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マツダスタジアムは人の意欲を喚起させるスタジアム

 マツダスタジアムはオープン以来、これまで非常に数多くのファンが足を運んでいる。初年度となる2009年シーズンの観客動員数は、それまで広島カープが使用していた広島市民球場時代と比較して、約1.8倍となる187万人以上にまで増加。さらに2016年シーズンには、過去最高となる215万人以上が来場した。

 マツダスタジアムはスタジアム観戦の概念を大きく変えたとも評価されているが、観客動員がこれだけ伸びていることからも、それが証明されているといえるだろう。

 同スタジアムの設計を担当した上林功氏は、このように話す。

「スタジアムを新設しても、こけら落としから数試合は観客動員が増加するものの、年間を通じて見ればあまり変わらないというのが従来の定説でした。それは、スタジアムが新しくなっても、そこで行われる“体験”が進化していないからです」

 上林氏は大学院卒業後、日本建築学会大賞を受賞したことでも知られる仙田満氏が代表を務める環境デザイン研究所で働いていた。「建築というものは、ただ建物だけを設計していてはいけない。建築はもっと広がりを持つべきだ」という仙田氏の信念に共感してのことだった。

 その仙田氏のよく使う言葉に、「意欲を喚起する建築」というものがあるという。例えば、勉強したくてたまらない図書館、働きたくてたまらないオフィス、遊びたくてたまらない公園や遊具、などだ。

「仙田先生はもともと公園や遊具の設計を数多くしてきていたこともあり、講師時代には、学生に遊具を造らせて、実際に幼稚園に持って行かせて、子どもたちに遊んでもらうというワークショップをやっていたと聞きます。子どもというのは素直なもので、遊ばれる遊具と遊ばれない遊具がはっきりと分かれるそうです。この違いはいったい何なのかを研究されました。

 すると、ある原理原則があるということが分かってきたと。これを仙田先生は7原則によって構成される『遊環構造』と呼んでいます。子どもに限らず、人間の根源的な欲求はどこにあるのか。人がそこに集まらざるをえないくらい夢中になってしまうような建物とはどのような構造を持っているのか。この原則は科学館や博物館に取り入れられ、非常に多くの人たちが来場する実績を重ねて、マツダスタジアムにも導入されました」(上林氏)

マツダスタジアムに取り入れられた7原則

 マツダスタジアムにも取り入れられたという『遊環構造』の7原則は、次の通りだ。

 1.循環機能があること
 2.その循環(道)が安全で変化に富んでいること
 3.その中にシンボル性の高い空間、場があること
 4.その循環に“めまい”を体験できる部分があること
 5.近道(ショートカット)ができること
 6.循環に広場が取り付いていること
 7.全体がポーラス(多孔質)な空間で構成されていること

 これら7原則について、上林氏の解説をもとに、実際のマツダスタジアムではどのように導入されたのかを見ていきたい。

 まず1つ目の「循環機能があること」について、上林氏はこう説明してくれた。

「遊具の研究の中で、行き止まりがあると基本的に子どもはそちらの方向には行こうとしないそうです。ずっと先まで続いているような循環機能があると、自分の行動に制約がなくなったように感じ、人はつい動きたくなるとのことです」

 マツダスタジアムは国内の野球スタジアムで唯一、持っているチケットの席種にかかわらず、ぐるっと1周できる幅広のコンコースを持っている。実はこれは遊環構造における「循環機能」にあたる。

 メインコンコースの長さは600メートルで、スタジアムのあらゆる場所に行くことができる。またメインコンコースのどこからでもフィールドが見えるようになっているのが特徴で、いわばマツダスタジアムにおける大きな背骨のようになっているのだ。

 次は、2つ目の「循環(道)が安全で変化に富んでいること」について。

「これも遊具の研究の中で、子どもは起伏があったり危険性を感じる場所を避けて、安全に動ける循環動線を見いだし、そこを基本として動くようになるようです。もちろん、それを踏まえた上でどこかに寄り道したり、見誤って危険な経路を通ってけがをしてしまうことはありますが、そういった経験も踏まえて安全な経路を通るようになる。人間の根源的な本能でリスクを避けようとします。さらには、その循環経路が変化に富んでいることで、何度も繰り返し、通りたくなります」(上林氏)

 マツダスタジアムの場合、3塁側にあるメインゲートから入ると、開放感のあるエントランスコンコースからフィールドが見える。ここからメインコンコースを反時計回りに進むと、幅12メートルのアーチによるトンネルがコンコースを覆い、その脇には売店が並んでいる。トンネルについては、歩けば景色が変化するよう、真っすぐではなくカーブになっている。1塁側からトンネルを抜けると、一気に視界が広がり、外の景色が広がる。バックスクリーン裏は緑のアーチ、レフト側まで進むと線路に沿った特徴的な真っすぐ伸びるブリッジコンコースが続く。ここは屋根も壁もなく完全に開けており、右手には走っている電車、左手にはフィールドが見えるようになっている。

 このように、メインコンコースは非常に変化に富んだ景色を見ながら、全てフラットにつながっているので安全に歩くことができるように設計されていることが分かる。

3塁側メインゲートにあるエントランスコンコース/(C)Isao Uebayashi幅12メートルのアーチによるトンネルがコンコースを覆う/(C)Isao Uebayashi

「“めまい”体験をできる」とは?

 3つ目の「シンボル性の高い空間、場があること」について、上林氏はこのように話す。

「よく遊ばれる遊具には、必ず象徴的な意味を持つ場所があるそうです。こうしたシンボルとなる場所を拠点やランドマークにして、人は動くようになります」(上林氏)

 マツダスタジアムには、ライト側2階席に「カープパフォーマンス」と呼ばれる、カープファンが熱狂的に応援する、まさにシンボルといえるような席が設けられている。あえて他の席とは切り離すような形に構成し、その上に照明塔を立て、コンコース上のシンボルとして目立つ存在にしたという。またシンボルの役割として、「あそこに行ってみたいよね」という憧れを抱かせる誘発装置としての意味合いもあると上林氏は話す。

マツダスタジアムのシンボル、ライト側2階席「カープパフォーマンス」/(C)Isao Uebayashi

 続いては、4つ目の「“めまい”を体験できる部分があること」。

「“遊び”について研究をしたロジェ・カイヨワが、遊びが及ぼす4つの働きの一つとして“めまい(イリンクス)”があると述べています。“めまい”というと分かりづらいですが、自分の感覚・知覚を揺るがすことで、その体験自体が遊びになるというものです。この“めまい”体験が建築の中にあることが、遊環構造には必要であるといわれます」(上林氏)

 例えば、前出の「カープパフォーマンス」は他の応援席とは切り離された、非常に高いところに設置されているため、少し怖い、目がくらむような体験ができるという。また、後ろに広告看板、横に反射板を設置することで音が密集するようになっており、聴覚にも訴えかけるような設計になっている。

 他にも、外野ライト側に「スポーツバー」という座席がある。スタンドの下にスリットが入っており、半地下の空間にモグラのように潜ってフェンスの空いているところから見ることができる。

「非常にマニアックな席で、ライトのお尻がよく見えます(笑)。このように、普段の生活の中にはない視点や感覚、非日常的な体験が極めて重要だと考えています。こうしたさまざまな知覚の揺らぎ、“めまい”体験ができる場所を意図的にちりばめて配置しています」(上林氏)

外野ライト側にある座席「スポーツバー」/(C)Isao Uebayashi

ただ見エリア設置はオーナーの英断の賜物

 5つ目の「近道(ショートカット)ができること」については、以下の通りだ。

「循環が1つの場合、動線のバリエーションは1つだけしかありません。ですが、近道を1本入れるだけで、動線のバリエーションは格段に増えることになります」(上林氏)

 実際には、マツダスタジアムにメインコンコースの1周を近道できる経路は存在しないが、寄り道をできるようにして動線のバリエーションを持たせているという。階段やブリッジを至る所に設置し、メインコンコース以外にもさまざまな経路を選択して歩き回ることができる。

 続けて、6つ目の「循環に広場が取り付いていること」について。

「循環を促す経路だけではなく、循環から離れて滞留できる広場がついていると、そこにとどまって遊ぶこともできますし、まとまった空間として活用することもできます。マツダスタジアムの場合、プロムナードに接続する3塁側エントランスに非常に大きな広場があります。また小さな広場もいくつか設けていて、新しい座席として活用しています」(上林氏)

 例えば、ライト側後方の小さな広場に設置されている「びっくりテラス」では、バーベキューを楽しみながら観戦でき、大人数でのパーティーを楽しめるようになっている。また、センター側後方に設置されている「寝ソベリア」は寝転がることもできるシートで、小さな子どものいるファミリーが安心して観戦できるようになっている。

寝転がることもできるシート「寝ソベリア」/(C)Isao Uebayashi

 最後は、「全体がポーラス(多孔質)な空間で構成されていること」だ。

「これは、内外をつなぐ穴が無数に空いている構造だという意味です。マツダスタジアムに実際に行ってみると分かりますが、外側からはフィールド全体は見えないまでも、その雰囲気は透けて見えるように設計しています。スタジアムという空間を閉じて、街の中で独立した存在にしてしまうのではなく、見た目にもオープンにすることで、街の中に溶け込み、都市への開放を促しています」(上林氏)

 例えば、スタジアムのすぐ横を線路が走っており、その列車の中からフィールドの中をのぞき見ることができる。通勤帰りのサラリーマンが、試合の雰囲気をそこで一瞬、感じることができる。そこを過ぎると今度は、スタジアム外部に向けて設置した得点掲示板によって試合の状況が分かるようになっている。そして、広島駅に着く。「じゃあ、ちょっと寄っていこうかな」という気持ちを喚起させることが狙いだ。

(C)Isao Uebayashi

 また、レフト側にはただ見エリアも設けられている。その名の通り、外壁に穴を空けてオープンにしており、チケットを買わずに見ることができる。上林氏はこの狙いをこのように話す。

レフト側に設けられた「ただ見エリア」/(C)Isao Uebayashi

「ただ見はできますが、座席の一番後方からになるので、試合が始まってだんだんと座席が観客で埋まっていくと、何となくの雰囲気は感じられるものの、フィールドの中は見えづらくなってきます。やっぱり中に入って見ようかなと思って横を向いたら、そこにはチケット売り場が設けられている。設計を担当した自分で言うのも何ですが、よくできているなと(笑)」

 ただ見エリアの設置に関しては、広島カープの松田元(はじめ)オーナーの大英断のたまものだと上林氏は話す。確かに常識であれば、外からは閉ざして見えないようにしたくなる。だが松田オーナーは、「見たい人はもっと良い席で見ようとするもの。むしろ、ただでもいいから見てもらえる場所をつくることが重要だ」と考え、この提案を快く受け入れたという。そこで興味が湧けば、その後も足を運ぶ。そういった人たちをすくい上げられる場所を設けようと考え、市民が気軽に立ち寄れるように、公園のようなつくりにしているという。


 ここまでは「遊環構造」の7原則と、それらが実際マツダスタジアムにどのようにして導入されたのか、上林氏に解説してもらった。しかし上林氏は、「『遊環構造』はあくまでも、人の意欲を喚起させる構造を定義したものであって、意欲を喚起してからはどんな現象が起きるのかが重要です」と話す。

「スタジアムは単なるスタジアム以上の意味を与えられた存在になっていくべき」

 次回は、その言葉の意味について深掘りしていきたい。

後編へ続く


<了>

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【プロフィール】
上林功(うえばやし・いさお)
株式会社スポーツファシリティ研究所 代表
1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。建築家の仙田満に師事し、環境デザイン研究所にて主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。江戸川大学経営社会学科非常勤講師、平成国際大学スポーツ健康科学科非常勤講師。主な研究内容「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」「スポーツファシリティマネジメント」。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、経済産業省 魅力あるスタジアム・アリーナを核としたまちづくりに関する計画策定等事業選定委員。日本サッカー協会ナショナルフットボールセンター準備室ファシリティ&ボールパーク創生アドバイザー。一般社団法人超人スポーツ協会事務局次長。一般社団法人運動会協会理事。

上林功氏も登場する書籍、『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版/編)。
スポーツビジネス界の最前線で活躍するトップランナーたちが、現在自身が携わっているスポーツビジネスについて具体的な事例とともに解説するだけではなく、「ドリームジョブ」とも呼ばれるスポーツの仕事にどのようにしてたどり着いたのかを語り尽くしている。
これからスポーツビジネスを志そうとしている方に向けた、まさにスポーツビジネスのバイブルとなる一冊。

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野口学

著者プロフィール 野口学

約10年にわたり経営コンサルティング業界に従事した後、スポーツの世界へ。月刊サッカーマガジンZONE編集者を経て、現在は主にスポーツビジネスの取材・執筆・編集を手掛ける。「スポーツの持つチカラでより多くの人がより幸せになれる世の中に」を理念とし、スポーツの“価値”を高めるため、ライター/編集者の枠にとらわれずに活動中。書籍『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版)構成。『VICTORY』編集者。