平成の怪物に受けた、2度の「衝撃」

松坂大輔――。
いわずと知れた「平成の怪物」。

2017年終了時点で日米通算164勝を挙げている稀代の大投手に、筆者は過去2度、「衝撃」を受けている。

一度目は1998年夏の甲子園。もはや説明不要の伝説の夏だ。同年春、横浜高校のエースとしてセンバツを制した怪物はこの夏、甲子園で史上最高のドラマを見せた。準々決勝、PL学園戦での延長17回、250球の熱投。準決勝、明徳義塾戦で大逆転を呼んだ1イニング。そして決勝戦、京都成章戦でのノーヒットノーラン。

当時高校1年生だった筆者にとって、2歳年上の松坂大輔という存在はあまりにもまぶしく、巨大なものだった。

以降の活躍はご存知の通り。
高卒1年目で16勝を挙げ、いきなりの最多勝、新人王を獲得。甲子園を沸かせた怪物は、一度も立ち止まることなく日本のエースへの階段を駆け足で上り続けた。

二度目の衝撃は2015年、宮崎で行われたソフトバンクのキャンプでのことだ。

この時の「衝撃」は、一度目とは種類が違った。

1998年に高校1年生だった筆者は、それから13年の間にライター、編集者としてプロ野球のキャンプを取材する立場となり、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔はメジャーでの8年間のキャリアに区切りをつけ、日本球界へ復帰を果たしていた。

取材で見た松坂大輔の姿は、筆者の頭の中に存在する「それ」とは全くの別人だった。

レッドソックス時代の2011年にひじの靭帯再建手術、いわゆるトミー・ジョン手術を受け、2013年にはインディアンスに、同年途中にはメッツへと移籍。テレビのニュース映像などで、松坂の「変化」は知っているつもりでいた。

それでも、いざ目の前でその姿を見ると、その衝撃は想像を上回るものだった。

「投球フォームも、何もかも、すべてが違う」

当時の松坂は、日本球界復帰1年目。当然ながら多くの注目を集めていた。しかし、報道から聞こえてくるのは「フォーム改造が必須」、「太り過ぎ」といったネガティブなものばかり。

果たして、報道されている情報は正しいのか。

それを確かめる意味で松坂の練習を見守ったが、その状況は筆者の想定をはるかに上回るものだった。

(C)Getty Images

日本復帰後3年で登板は一度、厳しい現実も現役続行を模索

高校時代、さらには西武時代、すでに「完成」されていた美しい投球フォーム。下半身主導で右腕がしなやかに回転し、全身の力がリリース時には指先に集約されるようなあのフォームは、メジャー生活8年間、さらには度重なる故障で完全に失われていた。

大げさでもなく、本当に同一人物なのかと思うほど、松坂は松坂「らしさ」からかけ離れた野球選手になっていた。

これは、日本で結果を残すのは難しいかもしれない。

そう、思った。

ただその一方、元来野球センスの塊のような選手。メジャー生活後半こそ苦しんだが、慣れ親しんだ日本の環境であれば、フォーム修正も十分可能ではないか。万が一フォームが戻らなくても、持ち前のセンスで「第二の松坂大輔」の姿を見せてくれるのではないか。

そんな期待を抱いたのも事実だ。

しかし、その期待はあっさりと裏切られることになる。

日本球界復帰後、昨季までの3年間で松坂は日本のマウンドに一度しか上がることができなかった。その一度も、シーズンの行方が決まった2016年最終戦。1イニングを投げて被安打3、与四死球4、失点5という散々なものだった。

そして、ソフトバンクとの3年契約が切れた昨季限りで、球団は松坂の退団を発表。一部報道ではコーチ兼任での現役続行打診を、松坂本人が固辞したとされている。

とはいえ、松坂は投手としての自らの可能性をまだ信じている。現役続行を目指し、トレーニングを継続。日本球界を第1志望に、米独立リーグなども視野に入れて現役の道を模索し続けた。

そこに手を差し伸べたのが、中日ドラゴンズだ。中日はキャンプ直前の1月23日に松坂大輔の入団テストを行うことを発表。テストの結果次第では、松坂はプロ生活を通じて初めて、セ・リーグのユニフォームにそでを通すことになる。

テストはナゴヤ球場の屋内練習場で、森繁和監督や編成部幹部など立会いのもと、非公式で行われるという。

即日合格発表の可能性もあれば、状況次第で沖縄キャンプでの「追試」も予定されているなど、情報は錯綜している。

果たして、平成の怪物は実質3年間ものブランクを乗り越えて復活することができるのか。

現実的にみると、その可能性は低いと言わざるを得ない。

(C)Kyodo News / Getty Images

最も懸念されるのは、「ひじ」ではなく「肩」

最も懸念されるのが、松坂がメジャー時代に手術したひじ以外に、肩にも爆弾を抱えているという点だ。

日本復帰後、松坂が最も悩まされてきたのが、この「肩の不調」。2016年8月には内視鏡による右肩の関節唇と腱板のクリーニング手術も経験。以降も、「登板予定」と報道されるたびに、直前で「肩の違和感」を理由に登板を回避するという悪循環が続いた。

トミー・ジョン手術の普及で、今や「ひじ」の故障は投手生命を絶つような大怪我ではなくなった。早期の発見と適切な処置で、十分回復できる。しかし、肩は違う。

元ヤクルト、中日で活躍した川崎憲次郎さんに話を伺った際も「ひじと違って、肩は投手によって致命傷。ひとたび壊してしまったら、復帰の可能性は限りなく低い」と語ってくれた。自身も肩の故障で現役生活を断念しているだけに、その言葉は、重い。

リハビリを続けていたとはいえ、松坂の肩の状態が完治しているかというと、判断は難しい。少なくともこの3年間は満足に投げることができなかったわけだ。シーズン終了からのわずか4カ月余りで、状態が劇的に変わっているとは考えにくい。

実戦感覚があまりにも空きすぎている点も気掛かりだ。3年間でわずか1イニング。それも、消化試合での登板。

一軍のピリピリとした雰囲気を味わうことなく3年間を過ごした松坂にとっては、肉体的にも精神的にも、勘を取り戻すまでに時間がかかるだろう。

松坂自身の投球スタイルも、復帰への足かせとなる。そもそもが150キロオーバーの剛速球と切れ味鋭いスライダーで打者をねじ伏せる典型的な「パワーピッチャー」。そんな投手から「球威」と「キレ」が奪われたら、一気に並以下の投手となってしまう。多くの投手は現役晩年、投球スタイルを「技巧派」へとチェンジすることで現役生活を永らえるが、松坂はそういうタイプの投手ではない。肩の痛みや不調を、「投球術」でごまかしながら投げられるような投手ではないのだ。

やはり松坂の復活は、冷静に考えると限りなく不可能に近い。現状や過去の事例を見ても、それは明らかだ。

しかし、光明は間違いなくある。

「自信が、確信に変わりました」、あの言葉は再び聞けるのか

それは、誰でもない松坂本人が一番、現役を諦めていないということだ。

周囲がいくら「もうだめだ」、「限界だ」と叫んでも、松坂にその声は届いていない。届いていたとしても、その声に耳を貸さず、あくまでも「投げられる」と信じている。

冷静に考えれば、松坂は日米で十分すぎる実績を残した大投手。現役を続けるメリットよりも、リスクの方がはるかに大きい。

にもかかわらず「現役続行」を求めるのは、本人の「まだやれる」という自信、さらには「まだやりたい」という強い信念があるからに他ならない。

20年前、甲子園の舞台から始まった松坂大輔の伝説は、まだ終わっていない。高校3年時のチーム公式戦44連勝、250球の熱投から中1日でのノーヒットノーラン、高卒1年目での最多勝獲得、メジャー1年目でのワールドチャンピオン……。

これまでも平成の怪物は度々、周囲の先入観を覆す結果を残し続けてきた。

日本復帰以降の3年間の沈黙は、復活ロードへの序章に過ぎない。誰よりも、松坂本人がそれを信じている。

「自信が、確信に変わりました」

20年前、18歳の松坂少年はイチローを3打席連続三振に斬って取り、こう語った。

この言葉が今季、ナゴヤドームで再び聞けることを、筆者も信じたい。

<了>

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花田雪

1983年生まれ。神奈川県出身。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行うなど、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆を手がける。