一門の先輩

 玉鷲は突き、押し一筋。四つ相撲に比べて波があるといわれ、抵抗する相手を押して土俵から出して大勝ちするのは並大抵のことではないが、見事に貫いて2度目の賜杯を抱いた。力強さの象徴だったのが千秋楽の高安戦。敗れれば優勝決定戦にもつれ込むところだったが、目の覚めるような当たりから右おっつけで機先を制していなしで崩し、左喉輪を繰り出して重い相手を一方的に土俵から出した。

 特筆すべきなのは、部屋が小所帯にもかかわらず強さを維持している点だ。所属する片男波部屋の力士数は秋場所時点で4人。しかも十両以上の関取は本人だけで、新型コロナウイルス禍で満足に出稽古ができない状態も続いてきた。本場所で好成績を収められないと身の回りのせいにしてもおかしくはないが、稽古を工夫することでハンディを乗り越えている。複数の若手力士を前に立たせてのぶつかり稽古。さらには複数の相手と同時に相撲を取るという普通ではあり得ないような鍛錬を積み重ねてきた。創意工夫の跡が189㌢、174㌔の堂々たる体に詰まっている。

 玉鷲といえば部屋の大先輩、故横綱玉の海への思い入れをよく口にするが、同じ二所ノ関一門の大先輩に当たる横綱初代若乃花の境遇を想起させる部分がある。初代若乃花の花籠部屋は師匠の元幕内大ノ海の独立当初は小勢力。若乃花(当時は若ノ花)は部屋単位の巡業での様子を次のように生前の著書に記した。「この関脇時代、巡業の苦しさをいやというほど味わった。横綱のいる部屋はお客さんのたくさんいる都市部で巡業をやれたが、我々は小部屋の若ノ花一行で主役は私一人。(中略)土俵を空けられないから早朝からぶっ通しで土俵に上がりっ放しだった」(『私の履歴書』)。こちらも当該時期は若い衆に胸を出す稽古が中心。この鍛錬をしっかりこなすことで力を伸ばし、後に〝土俵の鬼〟の異名を取った。

朝乃山の黒星

 秋場所のサプライズの一つは朝乃山が幕下の土俵で敗れたことだった。大関時代に新型コロナウイルス対策のガイドラインに反してキャバクラに通うなどし、昨年6月に6場所出場停止の処分を受け、今年の名古屋場所で三段目から本場所に復帰した。体は元気なままでの長期離脱で番付が降下したため、対戦相手が幕下以下ともなると力の差は明白。187㌢、170㌔で臨んだ名古屋場所では当然のように7戦全勝優勝した。

 秋場所では東幕下15枚目に上がった。幕下15枚目以内で7戦全勝すると十両昇進の有力候補になるため、復活ロードを見届けるファンの期待も高まった。しかし6番相撲で阿武松部屋の勇磨に敗れてしまった。立ち合いから攻め込んでいったが、土俵際で相手の突き落としに前のめりに崩れた。来場所での十両復帰の可能性は断たれ、早くて来年1月の初場所までお預けとなった。朝乃山は「頭の中が真っ白になりました。本当に悔しかったです」と明かした。馬力の違いは明らかだったのに勝ち急いでしまったのか、勇んで出ていったところに落とし穴が待っていた。

 親方衆や力士から口々に「本場所の1番は稽古場の何番分にも相当する」という説明を聞いたことがある。観客の前で土俵に上がり、所作を行った上で相撲を取る緊張感は稽古場では得がたいもの。「相撲勘」や「土俵勘」と言う言葉があるように、スポットライトを浴びた闘いの場に立たないと分からない感覚がたくさんある。その点、玉鷲は初土俵以来、1463回連続出場(新型コロナ関連の休場を除く)と現時点で史上3位に到達している。「若手に負けたくないという気持ちが一番です」と精神面の充実も衰えておらず、現役力士の誰よりも本場所を継続して務め「土俵勘」を常にキープ。秋場所でもさえ、13勝2敗の成績をもたらした。

37歳の偶然

 玉鷲と優勝を争った高安は32歳。ベテラン同士の賜杯レースは時代の流れもある。数十年前などと比べると平均寿命が目に見えて長くなっている。医療技術の発達が一因と考えられ、力士の体のケアも進化している。例えば、鶴竜親方(元横綱)は現役時代、けがの治療のために自らの血液を利用した「再生医療」を施すなどして35歳まで横綱を張り続け、優勝6度。稽古を補完するトレーニングも科学的な研究が進んでいる。

 同様の現象がくしくも玉鷲の優勝決定と同じ9月25日、ドイツのベルリンで起きた。ベルリン・マラソンの男子で、同じ37歳のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間1分9秒の世界新記録をマークしたのだ。しかも2018年の同大会で自身がマークした記録を一気に30秒も縮め、2位に4分49秒の差をつける圧巻の走りだった。「いまだに私の精神は前進し、体はトレーニングの成果を吸収しています」と玉鷲と同じように、全く老け込んでいないコメントだった。

 競技は違えど、どちらも土台となっているのは健康。体が資本の力士にとって9月には心強い援軍もついた。日本相撲協会が、線虫を利用してがんの早期発見を手がける「HIROTSUバイオサイエンス」と9月1日付でオフィシャルパートナー契約を締結。力士ら、希望する相撲協会員に年1回無償でがんの一次スクリーニング検査「N―NOSE」が提供されることになった。秋場所中にも国技館内に特設ブースが設置され、来場者へのPRも行った。

 新型コロナウイルス感染による休場が相次いだ名古屋場所から一転、秋場所では力士に新型コロナ感染者は出なかった。体の大切さが再認識された中、置かれた環境を言い訳にせずに歩み続ける玉鷲が栄冠にたどり着いたことは、世の中に対しても前向きなメッセージになったと受け取ることができる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事