スポーツ科学から見る、睡眠の重要性

テニスのロジャー・フェデラーやバスケットボールのレブロン・ジェイムズは、1日に10時間近くの睡眠を取ると言われている。特にロジャー・フェデラーは「試合前の数日、十分に睡眠を取る」ということを絶対的に重要視している。テニスやバスケットボールのように持久力を求められるスポーツにおいて、睡眠は回復における絶対的な道具となる。元チェルシーの「潰し屋」マイケル・エッシェンも、1日に14時間程度眠っていたと言われている。足を止めずにピッチ上を駆け回るガーナ代表MFの無尽蔵のスタミナを支えていたのは、人並外れた睡眠時間だった。

スタンフォード大学のバスケットボールチームにおいて行われた研究によれば、「2時間多く眠った場合、選手たちのパフォーマンスは各分野で向上する」ということが明らかになった。具体的には走るスピードが上がり、シュートの正確性が増したのである。逆に睡眠不足はケガの確立を高め、パフォーマンスを減衰させる傾向にあった。メンタル面でも、その影響は顕著だ。十分な睡眠は選手のモチベーションを保つことに繋がり、睡眠不足はストレスとなる。

大金持ちのスポーツ選手たちが派手に夜遊びをしながら戦える時代は終わり、現代のアスリートの身体は緻密なメンテナンスによって最高速を達成するF1マシンのように、綿密なスポーツ科学のケアによって支えられている。快進撃で話題になったレスター・シティFCがケガ人を少ない状態に保てたのも、スポーツ科学の専門家達の努力によるものだった。

スペシャリストが語る「トップアスリートの睡眠」

「一流アスリートのベッドルームに立ち入ることを許された人間」は多くない。彫刻の様に美しいガールフレンドや人形の様に可愛らしい選手の子どもたちを除けば、睡眠の専門家Nick Littlehales(ニック・リトルヘールス)くらいのものだろう。彼は15年以上、睡眠の研究を続けている学者でもあり、睡眠コーチとしても知られている。

トップアスリート達に睡眠を指導するのが、彼の仕事だ。数々のプロスポーツ選手の睡眠を変えてきた男は、ラグビーや自転車、スキーなどで活躍するアスリートを指導してきた。1998年、アレックス・ファーガソンに選手たちの睡眠改善を依頼されたことが、彼のキャリアにおいて重要な分岐点だった。スポーツ科学における「睡眠」という無視された分野における可能性に最初に気付いたのは、マンチェスター・ユナイテッドで黄金時代を築いた名将だった。それをきっかけに、チェルシー、アーセナル、リバプール、イングランド代表の選手たちを指導。多くのサッカー選手を指導した後、「プロの睡眠コーチ」となった男がサッカー界に与えた影響は計り知れない。

そして、2014年。彼は、銀河系軍団レアル・マドリードに招かれる。イギリス人コーチは、「クリスティアーノ・ロナウドを眠らせる男」となったのだ。リトルヘールスは彼のアプローチを完璧に実践して見せたロナウドのことを「全ての面で完璧な選手を目指す、最高のアスリートだ」と表現した。食生活などにも拘りを見せるポルトガルの怪物にとって、パフォーマンスを向上させる可能性がある全ての事柄は「実践すべきこと」となる。

リトルヘールスは、「サッカークラブは選手に高額を投資する一方、選手たちの睡眠にまで気を配らない。サッカー選手のような若い男性は、自分の生活を整えるのに苦労する傾向にある。強いプレッシャー、度重なる移動……彼らは正しい睡眠によって、自分のプレー精度が上昇し、モチベーションを高めることに気付いていない」と語る。

リトルヘールスは常に個々の睡眠環境を分析し、改善を目指す。「朝方の選手」と「夜型の選手」では、睡眠の質を高めるアプローチも異なるのである。枕などの寝具に拘ることは勿論として、寝室の温度は16度から18度に設定。白を基調とした装飾によって、刺激を与えにくい状態で睡眠に入ることが出来るようにする。

さらに、選手たちに「睡眠の重要性」と「改善方法」を教え込むことにより、遠征先であっても自ら「睡眠環境」を整えられるようにした。光の強さを調整し、枕などを自分に合うものに交換することだけでも、飛躍的に睡眠の質は向上する。レアル・マドリードの選手たちはホテルの部屋に入る時、リトルヘールスが伝授した「チェックポイント」を常に意識することによって睡眠環境を整えたという。

また、ヨーロッパの文化であるシエスタ(午後に数時間の睡眠を取ること)を巧みに活用することによって、夜遅くまで試合をすることがある選手たちの睡眠時間を保証。バナナやサツマイモ、ビートのように良質な炭水化物を含む食品を取ることによって、睡眠の質を向上出来ることにも目を付けた。また、ナッツやミルク、フルーツを摂取することは、入眠を助けることも明らかになっている。シャワーを浴びた後に体温が下がることにも誘眠効果がある。選手に合わせて、枕やパジャマなどの寝具を特注で作ることすらあったという。

シアトル・サウンダーズFCの挑戦

アメリカ、MLSに所属するシアトル・サウンダーズは優秀なスポーツ科学者をそろえ、時計型の装置を使うことによって選手の睡眠を計測した。彼らが分析部門への巨額の投資によって得た興味深い事実は、「結婚している選手の睡眠時間が、独身選手よりも短くなっていた」ということである。

子どもが生まれれば、夜泣きなどに影響される確率が上がる。また、「結婚した選手たちが、家族と過ごす生活のスケジュールに慣れてしまっている」ことで、家族と離れる遠征時などにも十分な睡眠が取れていないことが判明。遠征時にも、彼らはいつもと同じように睡眠を取ろうとしてしまうのである。結婚した選手は大幅に睡眠時間を減らし、ケガのリスクが高まっていた。新しい家族と暮らすようになるということは、当然生活環境が変わっていくということだ。アスリートにとって、それはリスクにも成り得るのである。

マンチェスター・ユナイテッドが練習場に一流のホテルにも劣らない「最高の仮眠室」を用意することで選手の睡眠をサポートしているように、ビッグクラブは選手の睡眠改善にも積極的に取り組んでいる。週末やオフシーズンには家族サービスをこなすことを求められ、遠征時には不規則なスケジュールの中で生活しなければならない。

それだけでなく、想像出来ないほどのプレッシャーの中で闘い続ける選手たちの生活環境を整えることは、本人の努力だけで成し遂げられるものではないのだろう。例えばACLでの海外遠征などの時、Jリーグのスタッフ達は選手たちの睡眠環境を完璧に整えられているのだろうか。また、選手たちの生活環境について、どの程度のデータを集められているのだろうか。現代フットボールの世界では、表に出てこない裏方の重要性が増している。名門と呼ばれるような大学院で専門分野を極めたプロフェッショナル集団によって選手をサポートし続けている欧州のフットボールを超えるのは、簡単ではない。目に見えづらいそういったところから、少しずつ差を埋めていくべきなのかもしれない。

<参考文献>
Mah CD; Mah KE; Kezirian EJ; Dement WC. The effects of sleep extension on the athletic performance of collegiate basketball players. SLEEP 2011;34 (7):943-950.

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結城康平

宮崎県生まれ、静岡県育ち。スコットランドで大学院を卒業後、各媒体に記事を寄稿する20代男子。違った角度から切り取り、 異なった分野を繋ぐことで、新たな視点を生み出したい。月刊フットボリスタで「Tactical Frontier」が連載中。