インタビュー=平野貴也 写真=松岡健三郎

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リーダーの苦しみ

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(写真=リオデジャネイロ五輪代表選手発表の記者会見をする全柔連の山下泰裕強化委員長(中央)。左は女子の南條充寿監督、右は男子の井上康生監督)

――しかし、リーダーは権限が大きい分、責任も大きくなります。トップという立場だからこそ感じるつらさ、苦しみもありますよね?

井上 池田さんの著書の中にも書いてあったことですが、一緒に仕事をする上で仲間が二つに分かれていきますよね。とことん一緒にやる者と、一緒にはできずに離れていく者です。私は、担当コーチやスタッフを全面的に信じなければいけませんが、一方で指導スタッフが単なる仲良し集団になってしまえば、組織はつぶれてしまいます。すべてを任せるから私は何もしなくて良いのではなく、すべてを把握して的確に指示を出すリーダーでなければいけません。その中で、ときには厳しくも非情にもならなければいけません。歴史を学ぶ中でも、可愛がっている部下が失敗した際に「もう一度、チャンスを与えよう」と言って失敗を繰り返したリーダーはいますし、部下の責任を追及することなく、別の理由にすり替えて、問題を直視できずに失敗したリーダーもいます。池田さんが組織作りにおいて、ときにはドライな判断を下すというような話を書かれているのを著書で読んで、ああ、やはりそうかと感じる部分がありました。

池田 井上さんは、非情な判断を下さなければならないとき、どうするのですか?

井上 どうしていましたかね……。

――リオ五輪の代表選手発表の際は、かなりつらい思いがにじみ出ていたように感じました。

井上 その通りですね。監督に就任した時点で、腹を決めてやらなければならないと覚悟はしていました。それでも、何を決断するにしても、つらさや苦しさはありましたから、ときにはお酒に走ったり、家族に安らぎを求めたりということもありました。ただ、五輪の代表選手の選考に関しては、予想外というか、これほどきついものなのかと思わされました。五輪に出場する選手を各階級で1人だけ決めるということに関しては、これほどきついと思ったことは、なかったです。

池田 落選した選手から声をかけたのですか

井上 そうです。私自身、3度目の出場を目指した2008年の北京五輪では予選で敗れて、代表選手になれなかった経験を持っています。出場できる選手は、次の目標が目の前にあるわけですから、自然と頑張れます。話をする機会は数日後でも良いだろうと思いました。しかし、負けた選手は人生のすべてをかけて戦って来たものが報われないという結果になるわけですから、やはりショックが大きいです。何かの形で声をかけたいと思いました。監督という立場で私が決めたことですから、彼らから逃げるのではなく、向き合わなければいけないとも思いました。ですから、落選した選手には、なぜ選ばれなかったのか、なぜ別の選手が選ばれたのかということをハッキリと伝えたいと思って話しました。でも、あれが一番きつかったですね。

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(写真=全日本柔道選手権準々決勝で高井洋平(右)に一本負けした井上康生)

池田 プロ野球でも一番きついのは、“クビ”の宣告です。家族もいる選手に突き付けるわけだから、この先、人生をどうするんだというつらい思いの中で伝えることになります。でも、どうしたって新しい選手は入って来るし、70人しか保有できないことは変わりません。ボーダーラインの選手には、変わらないとクビになってしまうよということを、あらかじめ1、2年前から話をするようにしていましたが、選手はなかなか現実的に受け入れられない部分もありました。いざ伝える段階になると「僕がクビなんですか?」とびっくりしたような表情で選手は言うんです。

井上 選ばなければいけない立場だということはわかっていますけど、あの瞬間の自分に対するダメージの大きさは、ぐっと来るものがありましたね。

池田 でも、その場面で彼らにどういう言葉をかけるのかは大事だと思います。その瞬間には無理でも、彼らがもう一度、前を向いて何かに挑戦できるように。私は、どうにかそこで何か今後に役立つような言葉を与えるしかできないですし、今後どうにか自分の新しい人生を見つけてもらいたいと思っていましたけど、最近になって球団から契約を打ち切られた選手が、Facebookで友だち申請をしてきてくれることが頻繁にありました。彼らの心には、何かが残ってくれたということですよね。「この人にクビにさせられた。もう関係したくない」という意識よりも、「つながっていてもいい」という意識のほうがあることに、安堵させられました。社長がどの選手と契約するのかを個別に決めるわけではないので、僕自身がクビにするわけではないのだけど、最終責任者という形にはなるので、関係ないなんて思えないですからね。ずっと心のどこかに「申し訳ない」というような気持ちが残ってはいたのですが、仕方のないことですからね。彼らにどういう言葉をかけられるのかとか、それまでの関わり方によって、その瞬間がどうかは別にして、長い目でみて、その後に見方というものが変わっていくんじゃないかなと思います

井上 五輪代表の選出だけではなく、もっと前の段階で日本代表の強化選手選考も難しさはありました。11月に行われる講道館杯の結果によって、強化選手の対象から外れる選手が出るのです。中には、納得できずに、私に対して不満の表情を見せる者もいました。そういうときには、私は手紙を書いて、落選理由を伝えました。同時に、今後について可能性を持った選手には、またはい上がって来いというメッセージや、現役を終えそうな選手には次の人生を頑張れというメッセージを送りました。それもまた、理解する者と理解しない者がいるように思います。ただ、そのときには(メッセージの意味が)わからない者がいても別にいいかと思います。私に対してぶ然としたままだとしても、伝わらなかったとしても、その者がいつか指導者になったときには、必ず似たような場面がやって来ます。そのときに、彼が指導する選手に対して何をすべきなのかをそのときに理解できれば、それで良いかなと思っています。それでも、同じ目標に向かって携わった選手を外すということはとてもつらいですけど、受け入れてやるしかないのが、我々の仕事なのだと思っている部分はあります。

“得”ではなく“徳”を作る

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池田 監督にしても社長にしても、リーダーは選手や社員から好かれるだけではいけませんからね。私は、私自身にとっての先生から「“徳”がある人間になりなさい」と言われています。「得、ではなく、徳だぞ」と。自分のためにどうこうするのではなく、相手のために、相手の意識や目線に立って。徳川家康の“徳”です。“得”で判断すると利己的なことは周囲が感じます。非情な決断であっても、相手のために、ちゃんと自分の考えを伝える誠意ですよね。言ってもわかってもらえないかもしれないし、一時は憎まれるかもしれない。でも、そういう立場であるからには、腹をくくるしかありません。ベイスターズのとき、優秀なのに全体のバランスを考えて、コーチの契約を終了させなければいけなかったときがありました。最後の挨拶のときに「すごく評価しているんです」なんて言うことになるんですけど、手紙とかも送ったりして、やっぱり誠意を持って伝えたら、わかってくれた人もいます。だから、不誠実ではく真意で誠意を持って、相手への思いや組織全体のために、やれるところまではやらないといけません。井上さんは、手紙を送られていたんですね。

井上 手紙を送って、すぐに「わざわざ伝えてくれて、ありがとうございます」とすぐに電話をして来る者には、やはりうれしい気持ちが沸きます。逆に、手紙を送ろうが何をしようが、会っても挨拶さえしないという者もいますから、そのときには寂しさを感じます。でも、わかってもらえない自分に同情してもらいたいという気持ちは、これっぽっちもありません。我々の仕事は、そこだけにエネルギーを割いているわけにはいかず、次の戦いに移らなければいけません。ですから、やるだけのことをやったら次に移るような、良い意味での腹のくくり方をしておかなければいけないなと非常に強く思います。

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今回対談した2人の書籍がポプラ社より発売中

『改革』(著・井上康生)、『しがみつかない理由』(著・池田純)、それぞれが書いた書籍を読めば、今後連載される2人の対談内容の理解が深まります。

井上康生・著『改革』(本体1500円+税)は、「なぜ井上康生は日本柔道を再建できたか?」をテーマにロンドン五輪後からリオ五輪までの4年間の「井上改革」について記したものです。柔道に関心のある方だけなく、停滞する組織に関わる方などにも参考になる一冊です。


井上康生(いのうえ・こうせい)

全日本柔道男子監督。東海大学体育学部武道学科準教授。柔道家。シドニー五輪100kg級金メダル、アテネ五輪100kg級代表。2016年のリオデジャネイロ五輪においては、1964年の東京五輪以来となる「全階級メダル獲得」を達成する。同年9月に、2020年の東京五輪までの続投が発表された。著書に『ピリオド』(幻冬舎)、監修書に『DVD付 心・技・体を強くする! 柔道 基本と練習メニュー』(池田書店)がある。

池田純・著「しがみつかない理由」(本体価格1500円+税)は、「ベイスターズ社長を退任した真相」がわかる一冊で、赤字球団を5年で黒字化した若きリーダーが問う組織に縛られず、自分だけができることをやり抜く生き方について書かれています。


池田純(いけだ・じゅん)

1976年1月23日横浜市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、住友商事株式会社入社。その後、株式会社博報堂にて、マーケティング・コミュニケーション・ブランディング業務に従事。企業再建業務に関わる中で退社し、大手製菓会社、金融会社等の企業再建・企業再生業務に従事。2005年、有限会社プラスJを設立し独立。経営層に対するマーケティング・コミュニケーション・ブランディング等のコンサルティングを行う。2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに参画。執行役員としてマーケティングを統括。2010年、株式会社NTTドコモとのジョイントベンチャー、株式会社エブリスタの初代社長として事業を立ち上げ、1年で黒字化。2011年、株式会社ディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズの買収に伴い、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任。2016年までコミュニティボールパーク化構想、横浜スタジアムの運営会社のTOBの成立など様々な改革を主導し、5年間で単体での売上が52億円から100億円超へ倍増し、黒字化を実現した。2016年8月に初めてとなる自著「空気のつくり方」(幻冬舎)を上梓。


平野貴也

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト『スポーツナビ』の編集記者を経て2008年からフリーライターへ転身する。主に育成年代のサッカーを取材しながら、バスケットボール、バドミントン、柔道など他競技への取材活動も精力的に行う。