日本ではネガティブにとらえられがちな投手の手術だが

大谷選手が受けたトミー・ジョン手術は、損傷した肘の靭帯を切除し、手首や足首など自分の身体の他の部分から正常な腱を移植する手術のことです。

「『手術』、『肘にメスを入れる』と聞くと、即座な反応としてはネガティブな印象を持たれる方も多いと思います。一方メジャーリーグでは、成功率の高い手術として認知されていて、多すぎるのは事実ですが今年だけでも20人程度の選手がこの手術を受けています。とはいえ、選手にとっては、『体にメスを入れる』ということは一大決心であることにはかわりません」

横浜DeNAベイスターズ初代球団社長の池田純氏は、トミー・ジョン手術の現状をこう話します。

「この手術の名前にもなったトミー・ジョン投手が手術を受けた1974年当時の成功率は相当低かったようですが、アメリカのスポーツ医学雑誌によるとメジャーで83%、マイナーも含めると97%の投手が術後に実戦復帰を果たしているという統計もあります。手術に対するネガティブな印象は、初期のトミー・ジョン手術のイメージが定着してしまったためかもしれません」

2009年に衝撃のデビューを飾った“スターズ”ことスティーブン・ストラスバーグ(ナショナルズ)が、デビュー翌シーズンにトミー・ジョン手術を受け、その後見事に復活を遂げた例が記憶に新しいメジャーリーグファンもいるかと思います。アメリカでは「若手投手の活躍→トミー・ジョン手術→復活」という前例がたくさんあり、球団側にも「トミー・ジョン手術=選手生命」の危機という捉え方はされていません。

「日本でも桑田真澄さんが渡米してこの手術を受けた際に、術式の考案者であるジョーブ博士が有名になりましたよね。メジャー入りしてからになりますが、松坂大輔投手も2011年の手術から復帰し、今季は皆さんご存じの通りの活躍をしていますし、和田毅投手、ダルビッシュ有投手もトミー・ジョンを受けています。大谷投手も、最終的な決断を下すのには相当悩んだと思いますが、いろいろな可能性を考慮した上で自ら手術を選択したわけですから、我々はリハビリを経ての復活後の活躍に期待したいと思います」

真の問題はトミー・ジョンを受ける投手たちの故障原因にあり

トミー・ジョン手術が日本で思われているほどリスキーな決断ではないことは、手術の成功率、その後の選手たちの活躍ぶりを見ても納得です。池田氏は、それを踏まえた上で、トミー・ジョン手術には看過できない問題が2つあると言います。

「ひとつは復帰までに要する時間ですよね。手術を受けると投手の場合は復帰までにだいたい1年はかかってしまうのを私も目の当たりにしていました。スポーツ整形の名医の方などにも何度も教えていただいたのですが、やはり術後に肘が固まってしまって、リハビリで伸ばしていくのですが、これが非常に痛くて辛い、我慢と根気がいる。1年後にかなりの確率でそれまでと変わらない投球に戻ることができるということですが、キャリアを考えるとこのブランクは選手にとっても球団にとってもマイナスと考えてしまう傾向がどうしても強くなる。とはいえ、大谷選手の場合は上限ルールがあったので、 メジャー最低保障年俸の54万5000ドル(約5800万円)でもありますからね。この年俸でマンガでもみられないような二刀流で活躍しているわけですから、損得勘定でいえばエンゼルスはまったく損をした気持ちはないでしょう。年俸に対しては、アメリカは日本よりも相当シビアが、肘の動きが投球とは逆側ということもあり、球団としては2019年もバッターとしての活躍に期待できます。1年のブランクに対しても、費用対効果といった一元的なネガティブな思考にはならないでしょう。大谷選手も、外野の批判などもなく、2019年はリハビリと同時にバッターにも気持ちが入る環境ではありますよね」

池田氏が「最大の問題なのではないか?」として終始疑問を呈していたのが、トミー・ジョン手術を受けなければいけない投手の増加傾向にあることと、その原因とされる因子についてです。

「MLBのコミッショナーも同様の発言をしているようですが、一番の問題はトミー・ジョン手術を受ける投手が増えているという事実とその原因です。アメリカスポーツ医学研究所(ASMI)という機関に、『肘の故障の多くは幼少期からの蓄積』『そこに疲労が蓄積すると起こる』というような研究結果があります。日本でも中高生の肘や肩の酷使が問題になっていますが、若年層の投球過多が肘の靭帯損傷を引き起こしている可能性が高いのは間違いないでしょう。アメリカではこの分野の研究が進んでいるようで、子どもの肘はカーブを投げるのに耐えられる発達をしていないともいわれています。普通に考えればわかることですが、高校生くらいまでは身体は成長、発達し続けています。その成長過程で過度な負荷がかかりすぎることは故障の原因になりやすいのではないでしょうか。このあたりの話は、頻繁にスポーツ整形のドクターなどとも話題になります」

池田氏は以前から成長段階にある学生の投球過多に危機感を抱き、スポーツ医学の専門医などと意見交換をしてきたといいます。

「小学生でもすでに肘に問題がある選手が少なくありません。これは日米を問わず共通の問題だと思うので、継続的に取り組んでいくべきです」

ベイスターズ社長時代に、DeNAベイスターズカップ (神奈川県中学硬式野球選手権大会)を創設、少年野球の大会としては当時珍しかった投球数制限などのルールを設けたのもこうした思いからでした。

「当時は実現こそしませんでしたが、メディアにも公表していたように、スタジアムに子どもたちが肘のレントゲン、エコー検査が行える施設を常設するプロジェクトも動かしていました」

成長期の肘の酷使、それに伴う故障の問題は、野球の将来を担う子どもたちへのケアから始めなければ効果は期待できないため、長期展望に立ったビジョンが必要です。

「プロや大学生、高校生同様、もしかするとそれ以上に、中学生、小学生の身体的負荷、故障の原因になるリスク因子への対策が急務でしょう」

大谷投手が手術という選択を選んだことによって、その後の経過も含めて再び注目を集めることになったトミー・ジョン手術。順調にいけば2020年には再び大谷選手のマウンドでの勇姿を目にすることができそうですが、手術を要する投手の故障がなぜ頻発しているのか? その背景にも目を向けるべきなのは間違いありません。

<了>

取材協力:文化放送

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VictorySportsNews編集部