想像以上に難航したチーム探し

(C)長沢正博

6月17日のタイリーグ2部(以下、T2)、サムットサコンはホームでクラビFCに4対2で勝利を収めた。試合終了後、久しぶりの勝ち星に沸くサポーターが次々と石井に記念撮影を求めてきた。石井はすっかりチームの顔となっていた。

そもそも、なぜタイの地を選んだのか。「子供の頃からずっと海外でプレーしたいという夢はありました」と石井は語る。実は一昨年のシーズンオフに、夫人と旅行で初めてタイを訪れている。「海もあって、タイ料理もおいしくて、タイが好きになりました。札幌が契約満了になって、次のチームをどうしようかと考えたときに、タイを最優先に動き出しました」。

周囲からは“まず現地に行くべき”とアドバイスをもらい、昨年のJリーグのシーズン終了後、すぐにタイに向かった。札幌が提携するT2のコンケーンFCに練習参加できることになっていたが、具体的な日程は決まっていなかった。まだ何も見えない中でタイに乗り込み、チーム探しを始めた。「何も計画を立てず、未知の世界でした」と振り返る。

当初はいくつかのチームの練習に参加して、その上で契約できればという考えだった。元J1の選手ならすぐに決まる、とも日本では言われた。だが、思っていた以上にチーム探しは難航する。タイに到着後、1週間ほどしてコンケーンの練習参加の日程が決まった。その間もバンコクで練習参加できるチームを探したが見つからず、ジムなどでコンディションの維持に努めた。コンケーンに到着すると、チームは既に韓国人の選手と契約していた。

トレーニングでは「間違いなくやれる」という感触を抱いた。当初の予定より練習参加を延長されるも、コンケーン側の結論は出ない。いつまでも待つわけにいかず、石井は声を掛けてくれたサムットサコンに向かった。すると、まだ空いている外国人枠を狙い、大勢の外国人選手が押し寄せていた。「チームのオーナーが熱心に誘ってくれましたが、毎日知らない外国人選手ばかり来て、大丈夫かな?と思いました」。

札幌が石井のサムットサコンへの移籍を発表したのは年が明けた1月19日。3週間ほどの練習参加の末、無事、契約を勝ち取ることができた。日本帰国の選択肢もよぎってきたタイミングでの契約だった。ただ、チームのリーグ開幕戦は翌月11日に迫っていた。石井は一時帰国して、車の売却や国際免許の取得、諸々の手続きを慌しく済ませたが、それも「はじめにチームからは1 日で戻ってきて欲しいといわれました。それは無理だと説得して、4日にしてもらいました」。

背負う期待、プレッシャーとの闘い

(C)長沢正博

サムットサコンは今年、2部に昇格したばかり。クラブの規模は決して大きくはない。6月24日時点で15チーム中13位につけ、降格圏(下位2チーム)を辛くも脱している。石井はポジションを転々とさせられながらも、ほぼ全試合に先発出場し、チームトップの5ゴールをあげている。

「第一に得点を考えるようになりました。元々、札幌ではウィングバックだったので、本当はウィングバックでやりたいと思っていたんですけど、最初はトップ下をやったり、ボランチもやりました。サイド、フォワードも。チームから期待されているのは感じます。例えば、点を取っても負けたら僕の責任となる。かなりプレッシャーはありますが、日本では経験できなかったこと。そのプレッシャーに勝って結果を出し続けたい」。

旅行で短期間滞在するのと、実際に生活するのでは勝手が異なる。当初は日本との環境の違いによる戸惑いもあった。まずは時間の感覚。「(練習開始時刻から)実際に始まるまでさらに1時間待ったり、着いたら練習がなかったり」。現在はチームから車が支給されているが、それまではタクシーでの移動が多かった。タイではタクシーの乗車拒否は日常茶飯事。「はじめは言葉が分からなかったので、まったく乗れなかった。何台も連続で断られて、練習に行く前に労力を使ったりして、サッカー以外の部分で疲れてしまった」。

チームとのコミュニケーションでも壁があった。石井は体のケアのため、バンコクにあるインディバの治療院を時折訪れている。そんな行動もなぜかチームからは不審がられた。石井が住むサムットサコンからバンコクまで、混んでいても車で1時間ほど。「北海道出身なので1時間の移動は普通です。でも人を介して、バンコクまで行って何をしているんだ、運転で疲れたりしているんじゃないかとか、言われたりしました」。

妙な疑いの目を向けられたままでは、プレーに影響しかねない。石井は通訳を紹介してもらい、オーナー、監督、コーチ陣を交えて話し合いの場を持った。「もやもやしたままでも嫌だなと思い、今の自分の気持ちなどを2時間くらいかけて話しました。言葉が通じない分、向こうにも実際に勘違いがあったようで、“本当はどこのポジションでやりたいんだ”と聞かれたりしました。しっかりと思いを話しましたし、自分の中ではすっきりしました」。

見据えるアジアの舞台

(C)長沢正博

移籍にあたって多くの人の協力があった。その中の一人が、昨年後期から札幌でプレーするタイ代表MFのチャナティップ・ソングラシン。「僕がタイでプレーしたいと話したら“応援するよ。力になりたい”と言って、色々相談に乗ってくれました。タイのサッカー関係者にも連絡を取ってくれました」。

昨年の札幌加入時、チャナティップのプレーは石井の目にどう映ったのか。「タイの選手を見たことなかったので、どういうプレーをするのか良く分かっていませんでした。チャナティップはものすごく技術が高かったですね。タイに来てからも、ポテンシャルの高い選手がたくさんいると感じました」。

先日も、Jリーグの中断期間中に一時帰国していたチャナティップと会い、食事をともにした。「僕のことを気にかけてくれていて、現状などを話したりしました。いつも相談に乗ってくれます。本当にナイスガイです。人間としてすごく尊敬できます。謙虚だし、大好きです」とプレーだけでなく、人柄への賞賛も惜しまない。

バンコクで飲食店を営む友人を介して会った元ベガルタ仙台の大久保剛志(T2、PTTラヨーンFC)も石井の移籍に尽力。愛媛でチームメイトだった小笠原侑生(T2、ノーンブアピチャヤFC)ともタイで再会した。様々な背景を持つ人たちと出会い、考え方にも変化が訪れた。「本当に幅が広がったと思います。タイに来たからには、どこの国でも行けるというか、そこまでの不安はありません」。

古巣の札幌は現在、J1で5位(5月20日時点)につける躍進を見せ、来季のAFCチャンピオンズリーグ(以下、ACL)の出場権獲得も視野に入っている。石井も同様に、このアジアの舞台を見据えている。「今の最大の目標はACLに出て、古巣である札幌と対戦すること。そこにたどり着くために、どうすればよいかを逆算してプレーしています。あと何年プレーできるか分かりません。後悔のないように、やれることをやりたい」。

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長沢正博

ライター、編集者。バンコク在住。1981年、東京生まれ。大学時代に毎日新聞で学生記者を経験し、卒業後、ウェブ制作会社勤務などを経て、ライター業に従事。 2012年からタイに移り、現地の日本語情報誌の編集に携わってタイのビジネスシーンなどを取材する傍ら、タイのサッカーを追い、日本のウェブサイトなどにタイの サッカー情報を寄稿する。中学、高校時代のポジションはGK。