神奈川県大会、準決勝以降は売り切れが当たり前

2006年の夏に、自分はふと思い立って高校野球の神奈川県大会を見に行った。当時も野球は好きだったが、ライター活動はしておらず、今ほど知識も持っていなかった。ただその年の神奈川が「当たり年」ということは知っていた。
 
横浜が同年春の選抜を制していて、東海大相模や桐蔭学園にも後にプロ入りするような逸材がいた。準決勝にそんな強豪3校が揃ったため、見に行くことにした。
 
試合が始まる1時間半くらい前に横浜スタジアムに着いたのだが、既にバックネット裏は超満員。私は「予選にこんなお客が来るのか」と心の底から驚いた。
 
その試合は3万人収容のスタジアムに確か2万6千人が集まった。平日の真昼間にそれだけの数が入った。隣で見ていた年輩のファンが「愛甲以来だな」と驚いていたことを思い出す。愛甲猛が横浜高のエースとして夏の選手権を制したのは1980年。つまり「四半世紀ぶりの盛り上がり」ということのようだった。
 
それが今は準決勝、決勝と「ハマスタ満員」「売り切れ」が当たり前になっている。徹夜で並ぶファンが出る――。そんな狂騒曲が7月末になると繰り広げられる。
 
今では神奈川の高校野球人気が様々な媒体で話題になり、神奈川の高校野球を専門に扱う雑誌さえある。ベイスターズの親会社がDeNAに変わる前は「プロより人気がある」というブラックジョークもあったほどだ。

夏の甲子園は、午前4時にすでに長蛇の列

夏の高校野球選手権についても、過熱傾向は変わらない。甲子園のチケットは基本的にほぼすべて当日券だが、入手は年々困難になっている。昨夏は早稲田実業高も出場していなかったし、「これ」という目玉選手はいなかったのだが、15年とほとんど同じ数が入った。
 
特に屋根があってネット裏から快適に見られる中央特別自由席は争奪戦が激しい。単純に甲子園球場が2008~10年に大改修工事を行ない、席数を減らしたという背景も当然ある。客数はもうこれ以上増やせない飽和状態で、売り切れのタイミングが年々早くなっている。
 
7.8年前ならば「1時間前から並べば中央特別自由席でも大丈夫」という感覚を持っていた。しかし一昨年の夏は早実と清宮幸太郎選手の人気もあり、「梅田5時発の始発に乗っても間に合わない」という情報がネット上に出ていた。
 
と言っても連日徹夜をしていたら身体が持たない。そんなファンの自衛策はホテルの近くから甲子園まで、タクシーで乗り付けること。私も早実の試合がある日はタクシー代を5千円も出して、甲子園に向かった。4時前から列に並び始めたが、既に何千人という単位のファンが甲子園の駅舎近くまで溜まっていた。
 
高校野球を“箱推し”しているマニアは、おそらく今「早実が西東京予選で負けて欲しい」と願っているはずだ。清宮選手が嫌いというわけでなく、早実が甲子園に出なければ、そのような苦労が多少は緩和されるからだ。

“オーバー60”のファンがネットを駆使

甲子園大会は取材の希望者が多く、コンスタントに野球の仕事をしていない”一見”のライターに取材パスは出ない。自分は基本的にチケットを買って、一観客として試合を見ている。
 
春や秋のローカルな大会にも顔を出していれば面識が生まれるし、マニア同士で話し込むこともある。甲子園の本番は別だが、普段の高校野球は“オーバー60”の観客が多い。何しろリタイア組は平日の昼間から球場に入り浸れる特権を持っている。
 
ただ彼らは決して”老人”ではない。アクティブに全国を飛び回る体力と、灼熱の甲子園で太陽に晒されながら3試合、4試合を見続ける体力を持っている。テクノロジーに対する抵抗もない。年上の方と喋っていると「こんなことがネットに出ていた」という話が出てくる。
 
「年寄りはコンピュータが苦手」というのは20年くらい前の話で、今は70才以上の人も当たり前にパソコンやスマホを使いこなす。エクセルで作った「自作の資料」を頂くこともある。

マニアの網が、有望選手情報をカバー


ブームと言っても高校野球は基本的に隙間産業だ。今年に限れば清宮選手のホームランを巡って“招待試合にテレビカメラが集まる”という異常事態も起こっているが、基本的には春夏の季節もの。高校野球はそもそもテレビ局や全国紙がフルカバーするには、ボリュームが大き過ぎる。
 
プロ野球なら(独立リーグは無視すると)12球団を取材すれば済むが、高校野球は4000校近くが参加する。神奈川だけでも10人単位の「プロ注」と呼ばれる逸材がいて、マスメディアはその全員をフォローしきれない。
 
ただ『野球太郎』のようなコアな雑誌や、Webサイトを見れば、その一人ひとりについて情報が出ている。身長や体重、ポジション、前所属チームやプレーの特徴と事細かに分かる。
 
秋のプロ野球ドラフト会議も『隠し玉』はいなくなった。育成選手を含めれば100人前後が指名を受けるが、ソフトボールから指名された大嶋匠選手のような例外を除けば、マニアの網がすべてをカバーしている。
 
全国47都道府県の大会をファンが見ていて、「●●投手が150キロを出した」というような情報も瞬時に全国へ広まる。動画撮影が禁止されている大会は別だが、有望選手の動画がYoutubeなどで拡散されることも多い。
 
ファンが感情移入をしようにも、楽しむ『材料』がなければエンターテイメントは成り立たない。しかし今は出場校の歴史、選手の成長や特徴といった材料を皆が共有できる。ITの発展にとって情報のやり取り、入手も容易になった。高校野球はどうやらインターネットとの親和性が高い。
 
もちろん「外には出せない話」が色々とあるのも高校野球の奥深さで、それは口の堅い仲間内の間で水面下に共有される。とはいえ『マニアレベル』に到達するまでの時間とコストは間違いなく下がった。
 
高校野球は戦前の中等学校野球大会時代から100年を超す歴史を持っている“伝統芸能”で、それを熱心に楽しむファンも年輩の人が多い。ただインターネットの力で、高校野球はより深く味わうことができる。そんな古さと新しさの相乗効果こそが、高校野球ブームの理由ではないだろうか。
 
<了>

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大島和人

1976年に神奈川県で出生。育ちは埼玉で、東京都町田市在住。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れた。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経たものの、2010年から再びスポーツの世界に戻ってライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビーなどの現場に足を運び、取材は年300試合を超える。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることが一生の夢で、球技ライターを自称している。