その後はいとこの井上尚弥、拓真(ともに大橋)のトレーニングをサポートしたり「縁の下の力持ち」を務めていたが、リングにもう一度戻る決意を明らかにしたのが昨年のこと。尚弥からは「ボクシングはいましかできないよ」と勧められたというが、体のケアに努め、思う存分練習できるようになったことが大きな要因だったようだ。充実したトレーニングを積んで迎えたパコーン戦はブランクの錆びも感じさせない圧勝で、試合後にマイクを向けられた井上は開口一番、「ただいま、って感じですね」——。

 井上の場合はJBC(日本ボクシングコミッション)に正式な引退届が提出されていたわけではないが、一度ボクシングをやめて再びやりたくなるという思いは、多くのボクサーが経験することである。

海外では珍しくないカムバック

 海外では、しばらく姿を見せず引退したものとばかり思われていた元チャンピオンがひょっこり戻ってくるケースはざらにある。生活費や小遣い稼ぎのための復帰で、王座に返り咲く選手はほとんどいない。

 この点、多くはない成功例で最も有名なのはジョージ・フォアマンだろう。1977年、28歳の元チャンピオンは無冠戦で敗れた直後の控え室で神に出会って引退を決意し、牧師になった。ところが10年が経って突如復帰。その理由はやはり金だった。生活費に事欠いてというわけではなく、主宰する慈善団体の運営費用を稼ぐのに「高潔な職業」(フォアマン)であるボクシングが手っ取り早かったのだ。

 39歳のカムバックに周囲は冷ややかだったが、フォアマンが本当に驚かせるのはこの後だ。全盛期より40ポンド以上重い体で再出発した元チャンプは立て続けに調整試合をこなして第一線に舞い戻り、1994年11月にはマイケル・モーラーを右一発でノックアウト。45歳で世界ヘビー級王座に復帰し、奇跡と騒がれた。

 現役復帰が珍しくもない海外に比べて、日本ではカムバックすること自体が話題になるくらいだから、その例は昔から少ない。チャンピオン級ともなると、リング上で引退セレモニーをする選手も多く、気兼ねして再起しにくい面もある。

日本でのカムバック成功例

 それでも引退表明からブランクを経て再起し、しかも成功した選手がいないわけではない。元WBA(世界ボクシング協会)ミニマム級王者の新井田豊は無敗で世界の王座に駆け上がったのを機に若くして一度引退。しかしその2年後に現役に復帰し、2度目の挑戦で再びWBAミニマム級タイトルを獲得した。

 カムバックをしたくなる選手には、引退してボクシングを客観的に見られるようになり、ボクシングをさらに理解した気持ちになって、より強くなれると信じる者も多い。しかしこれも一度目の引退を決断した際に体力的に追い込まれていると、そう簡単な話ではないようである。

 前述の新井田はカムバックして王座に復帰すると7度も防衛を果たした。これは意外でもなかった。新井田はもともと体力面が衰えて引退したわけではなかったからだ。

 また近年では、元WBO(世界ボクシング機構)ミニマム級王者の山中竜也(真正)が引退からリングに戻っている。山中の場合は特殊で、2018年7月の世界王座防衛戦で敗れた後に頭蓋内出血が認められ、自動的にJBCライセンスを失効、やむなく引退となっていたもの。しかしJBCが頭蓋内出血をしたボクサーに関する新規定を設けたことで道が開けた。後遺症がなく受傷後の診断経過も良好だった山中は、新ルールの条件をクリアし復帰を果たした。

 山中は最後の試合から3年8ヵ月経って再度プロボクサーとしてリングに立ち、2連勝中。現在27歳と選手としてこれから脂が乗ってくる時期でもあり、ライトフライ級での世界王座復帰を目指しているところだ。冒頭の井上にしても、復帰戦を前に「過去一番の練習をすることができた」と胸を張るあたり、第2章での活躍は大いに期待できそうである。


VictorySportsNews編集部