豪華ゲストによる今までにない断髪式
優勝回数に加え、通算1187勝、横綱在位84場所で899勝、幕内1093勝などなど…。他の追随を許さない数々の最多記録を打ち立てた大横綱。その功績をたたえるかのように、引退相撲はど派手な演出で幕を開けた。オープニングセレモニーには、宮城野親方と親交のある歌舞伎俳優の市川團十郎が登場。伝統的な演目の「三番叟」を披露し、ファンから大きな拍手が送られた。
続いて館内を盛り上げたのは「白鵬最後の相撲」だった。トレードマークとも言える茶色の締め込みを着け、土俵の上へ。甥で現在は同志社大相撲部に所属するバトジャルガル・ムンフイデレさんらに稽古をつけ、最後は長男で中学2年生の眞羽人さんと相撲を取った。仕切りを繰り返す度、現役時代さながらに次第に顔を紅潮させ、体一面に汗をかいていく宮城野親方。館内から「まはとー!」との声援も飛ぶ中、時間いっぱい。立ち合いから当たりを何度も受け止め、最後は押し出されて最後の一番を終えた。
宮城野親方は「自分も精いっぱい務めたかったですしね。長男の今後の人生も長いわけで、どういう職業につくか分かりませんけど、この思い出を胸に白鵬家を守り続け、一生懸命やってくれればと思い臨みました。負けてしまいましたけどね」と、現在はバスケットボールに熱中する愛息への思いを明かした。
また最後の横綱土俵入りでは、次代を担う後輩たちへの思いも込めた。太刀持ちに初場所を制した大関・貴景勝(常盤山部屋)、露払いに関脇・豊昇龍(立浪部屋)を従えた。貴景勝は、綱を張った自身と同じ角界の看板の重圧を背負う大関。豊昇龍は、現役時代にライバル関係を築いた元横綱・朝青龍の甥という縁もあった。
宮城野親方は「やっぱり横綱、大関は協会の看板力士。今後の大相撲を支えていかないといけない立場で(貴景勝は)責任感があると自分は思っていました。その中でも初場所で優勝した人を必ず太刀持ち、露払いにつけたい思いもありました」と大関を指名した理由を説明。さらに「私もモンゴル出身でもありますから、モンゴルの若手で一番脂がのっている期待がある豊昇龍を選びました。叔父さんとの縁もありますし」と語った。
大役を果たした2人も感激の面持ちだった。貴景勝は「人生で初めての経験。大横綱の太刀持ちをやることができて光栄です。良い経験になりました。強くなることが全ての人への恩返しになると思うので、頑張らないといけないと思います」と頭を下げた。初場所後に依頼を受けたという豊昇龍は「(露払いは)初めてでした。緊張しました」と話した。
宮城野親方にとっては、2021年名古屋場所千秋楽以来、約1年半ぶりとなる不知火型横綱土俵入りの披露だった。最後の晴れ舞台に備えて、筋力トレーニングなど稽古も重ねてきた。2007年夏場所後に横綱に昇進してから15年。土俵入りに関しても百戦錬磨のはずだったが「何点かわからないですけど、久しぶりすぎて緊張しました」と苦笑いを浮かべた。
そして歌手・GACKTの「君が代」日本国国歌独唱、オペラ歌手のアリウンバタール・ガンバタール氏によるモンゴル国歌独を経て、引退相撲の「メインイベント」とも言える断髪式へ。交友の広い宮城野親方らしくはさみを入れた人々は政財界、スポーツ界、芸能界など多岐に渡った。森喜朗氏、鳩山由紀夫氏の首相経験者、トヨタ自動車社長の豊田章男氏、プロ野球巨人の原辰徳監督、山下泰裕・JOC会長、X JAPANのYOSHIKI氏、歌手の松山千春氏ら、ここでは書ききれないほど錚々たる面々だった。
断髪の最後は角界関係者
もちろん角界関係者も多くの人たちが駆けつけた。二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)、鶴竜親方(元横綱)、元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏、現役横綱の照ノ富士(伊勢ケ浜部屋)らがはさみを入れた。断髪式開始直後から、こみ上げてくるものがあったようだった。宮城野親方は「本当にはさみを入れた瞬間に(まげが)もうなくなるんだな、始まったなという思いと。そして先輩、ライバル、後輩、後援会、応援してくれる人たちとひとつひとつの思い出がありますから。それがフラッシュバックというか、思い出して、気持ちの整理がつきませんでした。本当にこういう場面は初めてですし、もう気持ちの浮き沈みがあって大変でした」と心境を明かした。
眞羽人さんが、亡き父のムンフバトさんの遺影を手渡し、この日に75歳の誕生日を迎えた母・タミルさんに土俵の横ではさみを入れてもらうなど、着々と断髪式が進行していった。まげとの別れが近づいていく中、大横綱の涙腺が崩壊したのは、元日馬富士のビャンバドルジ氏がはさみを入れたときだった。
若い頃からしのぎを削った同氏からは肩をたたかれ、頬にキスもされた。何やら言葉をかけられると、宮城野親方の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、目や頬を何度も拭った。断髪式後には「言っていいのかな?本人に聞いた方がいいんじゃない?」とはぐらかしつつも、「日馬富士関がちょっとずるい言葉を使ってきたので。ずるいというか深い言葉で、思わずぐっときた。『同じ土俵で戦って誇りに思います』という感じですね」とメッセージの一端を明かした。
そして冒頭の間垣親方による止めばさみの場面へと向かった。2000年10月に角界入門を目指してモンゴルから来日した当時は175センチ、62キロ。宮城野親方本人の言葉を借りると「もやしっ子」だったという少年を拾ってくれたのは、当時の師匠の間垣親方だった。宮城野親方は「あー、ここで全て終わったな、と。優しすぎるぐらいの師匠のもとで相撲をとることできて感謝の気持ちとともに、いろんな気持ちがこみ上げてきました」と恩人へ頭を下げた。
涙を誘う家族愛
感動が館内を包む中、さらに胸を熱くさせたのは家族からの花束贈呈だった。三女・眞結羽さんが「前は頭を触れなかったけど、もうまげがないから、お父さまが頭をナデナデしてくれた分、私がお父さまの頭をい~っぱいナデナデしてあげます。世界で一番愛しているよ」とメモも見ずに健気に話すと、温かい拍手が起きた。父は「いつ練習したかわかりませんが、頭に全部入っていて感動しました」と思わず目尻を下げた。涙を流していた紗代子夫人は「胸がいっぱいで、お疲れさまと言うだけでした」と振り返った。
クライマックスは土俵上での挨拶後だった。まず宮城野親方は「20年の力士人生の中で、横綱を務めた14年間、皆様に夢と希望と勇気を少しでも与えられた相撲人生であれば、私は本当に幸せ者だと思います。そして自分を褒めたいと思います」などと、駆けつけたファンへメッセージ。その後、聖地・国技館の土俵にひざまずくと、次に額をつけた。「横綱、大関を一日でも早くつくって再びこの土俵に返ってくる約束と感謝の気持ちです」と理由を明かした。
整髪をしたのはあのカリスマヘアデザイナー
まげを落とした宮城野親方は、新しいヘアスタイルへ。整髪を担当したのはアデランスのエグゼクティブデザイナーとして活躍する野沢道生氏だった。同氏は独自の美容理論で、流行のヘアスタイルを次々と生み出してきた元祖カリスマヘアスタイリスト。一般人から芸能人、著名人まで高い支持を集め、個性を生かした表現性の高い「似合わせの達人」としても名をはせている。数々のテレビ番組にも出演、カリスマ美容師ブームの立役者とも言われている。
爽やかな短髪スタイルへと姿を変えた宮城野親方は、似合っているという声を聞くと「本当ですか?やっているときにだんだん若返っているなという感じがしました」と、うれしそう。「大勢の方々にはさみを入れてもらいましたから、その分、思ったより少なくなってしまった」とジョークで笑わせつつも、「やりづらさはあったでしょうけど、やっぱり職人技で仕上げてくれた。100点満点です」と満足げな表情だった。
期待される今後
大きな節目を迎え、親方として新たな一歩を踏み出した大横綱。「300年の伝統ある宮城野を襲名し、歴史ある宮城野の名に恥じないように頑張っていきたいです。早く、もう関取をつくりましたので、横綱、大関をつくって、相撲道発展のために恩返しをしたい。また天皇賜杯をもらえる力士を育てていきたいという、また戦いに返ってきたい気持ちでいっぱい。そう、土俵の上で誓いました」と力強く宣言した。弟子の落合が史上最速となる初土俵から所要1場所で十両に昇進するなど、新たなスターの存在が芽吹きつつある。稀代の横綱が、最高位をつかむ力士を育てることを大いに期待したい。