あの横綱に通じる心意気

 琴ノ若の千秋楽は、昇進を手中に収めたにしては珍しい様子だった。本割では素早い動きが身上の翔猿を落ち着いてつかまえて上手投げで下し、13勝目を挙げた。これで昇進の目安とされる直近3場所の勝利数を33に乗せた。しかし、初優勝を懸けて臨んだ決定戦では照ノ富士に屈した。先にもろ差しの体勢になったもののすぐに打開され、反対にもろ差しを許して寄り切られた。何もできず、大きな力の差を感じられた。

 打ち出し後、日本相撲協会審判部が昇進を諮る理事会の開催を八角理事長(元横綱北勝海)に要請して受諾されたため、この時点で昇進は事実上決定した。それでも、琴ノ若の表情には反省の色が濃かった。技能賞のテレビインタビューで次のように語った。「昇進の声をかけていただいたのはうれしいですけど、やっぱり結果が全て。まだまだ力不足でした。しっかり来場所へ準備して出直してきます」。淡々とした口調で感情を押し殺していた。

 同じように、新大関昇進を決定的にしながら千秋楽に悔しさ全開だった力士がいた。稀勢の里(現二所ノ関親方)だ。2011年九州場所。14日目に10勝目を挙げ、千秋楽の取組前には場所後の大関昇進が確実となっていた。最後の相手は大関琴奨菊で左差しを許して後退し、黒星を喫した。戻ってきた支度部屋。「引いちゃった」とつぶやいて以後の約10分、報道陣の質問に答えることができず一筋の涙がほおを伝った。看板力士になる歓喜よりも、当日のふがいなさへの思いが前面に出ていた。

 この場面に象徴されるように、土俵への真摯な態度を貫き、稽古に励んだ。のちの飛躍は周知の通り。2017年初場所で初優勝し、日本出身者として1998年の3代目若乃花以来19年ぶりに最高位を射止めた。第72代横綱に就き、フィーバーを巻き起こした。26歳の琴ノ若は昇進2場所目となる5月の夏場所から、祖父のしこ名を継いで「琴桜」を名乗る予定。189センチ、177キロの体を生かし、向上心を糧に最高位を目指すことが期待される。

課した鍛錬と口上の深み

 祖父が横綱、父は関脇だったからといってもちろん、強さが保証されているわけではない。関取だった父親の後を追って入門しても、十両に届かずに土俵を去る例は多々ある。当然、軸にあるのは本人の努力で、鍛える環境も左右する。
 
 個人的に思い出すシーンがある。2015年12月下旬の夜、佐渡ケ嶽親方との会食の席だった。部屋関係者と携帯で連絡事項をやりとりしていた親方が電話口で次のように指示を出した。「上がり座敷に座布団を敷いて、将且(琴ノ若の本名)に転がる練習をするように言っておいてくれ」。当時、埼玉栄高3年の息子は前月に九州場所の新弟子検査に合格し、前相撲でデビューしたばかり。けがをしにくい動きを身に付けさせるため、将来を見据えて朝稽古以外でも鍛錬を課した。
 
 関係性が「親子」から「師弟」に変化した状況下、ある意味で他の弟子以上に厳しく指導する姿勢が新弟子時代から始まっていた。

 1月31日に行われた昇進伝達式。注目の口上を次のように述べた。「大関の名に恥じぬよう、感謝の気持ちをもって相撲道に精進してまいります」。かつては四字熟語を入れるのがトレンドで、「不撓不屈」「一意専心」など広く伝播したものもある。「感謝」は祖父や埼玉栄中・高時代に教わり続けた言葉とのこと。土俵上でいくら強くても決して傲慢にならず、謙虚さを忘れない意識が伝わってくる。

 図らずも「感謝」というワードの持つ効力も、心身の健康や幸福を意味する〝ウェルビーイング〟に絡んで特に近年、脚光を浴びている。米カリフォルニア大リバーサイド校のソニア・リュボミルスキ教授(心理学)の科学的な研究によると、他人に感謝を表す行為自体がポジティブな思考や感情などさまざまな側面に連動し、幸福度が高まることをつながっていくという。琴ノ若は「この気持ちが一番大事です」と明かす。自身にとって、ひいては現代の世間的にも好影響を与えそうな言葉を晴れの舞台で披露。特別な四字熟語は用いずとも、心に響く口上だった。

人前でつらさ見せず9度目V

 照ノ富士の優勝は横綱の威厳を明確に示す形となった。7日目に2敗目を喫したものの、8日目からは白星街道を走った。特に12日目に新入幕で賜杯レースに絡んできた大器の大の里、13日目に琴ノ若、千秋楽の本割で大関霧島を圧倒したのは秀逸。優勝決定戦は先述の通りで、胸突き八丁の最終盤でいかんなく本領を発揮する圧巻の取り口だった。

 けがで幕下へ落ちていた2人が、カムバックを強烈に印象づけたのも見逃せない。昨年3月の春場所で右膝前十字靱帯損傷を負った元関脇の若隆景。4月に靱帯再建手術を受け、診断書は「約5カ月の加療を要する見込み」。リハビリを重ね昨年11月の九州場所で東幕下6枚目から本場所に戻り5勝した。そして初場所で7戦全勝。幕内優勝経験者として2019年九州場所の照ノ富士以来2人目の幕下制覇を果たし、次の春場所での再十両を決めた。

 もう1人が伯桜鵬。鳥取城北高時代に2度の高校横綱に輝いた逸材は、幕下15枚目格付け出しデビューから所要3場所で、昨年7月の名古屋場所で新入幕を果たした。この場所で12勝の大活躍。豊昇龍との決定戦で負けたが109年ぶりとなる新入幕優勝の夢を抱かせた。ただ、8月末に左肩の手術を受け2場所連続で全休した。初場所は師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)に直訴して出場し、西幕下5枚目で6勝1敗。こちらも関取に返り咲きた。

 思えば、照ノ富士が両膝のけがなどによる5場所連続休場から序二段で戻ってきたのは2019年春場所だった。観客もまばらな館内を引き揚げ、悲壮な決意を次のように発した。「普通に歩くということも厳しかったです。ちょっとずつ状態を上げていくしかない。人の前ではつらさは見せられません」。5年後の今、膝に爆弾を抱えながら一人横綱を張り続け、優勝回数を9に伸ばした。このカムバックを鑑みると、若隆景や伯桜鵬の復活劇はまだ始まったばかりだ。テレビ視聴率も好調で活気づいた土俵。復活組が幕内へ戻り、大の里や熱海富士をはじめ若手らと相まみえる状況になれば、1横綱4大関となる春場所以降もますます関心の集まる興行が続くことになる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事