北九州市立総合体育館で行われた体操には56カ国・地域から308選手がエントリーし、同じく北九州市の西日本総合展示場で行われた新体操には47カ国・地域の175人がエントリー。参加国が多岐にわたっていることは、大会組織委員会にとって緊張感が高かったと想像できる中、観客席数は体操・新体操ともフルに入れば約2500人という国際大会を無事に行うことができた背景には、どのような施策があったのか。

 周知のとおり、今夏には新型コロナウイルス感染者数が1日に2万5000人を超えるなど、感染が爆発していた。大会組織委員会は開催準備を進める一方で、正式に開催が決定したのは9月中旬という綱渡りの様相も水面下にはあった。

 そのような状況で大きかったのは、今大会が政府の実証実験「ワクチン・検査パッケージ」を兼ねて行われたことだ。観客の入場口は1カ所のみで、観客は入り口で新型コロナウイルスのワクチン2回接種やPCR検査陰性の証明書を提示し、顔写真付きの身分証明書による本人確認を受けて入場するという方法。自動体温センサーによる検温や、アルコールによる手指消毒、マスク着用の義務といった、コロナ下の一般ルールも引き続き適用されていた。

 大会の序盤には、ルールとして設けられた入場前72時間以内の陰性証明ではなく古い証明書を持ってきたため、入場を断られた人もいた。また、入場者数の多かった日は、試合後の密を避けるため、客席のエリアごとに時間をずらす分散退場が実施された。

 こうした厳密なルールがある一方で、会場では家族や仲間とイベントを楽しむための制限緩和が多く見られた。会場内での食事が禁止されている代わりに、観客はいったん入場した後に屋外に出て、敷地内に並ぶキッチンカーや飲食ブースでおなかを満たし、再入場することが可能だった。

 試合が始まると、席を空ける必要がないため、家族連れはひとまとまりになって観戦を楽しんだ。また、退場時にスポンサー各社が観客に手渡しで試供品を配るという、コロナ禍前によく見られた光景も復活していた。

PCR検査とバブル方式の徹底。一方で「ほころび」も

 一方で選手や関係者は、日本人か外国人かを問わず、一般市民との接触を避ける「バブル方式」が採られた。ホテル、試合会場、練習会場のみを指定された車両で移動するという方式だ。また、報道陣は国内在住者と海外からの渡航者によって導線が分かれ、プレスルームなどの使用エリアは柵によって分けられていた。

 そんな中、緊張が走ったのは世界体操3日目の10月20日だった。コロンビアから来日し、予選に出場していた男子選手1人が陽性判定を受けたと発表されたのだ。

 この選手は入国前後と日本滞在中の10月19日までに合計5回のPCR検査を行い、すべて陰性。来日後は「バブル方式」での生活を守っていた。ところが、10月20日午前、コロンビアへの帰国前に必要な陰性証明書を取得するためにPCR検査を受けたところ、午後に陽性が判明。症状はなかった。

 この選手はちょうど判定が出る前の時間帯に組まれていた予選に出場していたため、陽性判定の情報を受けた会場では速やかに競技を中断した。そして、ヘアキャップ、白衣、フェースガードでがっちりと身を包んだ大会スタッフが、選手が使用した器具などをくまなく消毒し、約1時間20分後に競技を再開した。なお、この選手はただちに隔離。その後、他の選手や関係者に感染が広がることはなかった。

 結局、大会中に出場選手から陽性反応が出たのはこのケースのみ。新体操も含めて試合が最後まで予定通りにできたのは、入国前後を含めた頻繁なPCR検査とバブル方式の徹底にある。

 もっとも、実際には「ほころび」も少なくなかった。試合会場では観客がマスク着用や声を出しての応援禁止をしっかりと守っていたのに対して、スタンドの海外選手・コーチ席ではマスクをあごにずらしての観戦や、大きな声を出しての応援が見受けられた。

 また、大会日程が進むにつれて、海外勢の中から「バブル方式」がストレスを生むという訴えが出た。日本選手団関係者によると、日本選手はさほどストレスに感じていないが、外国勢はかなり息が詰まっていた様子だったという。日本選手は「大会が行われるのが第一。そのためなら不自由も受け入れられる」という趣旨の発言をしていたが、海外勢にはこらえられなかったようだ。

 そのため、大会組織委員会は新体操の世界選手権では、区域限定で選手や関係者の外出制限を緩和した。日本国内の感染者数が激減していたことや、新体操の試合会場である西日本総合展示場が選手の宿泊先である小倉駅周辺のホテルから至近にあることが、緩和を後押ししたのだろう。新体操では徒歩で会場入りする選手の姿をよく見かけた。

 ただ、新体操では体操の開催時以上に、スタンドの外国選手たちが大きな声で国名を連呼する場面が見受けられ、しかもマスクをしていない姿もあった。運営側がこれをやめさせている様子が少なくとも会場内では見えなかったことは残念。来場者は不安になったり不愉快になったりしたに違いない。

 それでも全体的に言えば、新型コロナウイルスのリスク回避のルール作りと徹底をしつつ、スポーツイベントが持つ楽しさを取り戻せると示せたことには大きな価値がある。今回の世界体操・新体操を契機に、安全性の確保とスポーツ観戦が持つ楽しさを良いバランスで両立させていきたい。


矢内由美子

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。ワールドカップは02年日韓大会からカタール大会まで6大会連続取材中。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。