。

 「年齢についての考え方は、変わりましたね。以前はやっぱり、30代半ばくらいだと、スポーツ選手は引退するイメージだったんです。でもフェデラーは、それ以降でも活躍できることを見せつけてくれた。僕も37歳になりましたが、彼の活躍が今も上位をキープできている一つのモチベーションにもなっていると思います。まだまだいけるぞという考え方にしてもらえました」。フェデラーの背を追うように、国枝もまた肘のケガを乗り越えて、2018年の全豪オープンで涙の復活優勝を果たした。

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 くしくも、というべきか。あるいは運命のめぐりあわせだろうか。国枝が感銘を受けた全豪オープン連覇から半年後の2018年7月、フェデラーはユニクロとのウエア契約を締結し、世界中を驚かせた。

 見慣れた赤いロゴ入りのウエアをまとい、ウィンブルドンのセンターコートに立つフェデラーの姿を目にした時は、感動を隠せなかったそうだ。

 さらには、同じ“ユニクロ・ファミリー”となった事実は、これまでも親交のあった国枝とフェデラーの距離を、さらに縮める嬉しい効能をももたらす。最近ではその機会は、今年7月のウィンブルドン直後に訪れた。ウィンブルドンでの国枝は、同じくユニクロ・ファミリーの一員である、ゴードン・リードに初戦で敗れる。本人にとっては、相当にこたえる敗戦だったのだろう。試合直後は、「世界1位という数字が邪魔している」「このままでは東京で勝つのも難しい」と、自身への厳しい言葉が口をついた。

 その敗戦からほどなくし、国枝とゴードン、そしてフェデラーを交えての超豪華リモートミーティングがユニクロの計らいで行なわれた(※1)。国枝は、敬愛するフェデラーに真っすぐに問うたという。

「今年はウィンブルドンでゴードンに負けてしまった。あまりゴードンには聞かれたくないが、芝でどのようなプレーをするのがいいか迷っている。芝での闘いにはどんなプレーが有効か?」

 その国枝の問いに、ウィンブルドン8度の優勝を誇る芝の帝王は、こう答えた。

「芝でのプレーは、悩んではダメだ。自分自身が決めたことを貫け」

 フェデラーのこの言葉は、「今年は、色々と悩みながらのプレーだった」という国枝の心に重く響く。フェデラーの助言が効いたのだろう。ウィンブルドン後に出場したブリティッシュ・オープンでの国枝は、迷いなきプレーで、決勝までセットを落とすことなく勝ち上がった。決勝では敗れるも、「調子が上がってきた。自分自身手ごたえを感じているし、パラリンピックに良い状態で臨めるかなと思っています」と明言する顔に、ウィンブルドン直後の迷いの影は一切ない。

 加えて、これまで彼を苦しめてきた「ランキング」の靄も、今はきれいに晴れている。

「ランキングは、ここまで来たら関係ないです。トップ4はみんな、金メダルの可能性を持っていると思うので。環境もいろいろと、東京では違ってくると思うんです。めちゃめちゃ暑い気候にも適応できた選手、そしてプレッシャーに勝つ選手が、最後に金メダル取ると思う。だから僕はランキングは関係なく、自分自身精いっぱいのプレーをしたいなと思っています」

 そう語る国枝が、東京パラリンピックで真に叶えたいと願うのは、一個人の枠を超えた壮大なスケールの夢だ。 

「今の車いすテニス界には、僕以外にも面白いプレーをする選手がたくさんいる。海外のすごい選手たちのプレーも見てもらい、車いすテニスのファンを増やしたいと思っています」

 目に強い光を宿し、自らの言葉にうなずく国枝。もっとも彼は、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべて、こうも続けるのだが。「あ、一番は僕の金メダルですけどね」……と。

 車いすテニス界の第一人者としての使命感、プロとしての高邁な理想、そして、いちアスリートとしての峻烈なまでの勝利への渇望——。それら全てを胸に抱き、国枝慎吾が、集大成の夏に挑む。



※1:ITF(国際テニス連盟)とユニクロとの共同で、車いすテニスの魅力を伝える活動として、国枝とゴードンがフェデラーとオンライン対談を実施。8月下旬頃、配信予定。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。