カミキリムシを食べたファーブル博士
池田清彦(以下、略)「今日は、食べ物の話をするんだよね?」
――はい。【身体と私】シリーズは、ご自身の身体の履歴書というような主旨で、今回、池田先生には、食べ物と身体を通じた半生をお伺いできればと考えています。
「僕は、パッと思いつくと、すぐ脱線しちゃうところがあるから、それは許して下さい」
――もちろんです。
「この前、奥本大三郎さんが完訳した『ファーブル昆虫記』を読んでいたのね。ファーブル博士が30年かけて書いた昆虫記を、奥本さんは同じく30年かけて翻訳したんだから、本当に凄いよ」
――文芸誌の『すばる』に、第1巻・第1章が載ったのが1987年。2017年に完訳なので、きれいに30年ですね。先生は読破なさったのですか。
「いや、興味があるところだけだね。全部は読んでいない。虫食いの話は好きだから、そういうところは読んだよ。ファーブルはカミキリムシも食べているし、セミも食べているね。でも、セミはあんまり美味しくなかったみたい」
――日本にもいるアブラゼミですかね。
「アブラゼミはヨーロッパにはいないから、南仏のほうにいるセミですね。でも、美味しくなかったのはセミのせいじゃなくて、料理の仕方が悪かったからだと思う」
――そもそも、南仏の人はセミを食べるのですか。
「南仏では普通はあまり食べないと思う。『昆虫記』にはアリストテレスに触発されてセミを食べてみたと書いてある。東南アジアや中国では今もセミを食べている。日本でも、昔の人は皆、昆虫を食べていた。アメリカじゃあ今でも、17年や13年に1度の間隔で大量発生する周期ゼミの成虫を食べるようだけど、実は幼虫の方が美味い」
――へええ、何でも食べられるものですね。
「でも、テントウムシは駄目だね。あれは毒があるから。人間だったら1匹、2匹食べるくらいなら大丈夫だけど、たくさん食べたら具合が悪くなる。だから、テントウムシに擬態するゴキブリ(テントウゴキブリ)とかがいるんだ。鳥に食べられないようにするための生存戦略と言われているけど、本当かな」
いきなり、バンッて頭を切り落とす
――先生はGHQの占領下、1947年の生まれですね。
「そう、皆貧しかったよ。僕の実家は葛飾区の長屋。お寺の前に建っていて、昔はお坊さんが住んでいた。目の前のお寺には境内というか、庭みたいな場所があってね。そこで、鶏を飼っていたの。毎朝起きたらすぐに見に行って、卵を産んでいたら、とってきて食べる」
――いいですね。
「それで産まなくなったら、つぶして食べる」
――年配のかたから時おり「その光景がショックで鶏肉が食べられなくなった」という話を聞きます。
「僕の知り合いがまったく、それ。子供のとき、食卓に鶏肉が出てきて、美味しかったんだって。当時、肉はご馳走だから。それで親に『これ、どうしたの?』って聞いたら、『庭で飼っていた鶏だよ』って言われて、それから鶏肉が食べられなくなっちゃった。今でも、あんまり食べないもんね」
――子供時代の先生はどうでしたか。
「僕は、ぜんぜん気にならなかったな。親父がつぶしているのを見たことあるけど……まあ、びっくりはするよ。だって、その頃のやり方って、鶏を片手でむんずと捕まえて、大きな切り株のところに持っていって、いきなりバンッて頭を切り落としちゃうんだから。
そうするとさ、頭のない鶏が首から血を吹きながら、そのまま10メートルぐらい走って、バタッて倒れる。すぐに血を抜かないと、肉が不味くなっちゃうから、倒れた鶏の脚を持って振って、頸動脈から全部血を抜いて、羽をむしって、解体して食料にする」
――そりゃあ、中にはトラウマになる子もいるでしょうね。
「うん、だけどその頃、僕が小さかった頃は、生きものは基本的には食べ物だから当たり前だと思っていた。僕は小児結核で、保育園にも幼稚園にも行けなくてね。友達とも遊べないから、親父が時々、ザリガニ釣りに連れていってくれたんだ。僕が釣ったり、獲ったりしたアメリカザリガニは、ほとんど食べるの」
――茹でる?
「腹部だけむしって茹でるか、天ぷらにして食べる。それで、食べない頭胸部は飼っている鶏のエサにする」
【池田清彦/略歴】
生物学者。理学博士。1947年、東京に生まれる。東京教育大学・理学部生物学科卒。東京都立大学・大学院・理学研究科博士課程・生物学専攻・単位取得満期退学。山梨大学・教育人間科学部教授、早稲田大学・国際教養学部教授を経て、現在、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。フジテレビ系「ホンマでっか⁉TV」に出演するなどテレビ、新聞、雑誌で活躍。「まぐまぐ」でメルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」、YouTubeとVoicyで「池田清彦の森羅万象」を配信中。単行本の最新刊『食糧危機という真っ赤な嘘』(ビジネス社)が話題を呼んでいる。