(続)12月20日
僕は、彼女を待ちました。ちょっとドキドキしていましたが、いざとなれば、全速力で逃げれば大丈夫だろうなんて警戒しつつ。どれぐらい待ったか。たぶん5分もなかったはずですが、ずいぶん長く立っていたような感覚もありました。
そして出てきた彼女は、ひとりでした。美人局じゃなくてよかったと胸をなでおろすと、僕のほうに小走りで駆け寄って、またジェスチャー。「ついてきて」です。こうなると、なんだか面白くなってきます。でも、僕はロクに喋れないので、歩いている彼女を楽しませることもできないのです。
彼女はずんずん歩き、中華料理屋に入りました。いわゆる大衆的な中華屋さんではなく、スタイリッシュでお洒落なレストラン。19歳になったばかりの僕には、大人過ぎる空間。彼女のジェスチャーに操られるように、カップル席のような場所に座り、出てきた料理を順番に平らげました。それが、人生で初めて味わった「コース料理」でした。コクのある深い味わいで、最高に美味しかったのですが、緊張し過ぎてどんな料理を食べたのかを忘れてしまいました。
こう書くと、安手のAVのようですが、食事の後には何のハプニングもありません。僕がむしゃむしゃ食べるのを眺めながら、彼女は上品に食べて、さっと手を上げて支払いを済ませ、店の外に出ると、笑顔で手を振って街に消えてしまいました。いま考えても、説明のつかない不思議で面白い夜でした。
私費留学
クレメンティ・カルサへのサッカー留学は、いわゆる私費留学でした。クラブが僕に、ではなく、僕がクラブに対して留学費を支払い、練習に参加させてもらう。ですから給料はありません。ただ、ホテルはクラブが用意してくれるので、現地での出費は食費くらいでした。
僕はアフリカ系や南米系の選手らに交じり、上限3人の外国人枠を争いました。1年間、必死でやりましたが、結局、クレメンティ・カルサとプロ契約を結ぶことができませんでした。
そういえば同じ時期、僕が目指していたプロリーグのジュロンFCには、プロ選手として吉田達磨さんが所属していました。柏レイソルや京都パープルサンガで活躍した後、選手生活の最後のチャレンジとして、シンガポールにいらっしゃったのです。
吉田さんはジュロンFCを最後に現役を引退しましたが、その後は指導者として活躍し、現在は徳島ヴォルティス(J2)を指揮しています。シンガポールで何度かお話させてもらってから、なかなかお目にかかる機会もありませんでしたが、改めて、お話を聞かせていただきたいと思う、今日この頃です。