その後もビクトリアさんはスマホの画面をスライドさせながら、多くの写真を示していく。

「これはキーフの国際テニスアカデミー。ここも爆撃を受けました」

 その写真はテニスコートの姿を残しているが、屋根は破れ、コート上には瓦礫のみならず不発弾までが残っている。選手たちの宿泊施設も半壊し、剥落した壁のタイルで床は埋めつくされていた。今回、女子テニスの国別対抗戦”ビリー・ジーン・キング・カップ“のウクライナ代表陣営は、そのような戦火をくぐって日本へと来たのだ。

 代表の4選手たちは、ヨーロッパや北米など、各々の拠点や大会開催地から来日した。ただ監督やコーチ、マネージャーらのスタッフは、今もウクライナ滞在だ。とりわけ成人男性は、基本的に国外に出ることも許されない。

 それでも、「ウクライナのスポーツ庁は、アスリートのために便宜を図ってくれています」とビクトリアさんは説明する。問題は、ウクライナから国外に発つ飛行機が無いことだ。

「ですから、まずワルシャワ(ポーランド)に行き、そこでビザを取ってからヘルシンキ(フィンランド)に飛び、また乗り換えて東京に来たんです」

 そう言いビクトリアさんは、微かに疲れの滲む笑みをこぼした。経済的にも、渡航費や日本での滞在費はばかにならない。その部分に関しては、「ITF(国際テニス協会)が援助してくれました」という。残る懸案事項は、揃いのチームウェアだった。ウクライナのテニス協会は、それらをすぐに手配できる状況には、とてもなかったからだ。

「ウクライナ代表チームのために、ウェアを用意できませんか?」

 UNIQLOのテニス担当者の下に、日本テニス協会からそのような連絡が届いたのは、10月に入った頃だった。同社は2021年より、日本代表の公式チームウェアサプライヤーを務めている。またそれ以前から、錦織圭やロジャー・フェデラーのウェアサポートをするなど、テニスとの関わりは深い。なにより、「ウェアを通じて、よりよい世界を実現する」のは、同社の基本理念である。だからこそ協会から相談を受けた時、担当者の奈良翼氏は、「ぜひとも協力したい」と思ったという。その想いを上層部に伝えたところ、思いは皆、一緒だった。

 ただ問題は、時間だ。ビリー・ジーン・キング・カップの開催まで、もはやひと月もない。新しいウェアを一から作るのは、物理的に不可能だ。現実的な手段は、既存の製品をアレンジすること。とはいえUNIQLOとしては、可能な限りウクライナのチームカラーである青と黄色をウェアの基調に用いたい。

 そんなウェアが、都合よくあるものだろうか——?

 ミーティングの席でスタッフが頭を悩ませたその時、つと、一同の視線が会議室の一点に集束した。視線の先にあったのは、展示されていたスウェーデン代表選手団のチームウェアである。UNIQLOは2019年に、スウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とパートナーシップ契約を締結。東京2020大会および北京2022冬季大会の、代表ウェアを制作していたのだ。

 運命か、国旗に依拠するスウェーデンのイメージカラーも、青と黄色。しかも、アスリート用に開発したウェアである。ウクライナチームウェアのベースにするのに、これ以上相応しいものはなかった。

 とはいえもちろん、本来はスウェーデンチームのオリジナルウェアだ。同国の承認なしに使う訳にはいかない。そこでスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会に打診したところ、返ってきたのは「ぜひ使ってください」の快諾の声だった。

 そこからは、時間との戦いである。「やっぱり大変だったのは、スウェーデンチームウェアのベースを、どうやって集めるか? 基本的にスウェーデンチームに提供しているものなので、市販はしていないんです。日本には無かったので、ストックホルムにあるUNIQLOのスウェーデンオフィスに連絡をしたら、『全力で協力します』と言ってもらえました」。僅か数週間前の出来事を、遠い日のことのように奈良氏が述懐する。

 その約10日後には、世界中からかき集められたスウェーデン代表ウェアが、日本へと届いた。受け取ったUNIQLOスタッフたちがまずしたのは、来日するウクライナチームの選手やスタッフの体型等に合わせて、候補となるウェアを選定すること。そして彼らが最も拘り、作業工程的にも最も時間を要したのは、「ロゴ(国旗)の位置決め」だ。

「やっぱり国旗は国を象徴するものですし、それは“UKRAINE”の文字も同じです。ロゴ位置は少しでも違うと、見た目の印象が変わってしまう。ですからそこはウェアのサイズに応じて、一着ずつミリ単位で拘りました」

 その繊細で重要な作業を請け負うのは、「パタンナー」と呼ばれる、スペシャリストである。「うちのスポーツチームには1人、フェデラーらアンバサダー選手全員のウェアのロゴ位置決めを担っている、レジェンドがいらっしゃるんです。その方が今回も一枚ずつ、本当に細かい単位で指定をしてくれました」。

 かくしてウェアが完成したのは、ウクライナチームが来日する数日前。ウクライナの面々がウェアを受け取る写真を見た時、UNIQLOスタッフ一同は心から安堵し、自然と笑みがこぼれたという。それは単に納期が間に合ったのみならず、日本テニス協会やスウェーデンなど、多くの人々の理念と願いが結実した瞬間でもあったからだ。

©︎ Hiroshi Sato

 11月11、12日にかけて行われた日本対ウクライナ戦は、ウクライナが通算3勝1敗で日本に勝利し閉幕した。

 セレモニー後の会場では、招待された日本滞在のウクライナの人々もコートに降り、選手たちと喜びを分かち合う。弾ける笑顔の輪の中から、日本とウクライナ両国の言葉で、「ウクライナ、がんばろう!」の声が上がった。

 試合後の会見では、ウクライナのミハイル・フィリマ監督が「最後に一言良いですか?」とことわり、マイクを手に言葉をつむぎ始める。

「今回は会場から滞在先まで、心地よい環境を用意して頂き、まるでホームに居るような安心感を覚えました。日本のファンの方たちも、本当に素晴らしい。日本とウクラナ両方の国旗が付いているシャツを着ている方も居たし、どちらのチームがポイントを取っても、公平に拍手をしてくれました。最高の雰囲気でした。本当に感謝しています」

We Love Japan——。

 監督が口にしたその言葉に、同席した選手たちの、賛同の拍手が重なった。


内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。