(C)仲本兼進

沖縄に突如と現れた新興勢力「KBC学園」とはどんな学校?

2018年4月3日。その日、北谷公園野球場に集まった多くの観客が固唾を呑んで春の県大会決勝を見守っていた。そして沖縄高校野球界に新たな1ページが加えられようとするその瞬間を目撃しようとしていた。

近年、野球王国といわれるようになった沖縄。1990年と91年の夏の甲子園で沖縄水産が2年連続準優勝を成し遂げたことにより沖縄の高校野球の地位が全国的に認知されるようになると、99年に沖縄尚学が春の甲子園で県勢初優勝。2008年に再び沖縄尚学が紫紺の優勝旗を沖縄に持ち帰ると、その2年後には興南が春夏連覇を達成。史上初めて沖縄に紫紺と深紅の優勝旗が同時に並んだのであった。首里が初めて沖縄代表として出場して以来52年もの時間がかかった夏の大会の優勝は、当時興南の主将を務めた我如古盛次が「沖縄県民が勝ち取った優勝」と県民の声を代弁したことにより、沖縄にとっての高校野球はスポーツの枠を超えた存在として確固たる意思を持つようになったのであった。

だからこそ、沖縄の高校野球は常に熱を帯びており注目の的となる。「今年はどのチームが強いのか」、「あのピッチャーはプロに行っても通用する」、「監督の転勤であのチームはこれからどんどん強くなるよ」など、一人ひとりが持つそれぞれの見方が気持ちをたかぶらせ、平日であろうと大会期間中は球場に多くの観客が詰めかけていた。しかしその観客において今春の大会の優勝校の快進撃を予測していた者は少なかったに違いない。「うわさには聞いていたが」という思いはあったにせよ、同時に「まさか」という思いも生まれたであろう。それだけ、意外なチームが優勝したのだ。

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迎えた春の県大会決勝。勝ち上がったのは甲子園常連校の興南と、創部4年目で初の決勝に臨むKBC学園未来高校沖縄(以下、KBC)だった。4回表、一塁ランナーがおとりとなり三塁ランナーを生還させるディレードスチールを成功させたKBCは、リードを保ちながら最終盤まで進む。追いつきたい興南は9回裏、先頭打者がヒットで出塁するも後続が倒れ2アウト。先発のマウンドを託され終始堂々としたピッチングを披露した背番号6をつけた宜保翔は145キロのフォーシームを主体とした投球で興南最後のバッターを三振に仕留め、1対0で勝ったKBCが創部4年目で春夏秋を通じ初の頂点に立ったのであった。

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野球と勉学を両立させるカリキュラム

県外の野球ファンにとってKBCの存在はあまり耳に入ってこなかったかもしれない。KBCは、県内最大の専門学校ネットワークである「学校法人KBC学園」のことで、1983年に那覇市に国際ビジネス専門学校を開校して以来、35年もの間に7つの専門学校を運営している。その中の一つであるデザイン系の専門学校「インターナショナルデザインアカデミー」が2007年、中学卒業以上を入学資格とする高等課程を設置。2012年には愛媛県の「未来高等学校」と提携し、「未来高等学校沖縄学習センター」を開校させた。そして2015年からはスポーツコースを新たに設け、現在に至っている。客観的に通信制の印象が強い学校ではあるが、実際に通信制の普通科はあるものの毎日の通学を必要とする総合学科も存在している。今回優勝した野球部は総合学科のスポーツコースの生徒であり、他の公立学校と同様に毎日教室で授業を受け、卒業と同時に未来高校とKBC学園(高等課程)の卒業資格を取得できる。

プロ選手や指導者、体育教員などスポーツに関わる仕事を将来の夢として持つ高校生が対象のスポーツコースには野球専攻とサッカー専攻があり、野球は2015年から高野連、サッカーは2017年から高体連の大会に出場している。ちなみにサッカー部の監督は沖縄県初のJリーガーでありGKとしてプレーした石川研監督であり、日本サッカー協会(JFA)が公認するS級のコーチ資格を持っている。スポーツコースの生徒は午前中は普通の高校と変わらない5教科を学び、加えて専門学校のノウハウを活かしたビジネス系の資格取得に励んでいる。面白いカリキュラムとしては不定期に「脳トレ」という授業がある。具体的に言うと、周辺視野の広げ方やピントの合わせ方、応援が少なくてもモチベーションを高めるといったトレーニングを訓練している。

「正直、この授業やっていて意味あるのかなと思っていた時期もあったんですが、勝ち上がる経験を積んでいく中で、ピンチの場面にもかかわらず自然と明るくなるような感覚があって、決勝という大舞台でも冷静にプレーができた。応援団が少ない中でも相手の応援が大きければ大きいほどテンションが上がり楽しくプレーすることができました」(KBC・宜保翔)

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午後には野球とサッカーともに約4時間、トレーニングに集中する時間が与えられている。部活も授業の一環として行われるため学期末ごとに成績がつけられるが、試合の成績だけで判断されないようになっている。KBCは専用のグラウンドを保有していないため、主に野球部は糸満市、サッカー部は那覇市近郊の人工芝の施設まで移動して練習を行っている。野球、サッカーとも選手は約20~30人程度で、監督とコーチ陣は選手の様子をじっくりと観察することができ、選手の特徴や弱点、コンディションなどを認知しやすく、コミュニケーションが図りやすい体制となっている。

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選手の個性を伸ばすために考え直した厳しさの質

県内64校目の野球部として産声をあげたKBC野球部は2015年、1年生12人でスタートした。その野球部の監督を引き受けたのが、経験値の豊富な神山昂監督である。糸満市出身の神山監督は琉球大を卒業後、1978年に豊見城、83年には沖縄水産のコーチを歴任した。両校とも当時の監督は沖縄高校野球界に金字塔を打ち立てた名将・栽弘義監督である。栽監督の片腕として指導者の経験を積んだ後、那覇商業の監督に就任。94年には同校初の春夏連続の甲子園出場に導き、夏の大会では横浜(神奈川)を相手に甲子園初勝利を飾っている。定年退職を迎え一度はユニフォームを脱いだ神山監督であったが、KBCから白羽の矢が立ち、熟考の末に初代監督として再び袖を通すことを決めた。

「それぞれの選手が野球に関して非常に良いものを持っているなと最近感じられるようになりました。ただ、ちょっとダラダラしているというか、もう少しピリッとしてくれればいいんですがね。その姿を見て僕が『急げ』と一声かけるんですが、逆に『急いでます』と言ったりしてくるんですよ(笑)。よく周りからやんちゃ集団と言われています」(神山昂監督)

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これまで熱い指導でチームをまとめてきた経験からチームをつくり上げてきた神山監督であったが、選手の野球に打ち込む心境の変化や社会の厳しい目線などにより取り巻く環境の変化についていけない時期もあったという。

「昔はゲンコツありきの時代で通じていましたが、今同じようなことをすると活動停止になり野球ができなくなってしまう。野球に対し熱く燃えるものは昔も今も同じですが、じゃあどう伝えるのかと考えた時に、やっぱり迷った時期もありました。殴られ罵声を浴びせられ水が飲めないのが当たり前の時代を生きて、それが強くなる方法であると信じてきたし、それで野球が楽しくなくなったという選手も目の当りにしてきた。10年ほど前から全体的に指導法が変わっていった中、今いる32歳のコーチ2人は昔気質な野球を経験していない。選手に教える時に無理やり叩き込ませることはせず、言われた通りにやらなければ叱責したり殴ったりするようなこともしない。一つひとつのプレーの意図を説明しながら教えています。
 ただその中で、どうやって激しさと本気度を出すか。楽しく頑張ろうというだけでチームは作れない。監督もコーチも何も言ってこないから適当にやろうという気持ちが出てしまうと大変なことになってしまう。褒めるところは褒める、ダメなところはダメだと、そうはっきりと選手に伝えた方がわかりやすいでしょ。監督の指示で動かされるような厳しさはもう通用しないんです。そう思うようになった時、自然と気持ちが楽になりました」

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今につながる「奇跡の12人」

現在35人が所属する野球部は創部時、12人でスタートした。ここに至るまで神山監督と、長男でありコーチも務める神山剛史部長が中心となって中学校やクラブチームを回り、部員確保に奔走する日々を送っていた。

「野球ができるだけの人数が集まってくれるか不安を覚える中、初年度に12名の入学生を迎えることができた。しかし全てがゼロからのスタートで練習環境や道具も満足な状態では当然ないですし、先輩もいなければ伝統も何もない。野球をするために集まってくれた彼ら12人はKBC野球部の礎をつくらなければならないという決して軽くない重責を抱えていたわけです。後に後輩が入り、先輩として伝える役目も果たしてくれた。本当に感謝の想いでいっぱいですし、僕は敬意を表して『奇跡の12人』と呼んでいます。彼らがいたから今があるんです」

しかし神山監督の苦労は選手集めだけではなかった。学校には専用グラウンドがないため練習場所の確保にも時間を要する日々を過ごしていた。

「創部当初はなかなか練習できる場所が取れなくてキャッチボールだけで練習が終わるような日もありましたし、かなり遠方まで行くこともありました。ようやく近くの市民グラウンドが使えるようになってホッとできるかなと思ったんですが、まだ学校自体がそこまで知られていないので周りから我が物顔で使うんじゃないと何度も連絡があったりして練習に集中できず悩みました。こちらはそういう気はまったくないんですが、いろいろな誤解が生まれ、それが実態の分からない風評被害となって中学校にも伝わっていましたし、もうどん底でした。ただ今回、春の大会で結果を残せたことで学校の印象もきっと変わると思いますし、進展してくれるといいですね」

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さまざまな苦難を経験しながら成長し続けるKBC野球部。1年生だけで臨んだ2015年秋季大会で3回戦進出を果たして早くに結果を残すも、続く春季大会は初戦敗退、夏の選手権では2回戦進出が最高だった。しかし、現在の3年生が出場した2016年の1年生中央大会で創部初となる優勝という結果を残し、地力をつけてきた。この優勝の陰には、奇跡の12人の存在がある。

「実際に強豪校の誘いがあった選手もいる中で僕がいろいろ説得にあたるんですが、限界がある。そういった中、1期生が後輩に説明してくれたんです。先輩に『一緒にやらないか』と言われたらやっぱり心に響くじゃないですか。上下関係もないですし無駄なことを考えず野球に打ち込める環境がある。少数精鋭だからこそ1年生の時から試合に出られるチャンスもあるということも伝えてくれて、それに魅力を感じ選手は年々増えていきました。1年生大会の時も先輩たちが練習に付き合ってくれた。彼らは何もない時代から一緒に共にして、道具の片付けや管理も全部やってくれた。12人しかいませんでしたから怪我をすればどれだけチームに迷惑をかけるかも理解している。でもやっぱり怪我はするんです。1期生の苦労はとても大きかったと思います」

そう話す神山監督は、1期生に対しての労いと愛情を今も強く注いでいた。

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今の時代に合った「提案型スタイル」

選手は野球専攻に所属しているため、野球に対する意識は非常に強い。そのため自覚を持って練習に励むことはもちろん、レベルアップを図るため積極的に野球に打ち込んでいる。

「今はメジャーリーグといった一流選手の映像を簡単に見ることができる時代で、彼らはそれを見て自分のものにしようと学習してくるんです。あと、一番影響を受けているのは健大高崎(群馬)の機動破壊と呼ばれるプレーですね。よく研究しています。ただ、それを見るだけではチームはできないので、選手たちがそういうスタイルを好んで臨むんであれば、コーチはしっかりとサポートするようにしています。やりたいことをやらしているのだから、選手には自然と責任感が生まれるんですよ。昔は上の命令に従えばよかったのかもしれないが、今の社会は何が正しいのか分からない時代。考えて行動しアイデアを出さないと置いていかれてしまいます」

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KBCには選手とコーチ陣との間に大きな壁は存在していない。選手の意見をくみとりつつ、経験値を活かしアドバイスを送っている。神山監督にとっても両腕となっているコーチ陣の信頼は厚い。

「練習メニューはコーチに任しており、僕はそれを見ていろいろと提案する。僕も頑固ですから最初は意見の食い違いで言い争ったりしましたよ(笑)。でも良い意味でそれがないと駄目。プロセスに確実な意図があって、それを選手にやらせる時に『こうやってできるんだ』という気持ちにさせるような楽しさがないと一生懸命になれないということを分かっているんです。
(長男の)神山部長は九州産業大時代に学生コーチとして日本一に貢献していますし、大人を相手にするような言葉遣いで教えています。副部長の前城大悟コーチは中学校の監督を務めた経験があり、一から丁寧に言いながら教えますしとにかく熱い。この同学年コーチと僕の3人体制でいることでそれぞれの考え方が連係しやすいのは大きなメリットだと思います。大人数にありがちな『一人のコーチがああ言っていたのにもう一人のコーチはこう言っていた』ということにはならない。だからチームは少数精鋭にしています。
 僕は『選手の失敗は俺の責任、成功は俺のもの』と言い続けているんですが、そういった話や気持ちを持つようになったことで僕も選手もコーチも活きるようになった。選手は自覚を持って練習に励むようになりましたし、言われなくてもやれるようになりました」

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KBCの注目選手・宜保翔は二刀流

春の県大会決勝では興南相手に完封勝利をおさめ、九州大会ではベスト4入りに貢献した投手・宜保翔。「背番号6」を身につけていることから分かる通り、普段はショートを守っておりチームの4番でもある。投打の二刀流として注目を浴びている彼だが、実は先発起用については緊急事態が生んだ苦肉の策でもあった。

「もともと、あと一人ピッチャーを増やそうということを考えていて、それでチームでコンテストをしたんですよ。(キャッチャーの)石原結光も140キロ程度出せるポテンシャルはあったんですが、結局宜保だけが140キロ台を出したので、コーチの提案として宜保をピッチャーにしましょうということになりました。ただ基本はショートでプレーさせ、リリーフとして使うということが本来の目的。ショートでも彼は一級品ですから。ただその後(エースの)新垣龍希が足をひねってしまい投げられなくなってしまって。これは困ったなと。それで主将の平良光を先発に起用していたんですが、彼は気合いで投げるタイプですからコントロールが乱れることが多いんですね。それで失点を許したら宜保に変えようというプランでした。とはいえぶっつけ本番のようなもんですよ。そしたら、試合ごとにみるみる良くなっていって。それで先発でも使うことにしました。正直ここまでやるとは想像もしませんでした」

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宜保は九州大会でも快投を見せたことで、その後グラウンドにはプロ野球のスカウトも訪れるようになった。投球だけでなく4番というチームの主砲としての姿も見せる宜保は、春の大会の沖縄水産戦で満塁ホームランを放つなど野球選手としての素質を発揮し続けている。

「チャンスに強いバッティングでチームの雰囲気を明るくさせて、投手としては1キロでもスピードアップさせたい。本来のエースは新垣なので、それぞれの個性を磨いて投手陣を厚くさせたいと思っています」(宜保)

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ワンランク上を求めて挑む夏

九州大会を終えた5月下旬。KBCは県内で九州学院と文徳、明徳義塾との練習試合を行った。九州学院には勝ち、その後連敗を重ねたが、出場した選手は気持ちを落ち着かせ、各々の状態と課題を見つける確認しながら試合に臨んでいるように見えた。主将として夏の大会に臨む平良光は個性派集団のチームを一つにまとめる重責を果たしている。

「このチームのキャプテンができるのは僕だけだと思っています。だからみんなの性格も野球観も知っていますし、みんなのためにという意識も強くあります。個性を活かすため集中を高める瞬間には声を掛けるようにしています」

そしてエースを担う新垣龍希も気合いが徐々に高まっている。

「県大会では投げられず悔しい思いもしたが、九州大会から投げられるようになり、楽しい場所に戻ってこられたなと感じている。その思いをぶつけていきたい」

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試合中、円陣の中心には必ず神山監督の姿がある。選手のモチベーションを上げ、失敗を恐れない緻密な野球のできるチームをつくった指揮官を中心に、KBCは100回大会を迎える夏の甲子園初出場に挑む。

<了>

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仲本兼進

1978年沖縄県生まれ。県内ラジオ局で11年間番組制作に従事し、FC琉球(サッカー)、琉球ゴールデンキングス(バスケットボール)のオフィシャル番組を手掛けたのをきっかけに沖縄を中心としたスポーツ取材を開始。現在はスポーツライターとして『Jリーグ公式サイト』『J’sGOAL』にてFC琉球担当記者を務め、『週間ベースボール』『高校野球マガジン』『エル・ゴラッソ』『サッカーダイジェスト』などに寄稿。またラジオ番組MCやスポーツ実況・解説者といったメディア出演にも携わっている。