酒、タバコ、脂っこい食事……

 マニラでの不摂生な生活も年齢が30代半ばにさしかかると、やはりお腹周りが気になってくる。運動はほとんどしなくなったから余計にだ。ごくたまに自宅で腕立て伏せや腹筋などの筋トレをやってみたりはするが、長続きしない。

 身体はなまる一方で、仕事終わりには酒を飲む日々。おまけにタバコを吸っていたから、健康には良くないことばかりしていた。当時は一箱60円ぐらいと、今の日本なら信じられないような値段で買えたのだ。しかも日本ほど路上喫煙が厳しくないため、周囲の視線を気にすることなく、ほぼどこでも吸えるという環境にも影響された。

 フィリピンは、脂っこい食べものが多い。「アドボ」という甘辛醤油と酢で煮た鶏肉や、細かく刻んだ豚肉を鉄板で炒めた「シシグ」という料理は日本人の口にもよく合うが、野菜が少ないので、ヘルシーさにはやや欠けた。健康的と言えば、「シニガン」と呼ばれる、タマリンドを用いた野菜入りのスープだ。さっぱりしていて、フィリピンの家庭では味噌汁のように頻繁に飲まれている。

 こうしたフィリピン料理ももちろん食べていたが、異国の地に暮らすと、やはり恋しくなるのは故郷の味だ。マニラは在留邦人が多いために、日本料理店も充実しているから、よく足を運んだ。

開高健ノンフィクション賞

 マニラから年に1〜2回、日本へ帰国する際には、健康診断を受けた。血液検査で特に異常はなく、毎日飲酒をするからと気にしていた、肝臓の機能を評価する数値「ガンマGTP」も、30代までは正常だった。

 ところが40代に差し掛かり、この数値が上がり始めた。その頃の私は、まだフィリピンを拠点にしていたが、まにら新聞の勤務日数を減らし、フィリピンと日本を行き来する生活をしていた。

 きっかけは、2011年に「日本を捨てた男たち」というルポで開高健ノンフィクション賞を受賞し、フリーになったことだ。その作品で私は、「困窮邦人」と呼ばれる、フィリピンで無一文になった日本人男性の生き様を描いた。以降はフィリピン以外のアジアにも目を向け、タイ、ベトナム、そしてミャンマーへも取材で足を運んだ。

 だが、アジアを舞台にノンフィクション作品を発表し続けるのは難しいかもしれない–––––。そもそも私の関心の対象は、在留邦人である。困窮邦人の次は、フィリピンで年金暮らしを送る「脱出老人」という本を書き、その後はタイの首都バンコクに流れ着いたロスジェネ世代をテーマにした本も上梓した。だから、アジアに住む日本人についてはもうやり尽くした感が、自分の中に芽生えていた。
 そろそろ日本に拠点を移してもいいのではないか。

自分の「ダメさ加減」が露呈

 2018年の暮れから、東京に住み始めた。都会での生活は、学生の時以来、およそ20年ぶりだ。ガンマGTPの数字が上がっていたため、酒量を減らし始めたのもその頃。1週間に2〜3日は休肝日を設けるようにした。すると朝起きるのが、辛くなくなった。目覚めがスッキリしているからだ。体重も70キロを超えてしまい(私の身長は168センチ)、流石にまずいと思って、食べる量を減らした。

 フィリピンにいた頃は、身体のことはほとんど気にしていなかった。というより、フリーのライターとして食べていくのに必死で、仕事に夢中だったから身体のことまで気が回らなかったのだ。

 日本に戻って約5年。ようやく、フリーランスとしての仕事が軌道に乗ったというわけでもないが、東京で生活を始めてからは、食事も含めて健康面に気を使うようになった。ジムにも週に2〜3回通い始め、1回1時間、みっちり汗を流した。コロナ禍でジムが閉鎖中の時は、夜に約30分、走った。

 やはり「中年太り」の体型だけは避けたい。いわゆるメタボリックシンドロームというやつだ。でもそのためには、今まで以上に、身体に負荷をかけなければならないし、暴飲暴食は禁物である。20代後半、つまりマニラに住み始めて以降の20年間で、私は10キロも体重が増えてしまった。いかに自己管理が不足していたか、自分のダメさ加減を象徴する数値と言ってもいいだろう。ベストの60キロ代前半には果たして、戻せるのだろうか。

2ヶ月弱の戦地取材

 ただ、仕事柄、日々のルーティーンが決まっているわけではないため、長期の出張、しかも海外に滞在する機会が増えると、日本での日常を維持するのが難しくなる。それを如実に感じさせられたのは、ウクライナでの戦争取材だ。2020年春から始まったコロナ禍で長らく海外取材は遠ざかっていたが、その時は突然訪れた。

「ウクライナへ行かないですか?」

 都内のウクライナ料理店で編集者からそう声を掛けられ、私はヘルメットと防弾チョッキを手に、覚悟を決めた。ロシアの軍事侵攻が始まってから1ヶ月後の2022年3月下旬、私は日本からポーランド経由でウクライナ入りした。当初は2〜3週間ぐらいの腹積もりだったが、結果的に2ヶ月弱も滞在してしまった。

 問題だったのは、やはり食事だ。4月上旬に首都キーウに入ってからは、ひとつのホテルに宿泊を続けた。提供される料理はビュッフェ形式で、コメはほとんどなく、パスタや肉料理、パン、サラダなどの洋食を中心につまんでいたが、それも2週間ほどで飽きた。しかも戦時中だから、飲食店は休業中が多く、営業しても外出禁止令(午後9時〜午前5時)の影響で店が早く閉まる。取材を終えてホテルに戻ってくる頃には、ビュッフェしかなかったのだ。

 1ヶ月も経たないうちにたまらず、アジア料理店を探し回った。営業中の店を見つけても、味に辛さがなくいまいちで、スーパーで買ったアジア産のカップラーメンで凌いだ日もあった。取材の過程では、ロシア軍のレーション(戦闘糧食)も入手した。クラッカーやチーズなどの軽食以外はあまり美味しいとは言えなかったが、それでも完食した。

 ウクライナに滞在した2ヶ月弱は、運動がストップしてしまったが、日本に帰国しても体重に特に変化はなかった。以降は、アフリカやアメリカなど海外出張は時々、入ってくるようになったが、ジム通いを続け、できる限りの自己管理を続けている。

 歳を重ねれば重ねるほど、体力や筋力の維持は、並大抵の努力では難しい。酒は飲みたいけど、お腹周りも絞りたい。そんな葛藤を抱えながら、40代後半をそれなりに満喫して生きている。

水谷竹秀『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)

ナイジェリアでロマンス詐欺犯に直撃! 被害者と詐欺犯の双方に迫った本邦初のルポルタージュ! SNSやマッチングアプリで恋愛感情を抱かせ、金銭を騙し取る「国際ロマンス詐欺」の被害が急増している。なぜ被害者は、会ったこともない犯人に騙されてしまうのか。「お金を払わないと、関係が途切れちゃうんじゃないか……」被害者の悲痛な声に耳を傾けると、被害者の心理に漬け込む詐欺犯の「手口」が見えてきた。そして取材を進めると、国際ロマンス詐欺犯は、西アフリカを中心として世界中に広がっている実態が明らかになってきた。著者はナイジェリアに飛び、詐欺犯への直撃取材に成功。彼らが語った、驚きの手口と倫理観とは——。 その被害者・加害者の双方に迫った、本邦初の迫真ルポ。

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【身体と私】アフリカからウクライナの戦場まで(前編)【身体と私】アフリカからウクライナの戦場まで(中編)

水谷竹秀

1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。新聞記者やカメラマンを経て、フリーに。2004〜2017年にフィリピンを拠点に活動し、現在は東京。2011年『日本を捨てた男たち』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。新刊『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)が好評発売中。