子どもの頃は人見知りだったが、大人になればちびっ子たちのヒーローになった。

小学校3年生の頃にラグビーと出会った大畑大介は、走って、走って、走りまくり、2006年には日本代表のエースとしてテストマッチ(代表戦)のトライ世界最多記録を更新。通算69まで伸ばしたそのレコードは、いまだ破られていない。

さまざまな競技の有名アスリートが運動能力を競い合う番組に出れば、持ち前の身体能力を活かして優勝をさらう。バラエティー番組でも軽妙なトークを披露。名実ともに、日本ラグビー史を代表する存在となった。

過去に2度出場のワールドカップが日本で開催されるまであと1年を切った今、現役時代の秘話とラグビーとの教育、子育てとの関連性を語った。子どもと生きる全ての人に、ワールドカップに触れてほしい。

(インタビュー・構成=向風見也、取材日=2018年11月9日)

ラグビーはどんなにすごいプレーヤーでもひとりではできない

――小学校3年生の頃にラグビーを始めた大畑さん。快足を長所に名をあげ、やがて日本代表選手となります。

「もともと人となじめない性格で、どうやったら友達ができるかと考えた時、『周りに対して自分がベクトルを向けられないのならば、周りから自分にベクトルを向けてもらえる人間になろう!』と思いました。そんななかラグビーに出会って、実際にやってみたら、ただただ足が速かっただけで皆が僕のことに興味を持ってくれた。自分の居場所が見つかったのが、その瞬間だったんですよね。ラグビープレーヤーとして成長していくことで、その居場所をさらに大きくしていきたくなりました」

――身体をぶつけ合う。ルール上、ボールを前に投げられないなか、ボールを前に運ぶ。そんな特性を持つラグビーを通じ、学んだことはありましたか。

「自分を認めてもらうために自己主張をすることで、“ラグビーボール”という責任が自分に回ってくる。その責任を背負ってどれだけの仕事をするかによって、チーム内の信頼感が変わってくることがわかりました。またラグビーは、どんなにすごいプレーヤーであってもひとりではできない。本当の意味で隣同士の人間と信頼関係が築けていないと、自分のところにボールは回ってきません。逆に、自分が隣の人間を信用していないと、目の前の状況を自分自身で処理しようとする。これは社会でも一緒。組織の一員として認めてもらうには、まず自分自身の仕事を全うして責任を果たさなくてはいけないと感じました」

(C)長尾亜紀

――「自己主張」「責任」「信頼」への思いは、2001年以降、言葉の通じないオーストラリアやフランスでプレーしたなかでさらに強くなったようです。

「日本にいる時は、自分に与えられた役割のなかである程度のパフォーマンスをして認められていた部分がありました。自分自身をさらに成長させたいという思いで、海外に行きました。それまでの実績がゼロになったなか、日本で与えられていたいろいろなものを、海外では自分で手に入れなくてはいけませんでした。

僕はウイングという端っこのポジションにいるので、周りからボールを託されないと仕事ができない。そのためチームメイトからの信頼を得てボールを託されるためには、ボールを持っていない時にどれだけの仕事をするのかが大事でした。ボールを持っていないところでチームを思って仕事をするようになって、その一試合、そのワンプレーに意識を高く持つようになりました。そうすることで、それまでにあったプレーのむらがなくなりました」

――相手をタックルで倒す。味方が蹴ったボールを追いかける……。ウイングの選手ができる「ボールを持っていない時の仕事」に意識を傾けたのですね。

「それと、自分が日本人であるということも海外に出ることで強く感じられました。海外の選手にとっては、日本人を測る物差しは大畑大介しかいなかった。自分が頑張らないと日本の評価も上がらないと意識しました。契約上、なかなか試合に出られないこともあり、いま振り返ればしんどかったんだろうなとは思います。ただ当時は、自分のなかでいろいろなことを経験したいと考えていた。うまくいかないこともマイナスに捉えませんでした」

(C)Getty Images

子育てから学んだ、人との接し方

――ところで大畑さんは現在、2人のお嬢様の父親です。競技生活で得た財産で、子育てに役立ったことはありましたか。

「というよりも、子どもが産まれたことで、その頃のチーム内での自分と周りの関わりが変わりました(当時は神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属)。長女が生まれたのは2004年。アスリートとしてある程度のことができている状態で、若い選手に対して『何でそんなこともできないの?』と減点法で見てしまっていた。彼らにすれば、そんなことを言われても急にできるようにはならない。どうしても委縮するんです。

でも、子どもに対しては、寝返り、ハイハイと、できなかったことができるようになったことをただただ褒めてあげられたんです。そして、子どもも褒められるとうれしくなってさらにいろんなことにチャレンジする。その経験のおかげで、『後輩に対しても、できることを褒めるようにした方がいいんじゃないか』と思えるようになったんです。結果、後輩との距離感は縮まりました。それまでの僕は一匹狼で、誰ともつるむこともなかったのですが、子どもが産まれて本当に変わりましたよ。人からもそう言われますし、後輩からの話しかけられ方も明らかに違っていきました」

(C)長尾亜紀

ワールドカップで感じた手応え

――さて、ここからはラグビーワールドカップについて伺います。1987年に始まったビッグイベントに、大畑さんは1999年、2003年に2大会連続で出場しています。

「子どもの頃から、オリンピックで輝く人たちをよく見ていました。ただ当時、ラグビーはオリンピック競技ではなかった。そんななか、4年に一度の最高の舞台であるワールドカップには出たいと感じました。第1回ワールドカップが行われたのは私が小学校6年生の時。ニュージーランド代表のデイビッド・カークが優勝カップを持ってウイニングランをしている姿はむちゃくちゃ、かっこよかった。実は僕、アスリートのプレーを見て憧れたことはほとんどないんです。ラグビー選手で初めて憧れたのは松尾雄治さんでしたが、それはプレーというより、引退前最後の日本選手権で優勝して国立競技場の舞台で皆に担がれている姿に『すごい。ラグビー選手でもこんな姿を見せられるんだ』と感じたんです。何かを達成した後の姿がかっこよく、自分もそんな人間になってみたい思いがありました。輝く人間になりたかった」

――なりたい自分になるためのワールドカップに初めて出たのは23歳のウェールズ大会。1999年でした。結果は3戦全敗でした。

「それまでの間もテストマッチで結果を出していたので、そこそこの手応えは感じていたんです。ただ代表に入った頃から、自分のなかでのターゲットは2003年と考えていました。『1999年ではワールドカップというその舞台の大きさを経験し、次までに何が必要なのかを考えて、2003年を迎える』。その中途半端な手応え、中途半端な覚悟で向かっていって……。ガツーンとやられました。反面、まだまだ未熟だと自覚していた自分がワールドカップで通用しなかったことには、『自分の感覚は間違っていなかった』とうれしくもなりましたが」

――その思い、当時のチームメイトにはなかなか言えなかったはずです。もっとも監督だった平尾誠二さん(故人)は、そうした心の動きに気付いていませんでしたか。

「確かに僕に対しては距離を取りながらでしたが、常に気にしてくれてはいました。平尾さんは、僕のことは無理して使ってくれていたと思います。試合ごとに力を発揮できる振れ幅がすごく大きな選手だったのに、『はまった時には、ビックリするくらいの力を発揮するから』と。その頃の私の魅力は何も考えずに持っているものを出すことでした。ところがどこかのタイミングで、与えられたポジションにしがみつき、長所である思い切りの良さが出せない自分がいました。そんな時、平尾さんに呼び出され、『お前の魅力は何だ? 次の試合、自分にベクトルを向けてちゃんとしたパフォーマンスを出せ。それができなければもうおまえを代表から外す』と。その試合が、1998年9月のアルゼンチン戦。ここで自分の魅力を出し、評価してもらえてからはレギュラーで使ってもらえるようになりました(44対29で勝利)」

――そして、海外挑戦などを経て27歳で迎えたのが2003年大会。オーストラリアで行われました。

「1999年から2003年に向け、成長できていました。スコットランド代表、フランス代表、フィジー代表、アメリカ代表と対戦。いずれも勝っていないので偉そうなことはいえないのですが、選手としての手応えはよりあったと思います。当時のキャプテンは箕内拓郎で、副キャプテンは大久保直弥と僕。3人とも同期でした。それに1999年の時と違って大会前の試合結果がよくなかったので、すごく危機感がありました。それがチームに結束力を生みました。すべてのプレーが必死で、体を張った。結果は残せませんでしたが、そんな日本代表のひたむきにプレーする姿を、現地の方にも評価をしていただいた。日本代表の『ブレイブブロッサムズ』という愛称はこの時についたんですよね」

(C)Getty Images

日本代表は正しい道を歩んでいる

――経験者として、2019年の日本大会に向かう現日本代表をどうご覧になっていますか。1999年大会で一緒にプレーしたジェイミー・ジョセフさんは、いまの日本代表でヘッドコーチを務めていますが。

「すごくいい方向へ進んでいます。2015年のイングランド大会で大きな成果を残した(歴史的3勝)。ここで代表ではない人も含めて日本のラグビー選手たちが『いけるんじゃないか』と思えたはずです。そして、翌年はリオデジャネイロオリンピックで7人制日本代表がニュージーランド代表を倒した。自分たちで成功体験を得ている選手が多い。2016年からいままでの間、確かに戦績だけを見ると結果は残っていません(ジョセフ体制で臨んだ上位国とのテストマッチの戦績は、5勝9敗1分)。ただ、対戦相手のレベルはそれまでと雲泥の差です(ニュージーランド代表など上位国が多い)。この経験に勝る財産はないと思う。歩んできている道は正しい」

――最後に。来年日本で開催されるワールドカップを機にラグビーを見る人、特に親子で一緒に見る方にはどんな視点を持ってほしいですか。

「ラグビーでは、先発とリザーブを含めた23人それぞれに役割がある。選手のキャラクターが豊富なこと、ポジション上の役割がチームによって違うことなど、見方にも多様性ができるんです。必ずしもボールを持ってトライを決めたりして目立っている選手だけではなく、ボールを持っていないところで支えている選手もいる。もし自分の子どもが学校、家庭、その時やっているスポーツで居場所を見つけられないのだとしたら、ラグビーを通し『あのポジションの選手はこういう頑張りでチームを支えているんだ』と、子どもの悩んでいることに沿って伝えられるのではと思います。自分の居場所が見つけられるのがラグビーの素晴らしさです」

<了>

(C)長尾亜紀

[PROFILE]
大畑大介(おおはた・だいすけ)
1975年11月11日生まれ、大阪府出身。現役時代には、神戸製鋼コベルコスティーラーズ、ノーザンサバーブス(豪)、モンフェラン(仏)でプレー。ワールドカップに2度出場(1999年、2003年)。日本代表キャップ58。日本ラグビー界が世界に誇るトライ王。2011年に引退後、メディア・講演等で精力的に活動。日本人史上2人目となるワールドラグビー殿堂入り。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員、ラグビーワールドカップ2019アンバサダーを務める。

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向風見也

著者プロフィール 向風見也

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、ラグビーのリポートやコラムを『ラグビーマガジン』や各種雑誌、ウェブサイトに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。