提供:長谷川晶一/インプレス編集部

■お正月に相次いだ、「悲運のエース」特集

2018(平成30)年が明けてすぐの1月3日、TBS系列で「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡」と題された3時間番組が放送された。超一流アスリートたちが衝撃を受けた「天才」を告白。「消えた天才」の今を紹介するこの番組の目玉となったのが、名将・野村克也による伊藤智仁への謝罪劇だった。放送翌日、伊藤は言った。

「番組内の瞬間最高視聴率だったって、ディレクターから連絡が来ました」

放送終了後、伊藤の下にはさまざまな反響があったという。好意的な反応の一方では、97年にカムバック賞を獲得したこと、03年の現役引退以降、昨年までずっとヤクルト投手コーチを務めていたことに番組内ではまったく触れずに、「わずか2ヶ月半で消えた! プロ野球史上最高の天才」と喧伝したために、ネット上では「歴史の改ざんだ」などと疑問を呈する声も上がった。

また、それから数日後の1月8日にはテレビ朝日系列で「ファン1万人がガチで投票! プロ野球総選挙」が放送された。プロ野球史上「もっともスゴイ選手」を視聴者からの投票で決定するという趣旨の番組で、名球会投手や日本人メジャーリーガーとともに伊藤智仁は18位に挙げられていた。番組内では上位20投手が発表されたのだが、通算成績37勝の伊藤は20人中20番目の勝ち星だった。

03年に現役を引退して、すでに15年が経過した。それでも、伊藤智仁の雄姿は、多くの野球ファンの記憶に生々しく息づいている。前述したように通算成績は37勝27敗25セーブだ。彼よりも好成績を残した投手はたくさんいる。それでも、「記憶に残る好投手」として、伊藤智仁は今もなお忘れ難き存在として、人々の脳裏に刻まれているのである。

■ありあまる才能、たび重なる故障、感動的な復活劇……

昨年、伊藤智仁をテーマに『幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)という本を出版した。元々、ヤクルトファンであり、伊藤と同じ70年生まれということもあって、ルーキーイヤーから彼を応援していた僕は、「いつか、伊藤智仁で本を書きたい」という思いをずっと抱いていた。しかし、本音を言えば、「はたして、ニーズはあるのだろうか?」という思いは拭えなかったし、ハッキリ言ってしまえば、「たとえ出版しても、売れないだろう」と思っていた。

それでも、編集者の熱意と関係各所の多大な協力の結果、伊藤の半生を描く評伝の刊行が決定した。そして、時間を見つけては本人にロングインタビューを重ね、古田敦也、野村克也ら、彼に関係する人々に話を聞き続けて、ようやく一冊の本として刊行されることとなった。作者の思惑とは別に、発売早々に増刷が決まり、今もなお高セールスを記録し続けている。

「伊藤智仁について描かれた初めての書籍」というアドバンテージはあったのだと思う。しかし、それよりも何よりも時を経てもなお風化しない、「伊藤智仁」という人物の魅力の大きさこそが、反響を呼んだ大きな理由だと、作者である僕は実感している。

では、なぜ、伊藤智仁は今もなお、人々の胸を打ち続けるのか? 考えられる理由はいくつもある。93年のルーキーイヤー。伊藤はわずか2カ月半で7勝を挙げる好成績を記録した。短期間で109イニングを投げて、防御率は0・91という驚異的な記録だった。その原動力となったのは、女房役の古田敦也が言う「直角に曲がる高速スライダー」だった。

当時のヤクルト・野村克也監督は伊藤が投げる試合では、ほとんど継投策を講じることはなかった。「先発・伊藤」を告げると、あとは試合終了まで伊藤はマウンドに立ち続けた。打線の援護もないままひたすら投げ続け、その結果、右ひじを負傷し、伊藤の長く苦しいリハビリ生活が始まることとなった。先に挙げた「消えた天才」では、野村が伊藤にこのときのことを謝罪する場面がクライマックスとして描かれていた。

あるいは、たび重なる故障にも負けずに、伊藤は辛く苦しいリハビリ生活から決して逃げなかった姿も、人々の胸を打つのかもしれない。97年にカムバック賞を獲得した際には故障以前よりもストレートが速くなっていた事実に誰もが驚いたものだった。

提供:長谷川晶一/インプレス編集部

■女房役・古田敦也の語る「執着する潔さ」とは?

さらに、『幸運な男』の取材を通じて知ったのは、彼は03年の引退発表後もなお、誰にも告げずに、ひそかに「現役復帰」を目指して黙々とリハビリを続けながら、肩への負担の少ないナックルボール習得を目指していたことだった。その姿を称して古田は「トモの魅力は執着する潔さ」と語った。古田の言葉を、拙著から引用したい。

「よく、《潔さ》っていうじゃないですか。大抵の場合は、《いつまでも未練がましく執着しないでパッと諦める》というニュアンスで使われますよね。でも、僕に言わせれば《執着する潔さ》というのもあるんです。どういうことかと言うと、諦める理由もないのに、簡単に諦めるというのは、逆に逃げであり、ウジウジしていることなのかもしれないと思うんです。トモは“野球を辞める理由がない限りは、オレはとことん粘るよ”という男でした。これは未練がましく現役にこだわっているわけではないんです。逆に、実はとても潔いことだと思うんです。トモの魅力は、そういう潔さにあるんです。……うーん、僕の言いたいこと、きちんと伝わっているかな?」  もどかし気な表情を浮かべ、古田の熱弁は続く。 「例えば、“もうダメだ”とスパッと決断することは、必ずしも潔いことではないと思うんです。むしろ、“まだ少しでもチャンスや可能性があるのならば、オレは最後まで挑戦するよ”と考える方がずっと潔いことだと僕は考えます。まだチャンスがあるのに諦めるなんていうのは、僕から言わせれば軟弱ですよ、逃げですよ。その点、トモは熱さと冷静さの両方を持った上で続けることを決断した。だから、僕の感覚で言うと、《執着する潔さ》を持った、とても潔い男なんです」
『幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)

洞察力に優れた稀代の名捕手による「伊藤智仁評」は、実に的確なものだった。では、本人は世間の人々の自分に対する思いをどのように感じているのか? 前掲書から引用したい。

――どうして、世間は「伊藤智仁」という投手について、ある種独特な感情を抱きながら、「悲運のエース」と、今でも語り続けるのだと思いますか?  世間の評価の理由を本人に聞く。愚問かもしれない。それでも、本人は世間の評価、自身に対するパブリックイメージをどう思っているのか知りたかった。  しばらく考えた後に、伊藤は口を開いた。 「おそらくね、デビューが鮮烈だったから、世間の人たちは“ケガさえなければもっとできたはず。本当に惜しかった”と思っているんだと思います。でも、僕自身はまったく正反対の考えなんですけれどね……」  伊藤の口元からは白い歯がこぼれる。 「……もしも、故障をしなくてそのまま投げ続けていたとしたら、たぶん打ち込まれて成績はもっと悪くなっていたはずです。でも、結果的にそこまで投げることはできなかった。だから、世間の人は《いい想像》をしてくれているんだと思います。打たれるイメージは持たずに、抑えるイメージだけを持ち続けてくれるんです。そのまま投げ続けていたら、確かに勝ち星は増えるだろうけど、負け数も当然もっと増えるし、防御率はさらに悪くなるはずなのにね……」
『幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)

彼の言葉を聞いていて、僕は「早逝の銀幕スター」を思い浮かべていた。若くして姿を消したスターは、ファンの胸の中には常に若くまばゆい記憶だけを残して、決して老醜をさらすことはない。永遠に輝かしい姿のまま、人々の記憶の中に生き続ける……。

改めて、彼のプロ野球人生を概観してみる。鮮烈すぎるデビューを飾り、人々の記憶にまばゆすぎる閃光を焼きつけた93年。その後の長く苦しいリハビリロードを経て、リリーフエースとして見事な復活を遂げた97年。あるいは、身体の不調を自覚しながらもマウンドに上がり続けて、安定した成績を残した99、00年。

しかし、それもほんのつかの間の出来事だった。01年4月以降、伊藤はマウンドから姿を消した。人々の記憶の中から、「伊藤智仁」の四文字が少しずつ薄れていく中で、彼は人知れず懸命なリハビリを続けていた。しかし、その奮闘は報われることなく、02年、そして03年と一軍マウンドに上がることはできずに、そのまま現役を引退した……。

デビュー時の印象があまりにも強烈すぎたために、人々は彼を「悲運のエース」と呼んだ。その見立ては、おそらく間違ってはいないことだろう。あり余る才能を有しながらも、相次ぐ故障に苦しみ、その実力を存分に発揮することができなかったのが現実だからだ。それはやはり、「悲運のエース」と呼んでもさしつかえないことなのかもしれない。

これこそが、世間の抱く「伊藤智仁」というプロ野球選手のパブリックイメージなのだろう。才能を有しながらも、たび重なる故障によって、実力を発揮できぬまま散っていった「悲運の天才」として、今もなお多くの人々の記憶に息づいているのだ。

しかし、伊藤の魅力はそれだけではない。彼の魅力は、それでもなお運命に抗い続けようととことん闘った姿でもある。手足が長く、実に「優雅で美しいピッチングフォーム」。そこから繰り出される類を見ない「高速スライダー」。故障に苦しめられつつユニフォームを脱いだ「散りゆく美学」、そして「運命から逃げない不屈の精神」……。そんなものが混然一体となっているところに、伊藤智仁という人物の魅力がある。それが、30数時間に及ぶロングインタビューの結果得た、僕なりの結論なのだ。

<了>

長谷川晶一(はせがわ・しょういち)
1970年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経て03年からフリーランスに。子どもの頃からのヤクルトファンで、2005年からは12球団すべてのファンクラブに入会。日本で唯一の「12球団ファンクラブ評論家Ⓡ」として商標登録済。近著に「幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生」。

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VictorySportsNews編集部