逆襲の狼煙を上げた宮原・坂本のショートプログラム

個人戦ショートプログラム(以下SP)は、世界ランクにより滑走順がグループ分けされ、ランキングの低いグループからの滑走となる。1番滑走には、全米女王のブレイディ・テネルが登場し個人戦の幕が開けられた。
 
団体戦では、持ち前の安定感でノーミスの演技を見せ、自己ベストを更新したテネル。上位進出が期待される選手の1人だが、世界ランクは下位のため序盤での滑走となった。鉄板と思われていた冒頭のコンビネーションで転倒するミスが出て団体戦より低い得点となったものの、質の高いその他のジャンプとスピンで得点を積み重ね、第3グループまでの18選手が滑り終えるまで暫定1位を守った。
 
第4グループ1番滑走の坂本花織は、ベートーヴェンの『月光』の旋律に乗せて、序盤はスピードもポジションも申し分のないスピンと、リンクをいっぱいに使ったステップを落ち着いてこなすと、曲調が激しく切り替わる演技後半に組み込んだ3つのジャンプも成功させた。今季これまでの試合では、スピンで若干乱れるシーンもあったが、この日は最後のスピンまで丁寧に回りきり、フィニッシュと共に力強いガッツポーズを見せた。
 
実施した「要素(=配点のある技)」は全てビデオ判定のかからないプラスの評価を獲得。パフォーマンスも団体戦フリースケーティング(以下FS)のような硬さがなく、伸び伸びとした滑りで自己ベストを2点近く上回る73.18点の高評価を獲得し暫定トップに。キスアンドクライは歓喜に沸き立った。
 
長洲未来(アメリカ)は、団体戦FSに引き続き、個人戦でも3アクセルの成功を目指したが、惜しくも転倒となる。気持ちを切り替えてその他の要素はまとめ、66.93点で坂本に次ぐ2位に着けた。
 
メダル候補の1人、ガブリエル・デールマン(カナダ)は、女子随一の飛距離を誇る3トゥループ+3トゥループで着氷が乱れた。その他のジャンプは成功したが、トレードマークの得点源で加点を稼げず、68.90点の暫定2位となった。
 
地元韓国のチェ・ダビンは、割れんばかりの大歓声の中で登場した。プレッシャーのかかる状況であったが、ジャンプを全て着氷すると、他の要素も堅実にこなしノーミスでフィニッシュ。先の団体戦でマークした自己ベストを更新し、坂本、デールマンに次ぐ暫定3位に食い込み、母国開催の初めての五輪で飛躍した。
 
第4グループまでの24選手が滑り終えた時点で、坂本のトップは変わらず、いよいよ世界ランク上位6人が滑走する最終第5グループの選手達の演技の時が来た。直前の6分間練習から、会場は緊張感に包まれていた。
 
最終組1番滑走となった世界選手権2連覇中のエフゲニア・メドベージェワ(OAR:Olympic Athletes from Russia)は、演技前半のスピンとステップで会場を引き込むと、後半に組み込んだ3つのジャンプを全て成功。昨年12月の怪我(右中足骨のひび)明けでコンディションが不安視されていたが、五輪のプレッシャーの中で非の打ちどころのない演技を披露し、女王の貫禄を見せた。団体戦で更新した自身の持つ世界記録を、個人戦でも再び更新し、81.61点で首位に躍り出た。

メドベージェワの演技の興奮冷めやらぬ中、宮原知子の平昌五輪2回目となる映画『SAYURI』が始まった。課題の3ルッツ+3トゥループをしっかりと着氷すると、自身の真骨頂とも言えるスピンとステップでも、美しいラインを光らせた質の高い要素で、観客をプログラムの世界へと誘っていった。後半2つのジャンプも成功させて演技を終えると、安堵とも満足感とも取れるような微笑みを浮かべた。団体戦で回転不足となった3ルッツ+3トゥループはビデオ判定を受けたが無事認定され、自己ベストを更新。メドベージェワと坂本の間に宮原が割って入った。
 
続いて昨季世界選手権銀メダリストのケイトリン・オズモンド(カナダ)が登場。団体戦ではミスが目立ったが、この日は見違えるような会心の演技を見せた。高さとスピード感を誇るジャンプをことごとく成功させると、2シーズンかけて滑り込んだプログラムを華やかに滑りきり大歓声を浴びた。オズモンドもまた自己ベストを更新する世界歴代3位のスコアで、宮原を上回り暫定2位に着けた。
 
アリーナ・ザギトワ(OAR)は今季、SPでしばしば見られるミスが課題となっていたが、演技後半に固めた3本のジャンプを完璧に成功させ、現代のフィギュアスケートの進化形を観るような『白鳥の湖』を披露した。メドベージェワや坂本同様、後半に3本のジャンプを飛ぶ構成だが、ザギトワはより難易度の高い3ルッツを組み入れていたため、技術点で他を圧倒した。表示された得点は82.92点。メドベージェワの世界記録をものの20分で更新してみせた。

©GettyImages

31歳のカロリーナ・コストナー(イタリア)は、15歳のザギトワとは好対照な演技で観客を魅了した。ジャンプで細かなミスがあり技術点は伸び悩んだが、確かな技と円熟味を兼ね備えたステップシークエンスでは全ジャッジが満点の評価をつけ、3ルッツの基礎点と同じ6.0点を獲得。演技構成点でもメドベージェワに匹敵する得点となり、僅差で坂本に次ぐ暫定6位となった。

SP最終滑走は、マリア・ソツコワ(OAR)。74.00点の自己ベストを持つソツコワが、五輪の舞台でどれだけ得点を伸ばしてくるか期待されたが、冒頭のコンビネーションで転倒すると、後半のリカバリージャンプも回転不足となり精彩を欠いた。スピンとステップでも取りこぼして得点は63.86点にとどまり、まさかのSP12位スタートとなった。

平昌五輪女子シングルのメダルを懸けるFS最終組は、SP首位ザギトワ、2位メドベージェワ、3位オズモンド、4位宮原、5位坂本、6位コストナーとなった。首位ザギトワから5位坂本まではジャンプノーミス。宮原と坂本は、団体戦での不安を完全に払拭し、FSで上位争いを繰り広げる土俵に乗った。

勝負のFS。悲喜こもごもの入賞争い。

SP7位デールマンから12位ソツコワまでが約5点差でひしめき、入賞(8位)争いが熾烈な第3グループは、ソツコワからの滑走となった。不本意なSPから一転、実力者の底力を発揮。『月の光』の気品溢れるメロディとマッチした、流れるような演技を披露した。3回転ジャンプが1本2回転になり自己ベストには及ばなかったが、総合で200点に迫る198.10点で首位に立った。

SP10位カレン・チェン(アメリカ)はジャンプが振るわない中、昨季世界選手権4位入賞に導いた『タンゴ・ジェラシー』のプログラムで小気味良い表現を見せる。レベル4を揃えたスピンとステップで盛り返し、ソツコワに次ぐ暫定2位に着けた。

SP11位テネルは、SPで転倒した3ルッツ+3トゥループを決めた序盤は好調だったが、中盤でミスが続いた。今季の安定感からすれば若干勿体ない印象も残ったが、成功させたジャンプではポテンシャルの高さを世界にアピールできただろう。チェンを抜いて暫定2位となった。

SP7位デールマンは、冒頭の3トゥループ+3トゥループでSPと同様に失敗すると、最後までリズムを取り戻せず殆どのジャンプを逸した。演技後の悲痛な表情は観る者の胸を締め付けた。五輪の怖さを象徴するような辛いシーンとなってしまったが、カナダを団体戦金メダルへと導いたFSの演技は沢山の人々の胸に刻まれているだろう。

少し重い空気が流れるも、SP8位地元韓国のチェが現れると、会場は再び歓声に包まれた。冒頭のジャンプはコンビネーションに繋げられず緊張感が見られたが、大声援を力に変える。以降のジャンプは着実に成功させて後半には冒頭のリカバリーも決め、予定より得点をアップさせた。その勝負強さと渾身のクリーンパフォーマンスに、会場は熱気で溢れ返った。FSでも自己ベストを3点近く更新し200点に迫る高得点を獲得。ソツコワを上回って1位となり、この時点で入賞を確定させた。

第3グループの最後にはSP9位長洲が滑った。今大会、長洲は出場選手中最高のジャンプ得点(基礎点:50.87)となるFSの演技に挑んだ。団体戦FSでは全ジャンプを成功させる快挙を達成し、伊藤みどり、浅田真央に次ぐ五輪女子3アクセル成功者として、また、五輪女子初の「FS8トリプル(3回転ジャンプ8本)」の成功者として歴史に名を刻んだ。ところが、個人戦は冒頭の3アクセルで踏切のタイミングがずれ、団体戦の再現とはならなかった。その他のジャンプでもミスが出たものの、課題の回転不足は1つも取られることはなく確かな成長の軌跡を見せ、暫定4位となった。

宮原・坂本の躍動。そして頂上決戦の決着へ。

そうして最終組6人の6分間練習が始まると、会場の緊張感は最高潮に達した。1.31点差で拮抗するザギトワとメドベージェワ、2人を約4点差で追うオズモンド、表彰台まで3点ほどの宮原、メダル圏内の坂本とコストナー。各選手への声援もより一層大きくなった。

1番滑走はSP4位宮原。いつものように濱田コーチとおでこを合わせて気持ちを落ち着かせ、リンク中央へと向かった。課題の3ルッツ+3トゥループを含む前半のジャンプをきっちりと成功させると、オペラ『蝶々夫人』の世界観を表現し尽くしたステップで惹きつける。後半のジャンプもミスの気配なく成功させると、演技終了と共にこれまでにないほど、両手で力強いガッツポーズを見せた。この五輪に辿り着くまでの道程、その苦労を物語っているようだった。

©GettyImages

回転不足判定に辛酸を舐めた団体戦から、1週間あまりで調整してみせた宮原。新世代のミスパーフェクトが完全復活し、進化も遂げた華麗な舞いであった。キスアンドクライで自己ベストを上回る146.44という高得点が表示されると、喜びが爆発した。宮原は総合222点台に乗せ暫定1位に立つ。今大会出場選手中、この得点を超えたことがあるのは、メドベージェワとザギトワの2人に限られる。宮原のメダルの行方は、人事を尽くして天命を待つ形となった。

続くSP6位コストナーは、レジェンドを讃えるかのような大歓声で迎えられた。難易度を上げて組み込んできた3ルッツは、個人戦でも成功。僅かなミスがあったものの、他の追随を許さないスケーティングと長い手足を存分に使った表現力で会場を魅了した。高い演技構成点を獲得し、宮原に次ぐ2位に。4回目のオリンピックも見事に入賞を確定させた。

SP5位坂本は6分間練習から緊張の面持ちだったが、演技直前に中野コーチに言葉をかけられると、吹っ切れたように引き締まった表情で演技を始めた。団体戦ではミスの出た3フリップ+3トゥループを成功させると坂本も波に乗った。スピード感のある滑りはコストナーの後でも見劣りすることなく、質の高いステップを踏み、ダイナミックなジャンプを決め、最終盤の3ループで着氷が乱れた以外はミスなく演技を終えた。3ルッツのエッジ違反もあり、自己ベスト更新はならなかったが、団体戦より得点を伸ばした。宮原、コストナーに次ぐ暫定3位。世界選手権にも出場経験のない坂本が、初出場の五輪の大舞台で6位以上の入賞を確定させた。

SP首位ザギトワは、FSも演技前半にジャンプを一切飛ばず、密度の濃いステップとスピンをこなし、後半7つのジャンプへと向かっていく。最初のジャンプ、今大会女子最高難度の3ルッツ+3ループに挑むも、3ルッツが不十分な着氷で単独ジャンプとなる。シーズン通して成功していたジャンプを決められず、出場最年少である15歳のザギトワに、五輪の魔物がここで現れたかと不安が過った。

だが、ザギトワは動揺を一切見せることなく、続々とジャンプを成功させていく。2本目の3ルッツには3ループをつけ、完璧なまでにリカバリーしてみせた。ザギトワが己に打ち勝ち、魔物を蹴散らした瞬間であった。バレエ『ドン・キホーテ』の速いテンポの音楽に乗せて、動きのキレ味は終盤になるにつれどんどん増していき、ノーミスでフィニッシュ。その笑顔は充実感で溢れていた。団体戦FSの自己ベストには及ばなかったが156.65点で暫定1位となり、銅メダル以上を確定。メダルの色は残す2人の演技次第となった。

SP3位オズモンドは、圧倒的な飛距離と流れのあるジャンプで魅せ続ける。鬼門の3ループ、後半のジャンプも全て成功させた。表現面でも、バレエの名作『白鳥の湖』を美しく迫力をもって演じ、終盤のステップではオズモンドに気圧されるかのように客席から歓声が上がっていた。演技を終えたオズモンドは立ち上がることができず、その場にうずくまった。自身最高とも言える演技を五輪の舞台で見せたオズモンドは、FS世界歴代3位の152.15点の自己ベストをマークし宮原を上回り、ザギトワに次ぐ暫定2位でメダルを確定させた。

オズモンドが巻き起こした熱気が冷めやらぬ中、最終滑走のメドベージェワが登場すると、リンクの空気は一瞬にして変わった。序盤のジャンプを危なげなく成功させ、観る者を『アンナ・カレーニナ』の世界に引き込んでいく。後半に5本連続のジャンプを組み入れながら、一瞬たりとも弛まず、主人公が憑依しているかのごとく感情の揺れ動きを表現してみせた。まさに女王、そう確信させられる圧巻の演技であった。演じ終えた瞬間、メドベージェワは堪えきれずに肩を震わせ涙を流した。

メドベージェワもまた全要素を完璧に演じきり、キスアンドクライで逆転の金メダルの可能性に祈りを捧げる。表示された得点は、ザギトワと同点の156.65点。ザギトワに対する演技構成点のアドバンテージは、ジャンプの得点差によって相殺された。SPの1.31点差を縮められず金メダルを逃した瞬間、メドベージェワの頬に演技後とは異なる涙が流れた。その涙は辛く心に残った。ザギトワは、同門の先輩でもあるメドベージェワの涙を別室で見つめつつ、謙虚に金メダルの喜びを噛みしめていた。ザギトワの慎しみ深い姿もまた深く心に残るものであった。

©The Asahi Shimbun/Getty Images

こうして、史上最もハイレベルな五輪女子シングルの争いは15歳のザギトワが制した。銀メダルはメドベージェワ、銅メダルにはオズモンドが輝き、宮原は4位入賞を果たした。次いで5位にコストナー、6位には坂本が入り大躍進を遂げた。

今大会、1位ザギトワから6位坂本までの6選手は、演技構成点での高い評価に加え、技術面でもSPとFSの全てのスピンとステップで最高評価のレベル4を揃えた。更に、宮原はジャンプを含む全19要素でプラス評価を並べた。オズモンドはFSで1つジャンプの着氷の乱れがありマイナスはついたが、男子顔負けの大きなジャンプは加点を連発させた。そしてザギトワとメドベージェワは、満点に近い出来栄えの全要素で得た加点の数々の上に、演技後半に集中させたジャンプのボーナス点まで緻密に積み上げて、頂点に君臨した。平昌五輪女子シングルは、まさに一寸の隙もない究極の戦いだった。

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VictorySportsNews編集部