ウィズコロナの原点
角界で有力後援者を指す隠語に「たにまち」がある。大阪の谷町に大の相撲好きの医者がいて、治療に来る力士からは診察料を取らないどころか、食事などもごちそうしたことが語源とされる。現代でも春場所の館内から、ひときわ熱い声援が飛ぶ。会場のエディオンアリーナ大阪ではコロナ禍以前、取組を終えて支度部屋を出た関取衆が一般のファンに交じって帰途に就くこともあるなど、距離感の近さも特徴だ。
大阪で観客を入れての本場所は3年ぶりとなる。2年前は史上初の無観客で開催された。未知の敵だった新型コロナの感染拡大が進み、プロ野球やサッカーのJリーグなど他のスポーツが軒並み取りやめになった中での実施。2020年は場所中に1人でも協会員に感染者が出ると途中打ち切りも辞さない方針で、15日間をやり遂げた。いわば「ウィズコロナ時代」の原点ともいえる。
今回は来場者の枠を増やす。1月の初場所までは定員の約50%を上限としていたが、今回から75%に引き上げる。2年前はまだ新型コロナへの対処が始まったばかりだったが、年月を経て経験値が高まり、他のスポーツイベント同様、適切な予防策や感染拡大防止策を取れるようになってきた。
ただ、変異株「オミクロン株」の収束がまだであることの影響は避けられなさそうだ。初日まで1週間を切った時点で、土俵のある1階の升席に比べ、2階のいす席でチケットの売れ残りが目立つ。本場所のテレビ中継が一定の視聴率をキープしていることを鑑みると、お年寄りをはじめ、観戦意欲が湧きにくいのも無理はない。
あぶり出される部屋の力
土俵にも響いてくる。相撲協会は2月9日時点で、1月の初場所後に累計252人の協会員が新型コロナ陽性と判定されたと公表した。感染力の高いオミクロン株の猛威が及んだと言っていいだろう。普段は番付発表の数日前から原則的に不要不急の外出禁止とするところを、今回は番付発表の約1週間前から措置を講じた。2月25日の協会員へのPCR検査に備えるためで、仮にここで陽性を示しても隔離期間などを経て春場所出場を可能にすることを見越しての施策だった。
ただ、陽性者が大勢判明した分、従来とは異なる準備を余儀なくされた部屋も増えた。ある部屋では、感染者が出たために2月中旬まで全体での稽古が中止となった。コロナ禍の中では、部屋間を行き来する出稽古の禁止が継続している上に、毎場所前に両国国技館の敷地内にある相撲教習所で実施されていた合同稽古も今回はなし。合同稽古の常連力士は「自分に取っては痛いですね。他の部屋の人とやって自分の状態を確かめられたり、少しずつでも自信を持てるようになったりしていました」と明かした。
出稽古が禁止になったのが2年前の春場所後からだった。貴重な鍛錬の場となる出稽古ができないことで、長い目で見れば部屋ごとの鍛錬の工夫が本場所での成績の差として出てきかねない。例えば荒汐部屋は今場所、若隆景が新関脇に昇進したり、荒篤山が新入幕になったりと活性化し、充実した稽古が想像される。新型コロナ禍で部屋単位の日常的な取り組みがあぶり出される可能性がある。
大関候補に不祥事力士
本場所に目を向けてみると、波乱が多かったかつてとは様相が異なり”荒れない春場所”になっている。2001年以降は横綱、大関陣が賜杯を抱くことが継続し、東京開催の昨年に当時関脇の照ノ富士が優勝するまで潮流が続いた。2年前、来場者がいない異様な雰囲気の中で千秋楽に白鵬、鶴竜の両横綱が千秋楽相星決戦で相まみえたのも記憶に新しい。一方で、3月の本場所では昨年まで3年続けて場所後に大関が誕生。3年前が貴景勝、一昨年は朝乃山、昨年が照ノ富士だった。今場所は若隆景と阿炎の両関脇がともに新昇進。豊昇龍も新小結に上がって大関争いも激しくなる流れで、次に昇進しそうな力士が名乗り出ることもあり得る。
昨年12月に違法賭博関与の疑いが発覚した英乃海と紫雷の動向も気掛かりだ。初場所は師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)の判断で全休。初場所後に下された処分は紫雷がけん責、英乃海は1場所出場停止だったが、初場所の休場が処分に当たるとして、ともに春場所から復帰できる。英乃海は幕内から十両へ、紫雷は十両から幕下へ転落して迎える。また、新型コロナ対策のガイドラインに違反し、原則的な外出禁止期間に女性と会うために計25度も不要不急の外出を繰り返したとして昨年5月に3場所出場停止処分を受けた竜電が、幕下生活を経て十両に復活した。15日間登場することになる。これらの力士たちにとっては、自らまいた種とはいえ、ファンの前で土俵に上がること自体が試練となりそうだ。
最後に、テレビさじきにおける少々細かい注目点もある。春場所後には相撲協会が新体制に移行し、1年に1度の職務分掌がある。間垣親方(元横綱白鵬)は現在、花道警備に従事しているが、新しい担務で別の部署に異動すれば、協会ジャンパーを着用して警備する姿がテレビ画面で見られるのも最後になる可能性がある。また、審判委員に任命されるとNHKのテレビ解説は行わないのが通例。それゆえに、特に若手で審判未経験の親方衆のテレビ解説が春場所を最後にしばらく遠ざかることも十分考えられるだけに、ごひいきの若手親方の解説姿を録画しておくのは一興かもしれない。