事の発端は、ウィンブルドンの開催場所であるオールイングランドテニスクラブ(以下AELTC)とウィンブルドン大会委員会が、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を支持しない意思表明として、ロシア選手とベラルーシ選手を、ウィンブルドン2022に出場させないことを4月に発表したことだった。

 5月20日には、ウィンブルドンへの対抗措置として、男子プロテニスワールドツアーを統括するプロテニス協会(ATP)、女子プロテニスワールドツアーを統括する女子テニス協会(WTA)、車いすテニスツアーやジュニア大会などを統括する国際テニス連盟(ITF)が、2022年大会に限り、世界ランキングに必要なポイントをウィンブルドンでは付与しないことを発表した。

「ポイント無しでウィンブルドンをプレーしたら、まるでエキシビションのように感じるのではないでしょうか。そうじゃないかもしれないけど、私の脳はそう感じます。エキシビションのように感じてしまったら、100%で臨めません」

 こう語った大坂は、ウィンブルドンの前哨戦の一つであるWTAベルリン大会に出場するかもしれないと語っていたがキャンセル。この時点で、ウィンブルドン欠場も決まったようなものだった。

ATP、WTA、ITFとウィンブルドンで対立するそれぞれの言い分

 ATP、WTA、ITF、そしてAELTC&ウィンブルドン大会委員会、4者それぞれの言い分を詳しく紹介していきたい。まず、ATPの声明から、

「どのような国籍の選手であっても、実力主義で差別なく大会に参加できることは、私たちのツアーの基本です。ウィンブルドンが、今夏のロシアとベラルーシの選手のイギリスでの出場を禁止する決定を下したことは、この原則とATPランキングシステムの整合性を損なうものです。これは、われわれのランキング協定とも矛盾しています。
 状況の変化がない限り、非常に遺憾であり、不本意ではありますが、2022年ウィンブルドン大会からATPランキングポイントを削除する以外に選択肢はありません。私たちのルールと合意は、プレーヤー全体の権利を守るために存在しています。このような一方的な決定は、もし対処されなければ、他のツアーにとって有害な先例となります。個々の大会による差別が、30カ国以上で運営されているツアーで行われることはありません。
 私たちは、ウィンブルドンおよびローンテニス協会(LTA、イギリスのテニス協会)との長年の関係を非常に重視しており、最近のイギリス政府の指導に対応するために直面した困難な決断を過小評価するものではありません」

続いてWTAのCEOスティーブ・サイモン氏は、

「WTAは、ロシアが続けている攻撃を強く非難します。何よりもまず、私たちは平和とウクライナの戦争が終わることだけを願っています。
 約50年前、WTAは、すべての選手の実力に基づき、差別なく競技する機会が平等に与えられているという基本原則のもとに設立されました。WTAは、個々のスポーツに参加する選手が、国籍やその国の政府が下した決定だけを理由に、ペナルティを受けたり、競技を妨げられたりしてはならないと考えています。
 AELTCとLTAが最近行った、今後イギリスで開催されるグラスコート大会への選手の出場を禁止する決定は、WTA規則、グランドスラム規則、およびWTAがグランドスラムと結んでいる協定に明確に盛り込まれている基本原則に違反するものであります。
ウィンブルドンへの参加にWTAランキングを使用する義務を守らず、実力に基づかない部分的なフィールドで進めるというAELTCの立場を受けて、WTAは今年のウィンブルドンにWTAランキングポイントを与えないという難しい決定を下しました。
 私たちが取っているスタンスは、WTA選手が個人として競い合うべき平等な機会を守ることなのです。もし私たちがこの姿勢を取らないのであれば、私たちの基本原則を放棄し、WTAが世界の他の大会や他の地域で国籍に基づく差別を支持する例となることを容認することになるのです。WTAは今後もそのような差別を拒否するルールを適用していきます」

そして、ITFの声明を紹介する。

「大会主催者(今回の場合はウィンブルドン)が、ITF公表のオープンエントリー基準と矛盾するエントリー基準を(選手へ)一方的に押し付けることは許されません。したがって、ITFは、その規約に従い、ランキングポイントを撤回する権利を有します。ITFは、ロシア人およびベラルーシ人を禁止するウィンブルドンのエントリー基準は、プレーヤーがランキングポイントや賞金を獲得するための同等の代替機会がないため、国際大会、特にランキングシステムの整合性を損なうと判断しています。
 この難しい決断は、実力に基づく国際大会へのオープンエントリーの原則を守り、ITFのテニス国際大会の完全性を保護するための措置としてとられたものです。ITFの立場としては、ロシアとベラルーシの選手には引き続き中立的な立場で参加する資格があるということに変わりはありません」

 すべての関係者が合意し、選手が統一された環境で競技する機会を与えられるような解決策が見つかれば、ポイントの発行を見直す可能性はあるとして、ATPもWTAも話し合いの門戸は開いていた。だが、ATP、WTA、ITFの決断を受けて、AELTCとウィンブルドン大会委員会は、即座に次のようなコメントを出した。

「今年のチャンピオンシップ(ウィンブルドンはチャンピオンシップとも呼ばれる)へのロシアとベラルーシの選手のエントリーを拒否するという私たちの決定について、意見が分かれることを理解し、この決定が個人に影響を与えることを深く反省しています。
 ATP、WTA、ITFが、大会(ウィンブルドン)のランキングポイントを削除するという決定を下したことに深く失望していることを表明したいと思います。これらの決定は、例外的で極端な状況や私たちが置かれた立場からすると不釣り合いであり、ツアーで戦うすべてのプレーヤーに損害を与えるものだと考えています」

 さまざまな要因を慎重に検討し、イギリス政府からの指導に従ったというウィンブルドンは、プレーヤーやその家族の安全を脅かすような行動をとることはできないし、大会での成功や参加が、ロシア政権のプロパガンダ(政治的宣伝)に利用されることを容認できないとした。

 グランドスラム20勝のノバク・ジョコビッチ(セルビア)によれば、他のグランドスラムや、ロシアとベラルーシをはじめとしたプロテニス選手たちには何ら相談もなかったという。いわばウィンブルドンによる独断であったことや選手サイドとのコミュニケーション不足であったことがうかがえる。

 結局、両者の意見は平行線を辿ったまま、ウィンブルドン開幕(6月27日)を迎えようとしている。

選手たちの反応もそれぞれ

 新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、感染拡大が続いてワールドプロテニスツアーの中断を余儀なくされた時、プロテニスは一致団結した。

 2020年4月21日、ランキング下位選手の経済的救済として、ATP、WTA、ITF、そして、グランドスラムの、オーストラリアンオープン、ローランギャロス(全仏)、ウィンブルドン、USオープン、合計7団体が、未曾有の困難に直面している選手を救済する「プレーヤーレリーフプログラム」を起ち上げたのだった。

 だが、ロシア軍事侵攻では、ウィンブルドンの独断によって、プロテニスの分断が起きてしまった。
もちろん新型コロナウイルスのパンデミックが終息していないのにも関わらず、世界の混乱をさらに招くようなロシアの暴挙は決して許されるものではない。現在、ツアー大会や関連ホームページでは、ロシアとベラルーシの国名表記と国旗表示が認められず、ロシア選手とベラルーシ選手は、個人として活動を続けている。もともとプロテニスプレーヤーは、経済的に独立したプロフェッショナルであり、個人事業主であり、そして、コスモポリタンともいえる存在だが、それが際立つような形になっている。

 男子世界1位のダニール・メドベデフ(ロシア)は、ウィンブルドン2022年大会に出場できないが、「もしプレーできないのなら、次の大会の準備をしていくつもり」と、個人の力ではコントロールできないことだと割り切っているようだ。

 選手の意見もさまざまだ。グランドスラム男子最多22勝のラファエル・ナダル(スペイン)は、思慮深く中立の立場を表明した。

「自分は明確な意見を持っているわけではありません。われわれのツアーでは、選手みんなそれぞれが異なった意見を持っている。私は両サイドを理解しています。ウィンブルドンも、選手を守るATPもリスペクトし、理解しています」

 一方、昨年ウィンブルドン男子シングルスで優勝したジョコビッチは、ウィンブルドンでプレーする予定だが、どんなに良い結果を残しても2000ポイントを失うことになり、ナダルより明確な意見を述べている。

「間違った決断だと思う。全く支持しない。もちろんグランドスラムはグランドスラムです。ウィンブルドンは、私にとっていつも子供の頃から夢の大会でした。ポイントや賞金の視点から見ているわけではありません。何が正しくて、何が間違いなのか言うのは本当に難しい。誰かをより苦しめるような決断であり、状況になっている。いわば、誰にとっても、“lose-loseの状況”だ」

 昨年女子シングルスで準優勝したカロリナ・プリスコバ(チェコ)は、同様に1300点を失うが、ウィンブルドンに出場する予定だ。

「かなり厳しく不公平な悪い決断だったと思う。私は、ポイントやお金のためにプレーしたいのではなく、ただ勝ちたいし、成功したいし、優勝トロフィーを手にしたいのです。政治的であるため下された決断を変えるのは難しいと思う。ゲームを愛し、プレーを愛するならば、どんなことがあってもプレーするでしょう。もちろんけがをしていたり、遠征費が無かったり、すべての選手の置かれている状況が違うことも私は理解しているつもりです」

 選手は自分が置かれている状況によって、対応が難しくなる場合もあるだろう。ウィンブルドン独断への対抗措置ではあったが、実際にトラブルに見舞われるのはウィンブルドンに出場予定の選手たちであり、ポイント差が他者と僅差である世界ランキング100位台ぐらいで、特にウィンブルドンに出場できるかどうか(本戦も予選も含めて)、当落線上にある選手たちは気が気ではないだろう。世界ランキングは、基本的に過去52週間で出場した大会の成績に応じて計算されるもので、選手によっては、ウィンブルドンでの成績如何で今後のキャリアへ何かしらの影響を及ぼすことだってあり得るはずなのだ。

 今回の分断では、イギリス政府の思惑が絡み政治的なことも含まれるが、実際のところウィンブルドン自体は痛くもかゆくもなく、苦しむのはウィンブルドンに関与するプロテニスプレーヤーたちであるといういびつな矛盾が生じており、何とも解せない。

 6月14日には、グランドスラム第4戦・USオープンの主催者であるUSTA(アメリカテニス協会)は、ロシアとベラルーシの選手が2022大会に出場することを認めた。ただし個人資格での出場となる。ここでもさらにウィンブルドンの独断が浮き彫りとなる形になった。

プロテニスの分断により、テニスにとって、何が不幸か露呈した

 2020年USオープン優勝者のドミニク・ティーム(オーストリア)は、ローランギャロス1回戦で敗れた後、「俯瞰すれば、ウィンブルドンやわれわれテニス界のことなんて些細なことです。本当の問題はウクライナで起きていることです。少しでも早くウクライナに再び平和が戻ることを願いたい」と語ってみせた。ティームの意見は100%正論であり、全くそのとおりだと思う。

 1939年に旧ナチスドイツがポーランドへ侵攻して第2次世界大戦への引き金となったが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が、第3次世界大戦になることは決してあってはならない。人類は歴史的な過ちを二度と繰り返してはならない。

 ロシア専制主義と真っ向から対峙する民主主義という構図が成り立つのかもしれないが、戦争はいかなる理由をもってしても正当化されるべきではない。ある日突然、軍事力によって一般市民の日常や命が奪われる、これほど理不尽なことはない。何事も平和があってこそで、平和が維持されなければ、それこそプロテニスツアーの興行どころではない。

 最後に、ATPは次のような非常に興味深い声明も残している。

「プロテニス界全体は、統一された統治機構を持つ必要性が再び浮き彫りになっています。このような性質の決定(選手の出場可否やランキングポイントの有無)を共同で行うことができるよう、プロテニス界全体で統一されたガバナンス体制の必要性が、改めて示されたと考えています」

 今後、ウィンブルドンの独断を許さないようなプロテニス界の世界的統治組織が、本当に実現できるのか見守らなければならないが、それは優先順位の高い仕事に思える。

 なぜなら、今回のプロテニスの分断を受けて、グランドスラム、男子プロテニスツアー、女子プロテニスツアー、ツアー下部大会などが、それぞれ別の組織で統括および運営されているのは、実はテニスにとって不幸なことなのではないか、と考えさせられるからである。

 また、昔からウィンブルドンは、われこそが世界一のテニス大会だという傲慢な姿勢が見え隠れするが、それを評価するのは選手であり、メディアであり、協力企業であり、投資家であり、観客であり、そしてすべてのテニス愛好者だ。ウィンブルドンの独断が無ければ、今回のプロテニスの分断は無かった。今後、ウィンブルドンの姿勢に改善が見られることを願いたい。

 パンデミックが起こった時、グランドスラム20勝のロジャー・フェデラー(スイス)は、「今こそ、男女テニスが一つになる時だと考えているのは、僕だけだろうか」とSNSでつぶやいて、複数の関係者から共感を得た。現状では絵空事かもしれないが、数十年後の実現に向けて、既得権益に縛られ柔軟性のない思考力に陥ったオールドタイプだけに頼るのではなく、今までにないような発想のできる若いニュータイプの力も借りながら、われわれは、21世紀におけるプロテニスの理想と未来を模索し、新しい時代を切り開いていくべきなのではないだろうか。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。