【前編はこちら】ドイツをW杯王者に導いたIT界の巨人「SAP」は、なぜスポーツ産業へと参入したのか?

企業向けのビジネスアプリケーションを開発・販売するソフトウェア企業として、世界最大のグローバル企業であるSAP。同社では今、ドイツ代表やバイエルン・ミュンヘン、F1のマクラーレン、MLB、NBAといった世界トップクラスのスポーツ関連組織とパートナーシップを組むなど、25番目の産業としてスポーツ産業に注力している。世界の商取引の76%は彼らのシステムを経由するといわれるSAPが、なぜ市場規模が決して大きいとはいえないスポーツ産業への参入を決めたのだろうか。そこには、ある明確な戦略があった――。(取材・文=野口学)

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【中編はこちら】IT界の巨人「SAP」は、スポーツ界に何をもたらしているのか? 3つのキーワードで読み解く

企業向けのビジネスアプリケーションを開発・販売するソフトウェア企業として、世界最大のグローバル企業であるSAP。2014年FIFAワールドカップでドイツ代表が優勝を果たした陰の立役者としても知られるIT界の巨人は今、バイエルン・ミュンヘン、F1のマクラーレン、MLB、NBAといった世界トップクラスのスポーツ関連組織とパートナーシップを組むなど、25番目の産業としてスポーツ産業に注力している。では具体的に、SAPがスポーツ産業に対して提供しているソリューションとはいったいどのようなものなのだろうか? それは、日本のスポーツ界が大きく後れを取っている分野でもあった――。(取材・文=野口学)

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政府が掲げた目標を達成するには、年率13%もの成長が必要

15.2兆円――。

日本政府によって閣議決定された「日本再興戦略2016」における名目GDP600兆円に向けた「官民戦略プロジェクト10」の柱の一つとして、「スポーツの成長産業化」が掲げられたことは記憶に新しい。その中で、2015年に発表された約5.5兆円とされている国内スポーツ産業の市場規模を、2025年までに約3倍へと成長させ、ゆくゆくは我が国の基幹産業へと成長させていくことを目標としている。前出の数字は、その目指すべき市場規模にあたる。

SAPジャパンでイノベーションオフィス部長を務め、スポーツ産業向けにマーケティング支援を行っている濱本秋紀氏はこう話す。

「全体で15.2兆円の市場規模を目指すとありますが、もう少し細分化して見てみると、プロスポーツ分野に関していえば、0.3兆円から1.1兆円にするとあります。その他は、例えばスタジアム・アリーナの建設・改修、IoTやスポーツ用品など、周辺産業に関する項目になります。プロスポーツ分野は、全体の割合でいえばそこまで大きくありません。ですが、プロスポーツにはステークホルダーが多いという特徴があり、周辺産業への経済波及効果などを考えると、やはり一番重要になると考えています」(濱本氏)

そのうえで、濱本氏は「このままでは目標達成は難しい」と話す。

「プロスポーツ分野が2025年までに1.1兆円を達成するには、年率で約13%程度の成長を続ける必要があります。例えば、Jリーグが公表している経営情報からJ1の売上高成長率を見ると、2016年度が約9%、その前が約1%、約7%となっています。2016年はBリーグの開幕、DAZNによるJリーグ放映権獲得など、プロスポーツの売上の向上にとって明るい話が多かったですが、この先、2025年までずっと13%の成長を続けていくことは、かなりハードルが高いといえるでしょう」

では、どうすればいいのだろうか? SAPジャパンでスポーツ・イノベーション推進担当を務める佐宗龍氏はこう話す。

「SAP本社がスポーツ産業に参入して最初にやったことは、財務状況を見たり、顧客情報を取得するなど、まずはビジネスの基盤をしっかりとつくることへの支援です。これは、バイエルン・ミュンヘンにしても、マクラーレンにしても同じこと。こうしたビジネスの核となる部分をどれだけつくりあげることができるかが大事になると思います」(佐宗氏)

これまで日本にはスポーツでお金を稼ぐことをよしとしない風潮があったが、2015年にスポーツ庁が設置されて以来、「スポーツで稼ぐ」ことを指針に掲げてきたことで、風向きは変わりつつある。

「プロスポーツのリーグやチームの業務担当者の方々とお話していても、スポーツ×ビジネス、スポーツ×マーケティング、スポーツ×テクノロジーに対するマインドはとても高いと感じています。スポーツ庁が掲げた指針のおかげで一種のムーブメントができていますし、日本人は合意形成ができればそこからのスピード感は早いので、ビジネス向上に向けた “リソース”を確保することが重要になるでしょう。ただ、今の日本のスポーツ界には、その“リソース”が欠けているように感じます」(濱本氏)

濱本氏はそのなかでも特に、“ヒト”が足りていないことが大きな問題だと感じているという。それはどういうことだろか?

スポーツ界に必要なのは、ビジネスで当たり前の土台づくりと“非常識”の化学反応

日本のプロスポーツの現場では、フロントスタッフが非常に少ない人数で働いているなかで、例えばサッカーの場合、シーズンに入ると2週間に一度、数万人が来場する主催試合が行われる。その準備や運営にスタッフがかかりきりになってしまい、マーケティングのプランニングやアクティビティといった、本来お金を稼ぐために必要となる業務を行う十分な時間が取れなくなっているというのだ。

「SAPはERP(※)パッケージが主力製品ですが、企業経営において、ヒト・モノ・カネといったリソースをどう適切に管理するかが大事になります。確かにスポーツ業界はリソースが不足しているかもしれませんが、大企業になったところでリソースに制限があることに変わりはありません。制限のあるリソースをどう配分していくか。例えば、主催試合の準備や運営は外注にして、スタッフの方にはよりお金を稼ぐための業務に注力してもらうことも考えられます。人に任せられることはコストをかけてでも任せて、スタッフにはスタッフにしかできないことをやってもらう。こうした判断をするのが経営であり、その判断をできる“ヒト”(人材)が欠如しているように感じます。スポーツビジネスも、こうしたビジネスの土台は他の業界と何も変わりません。まずは、スポーツ界におけるビジネス環境を整えていく必要があると感じています」(濱本氏)

(※ERP:「Enterprise Resource Planning」の頭文字を取ったもので、企業の業務をサポートするだけでなく、ヒト・モノ・カネといった全てのリソース・情報を一元管理し、経営判断に貢献することを目的とした情報システムパッケージ)

そのために重要になるのが「データドリブンな組織になること」だと、両氏は口をそろえる。前出のとおり、プロスポーツチームには非常に多くのステークホルダー、非常に多くのファンがいる。少人数のフロントスタッフが、マンパワーによってその全てと良好なインタラクションを確立していくことは、現実的に不可能といっていいだろう。しかし、現状ではそうせざるをえないことが問題だという。

「そこをデータの力で解決していく必要があると思います。今やどこの業界でも当たり前のようにデータを活用しており、データ無しではビジネスが成り立たないといえます。日本のスポーツ産業が発展していくためにはデータの活用が必要なんだ、という理解を広めていければと思います」(濱本氏)

スポーツを産業化するうえで、こうしたビジネスとして当たり前のことを進めていくことが必須だ。だがそれだけでは、大きく先を進んでいる海外スポーツ産業にますます水をあけられることになる。そこでキーワードになるのが「イノベーション」だ。ある業界の常識を他の業界に持ち込めば、それは非常識となる。その非常識が「イノベーション」を生み出すと、佐宗氏は話す。

「SAPはグローバルで25業種のクライアントに対してソリューションを展開しています。業種業界の垣根を超えて“非常識”を組み合わせることで新しい“常識”をつくりだす『インダストリー・スワッピング』の手法をスポーツ界にも持ち込み、今までになかった化学反応を起こすお手伝いをしていきたいと考えています」(佐宗氏)

(C)Getty Images

「社会課題の解決」のためにスポーツが“価値”を提供できるかがカギ

また濱本氏は、スポーツの“価値”とは何か、あらためて考えるべきだと話す。

「日本のスポーツ界はこれまで、スポーツそのものだけで勝負してきたように思います。ですが、スポーツはあくまでも“素材”。私も含め、その“素材”が大好きな人たちももちろん数多くいらっしゃいますが、世の中にはスポーツに興味がない人たちも大多数います。そういった潜在的なターゲットに対して、スポーツという素材をもとに、新たな“価値”を提供していくことが大切だと考えています」

例えば、今世の中で注目を浴びていることに「働き方改革」が挙げられるだろう。この社会課題に対して、スポーツが寄与できることはないだろうか。「働き方改革」の取り組みとして「長時間労働の改善」などがあるが、問題の根源はむしろ、労働時間よりも労働によって発生する“ストレス”にあるのではないかと濱本氏は話す。であれば、“ストレス”を軽減させることに、スポーツは“価値”をもたらすことができるだろう。

「このような社会に訴えかけられる価値を、これまでスポーツ界ではあまり創りあげてこなかったように思います。ストレスを軽減させたり、地域のコミュニティを活性化させたり、あるいは家族内コミュニケーションを促進したり。スポーツにはそうした“価値”がものすごくあるはず。こうした“価値”をメッセージとして世の中に発信したり、商品・サービスに落とし込んでお客さまに買っていただくということが、まだまだ足りていないように感じますね。スポーツには間違いなく、スポーツにしかない“価値”があります。それをもっとビジネスとして活用していけるように、私たちも尽力していければと思います」

現代の日本は、さまざまな社会課題に直面している。ただこれは逆にいえば、社会課題を解決する手段としてスポーツを活用するチャンスともいえる。スポーツが社会に対してどんな“価値”を提供することができるのか。それをあらためて考えることこそ、日本のスポーツ産業がさらなる発展を遂げていくキーとなるだろう。

IT界の巨人SAPは、日本のスポーツ界にどんな未来を創り出すだろうか。私たちにどんな驚きをもたらしてくれるだろうか。それは誰にもわからない。ただ確実にいえることは、彼らの“本気”を見逃すことは決してできないということだ――。

<了>

SAPジャパン 佐宗龍氏(左)、濱本秋紀氏(右)/(C)Victory Sports News編集部

[PROFILE]
濱本秋紀(はまもと・あきのり)
SAPジャパン株式会社 イノベーションオフィス部長 スポーツ産業向けマーケティング支援担当
SAPジャパン株式会社のマーケティング部門でコーポレートイベント・ブランディング・スポーツスポンサーシップ・デジタルマーケティングなどの責任者、製品マーケティングの企画・実施、ユーザーグループの企画・運営などを経験。2016年より、プロスポーツ組織のマーケティング・ファンエンゲージメントを支援し、スタジアムソリューションの事業開発なども担当している。

佐宗龍(さそう・りょう)
SAPジャパン株式会社 ソリューション統括本部 デジタル・エンタープライズ・プラットフォーム部 エンタープライズ・アーキテクト 兼 スポーツ・イノベーション推進担当
普段はエンタープライズ・アーキテクトとして、「企業のIT全体戦略の構想策定支援」、「ビジネスプロセスやアプリケーション・アーキテクチャーの最適化」、「IT基盤の統合・最適化」等を支援するアーキテクトとして活動。2014年のSAPジャパンにおけるスポーツ事業立ち上げ期から、ドイツ本社のスポーツ&エンターテイメント部門と連携し、グローバルでの取り組み事例を日本で展開。また日本ではチーム・選手強化向けの支援をしている。その取り組みの一環として、リオ・オリンピックまでの約2年、全日本女子バレーボールチームにも帯同。

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野口学

著者プロフィール 野口学

約10年にわたり経営コンサルティング業界に従事した後、スポーツの世界へ。月刊サッカーマガジンZONE編集者を経て、現在は主にスポーツビジネスの取材・執筆・編集を手掛ける。「スポーツの持つチカラでより多くの人がより幸せになれる世の中に」を理念とし、スポーツの“価値”を高めるため、ライター/編集者の枠にとらわれずに活動中。書籍『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版)構成。元『VICTORY』編集者。