古田氏はデザイナーズブランドと、グローバルスポーツブランド2社を経て2019年2月にユニクロに入社した、ファッションとスポーツウェアのプロフェッショナルだ。
「中学、高校、大学と陸上選手だった。仲間や先輩・後輩たちが国際大会やオリンピックに出場するような環境にいた経験がベースにある。一方、家業が洋服屋で、父親の影響で洋服に興味を持ち、服の世界に飛び込んだ。最初から機能服や人体、人間工学などスポーツデザインを専攻したかったが学校がなかったので、『服を勉強するならパリだ!』と大学卒業後に身一つで渡仏してファッション専門学校のエスモードに入学。服の概念やパターンの引き方、天然素材や産地巡りなど、基礎からアパレルのデザインを学んだ」
コレクションの現場を手伝う機会もあり、帰国後はイッセイミヤケグループのエイネットに入社。担当したのは津村耕佑デザイナー(現武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授)が率いていた「ファイナルホーム」だ。“究極の家は、服である”をコンセプトに、ポケットが何十個も付いた“着るバッグ”や、新聞紙を入れて防寒すれば野宿もできる“都市型サバイバルウェア”ともいえる、コンセプチュアかつ機能的な服を創造した。
「今思えば、あれもLifeWearウェアだ。ここから化繊も含めて素材を徹底的に学んだ。転機が訪れたのはドイツのアディダスに転職し、グローバル本社でオリンピックを担当してから。職人気質や文化、働き方も、“精密で高性能なものを同じ性能で作り続けることで、さらに性能を高める”インダストリアルデザイン的なモノ作りも、イッセイミヤケと通じるものがあった。2012年のロンドンと2014年のソチのオリンピックデザインのプロジェクトリーダーを務めた。ロンドン五輪では聖火ランナーや、オーストラリア、フランス、ドイツ、イギリスなど各国代表チームのデザインを指揮した」
3年後に「アシックス」に入社し、2016年のリオ五輪、2018年の平昌五輪、そして、東京2020でプロジェクトを牽引した。東京では聖火ランナーやボランティアのウェア、オーストラリアと日本代表チームのキット、競技用ウェアのデザインを指揮。母国で開催される一世一代の大イベントに向けた準備が整ったところでバトンタッチ。2019年2月から「ユニクロ」の一員になった。ユニクロを選んだ決め手は何だったのか?
「ユニクロが掲げるコンセプト“LifeWear”の可能性を感じたからだ。LifeWearの哲学を紐解くと、普通の日に着る実用的な服もスポーツをする際に着る服も同じ延長線上にあり、機能性や技術、人間工学、着心地、触り心地など五感を含めたさまざまな要素を含んでいる。そこに自分が培ってきた“高機能”や“快適性”の要素を入れられれば、より良い服が作れると考えた。ユニクロの、Simple made better、『考え尽くされ、無駄をそぎ落としたシンプルな服は、生活をより良く変えるものである。そのシンプルなものを、さらに良いものへ改善し続けよう』という理念にも惹かれた。古巣のイッセイミヤケも、 “一枚の布”を基盤とした、デザイナーのエゴではない服作りをブランドの哲学としていたため、共感が持てた。ユニクロの、多くの人々が着られる一番美しい服づくりと、その表現手法に興味を持ち、自分の可能性をここで試したくなった」
店頭向け商品に加え、プロゴルファーのアダム・スコット選手をはじめ、グローバルブランドアンバサダーの商品開発、さらには、スウェーデンチームに向けた東京五輪の公式ウェアと競技用ウェアの開発を指揮。東京五輪に向けた重点ポイントは何だったのか?
「一つ目は、高温多湿で暑い環境下で選手たちができるだけ快適に過ごせること。二つ目は、ブランドのフィロソフィーを取り入れた開発を行うこと。三つ目は、タイムレスな服をつくるユニクロとして、10年後、50年後に見ても古さを感じさせないデザインであることだ」
ユニクロとしてのミッションは、「新たな挑戦をして、次世代のLifeWearを実現すること。そしてスウェーデンチームに向けた特別商品ではなく、店頭で一般のお客さまにも生活の中で着ていただけるものを目指すということだった。開発テーマとして、スウェーデンチームとのパートナーシップの柱でもある『クオリティ』『イノベーション』『サステナビリティ』の要素も重要視した」。
プロジェクトの組織編制にもそのミッションは反映されている。「店頭向け商品を作っているスタッフが必要に応じて出入りする入れ替え制をとっている。スポーツブランド出身者は少ないが、様々なファッションブランドやデザイナーズブランド出身のデザイナー、パタンナーのプロがいて、技の競い合いをしているような状態だ。部署や担当を超えた社内でのコラボレーションがすごく楽しい。そして、お客さまの声と同じようにトップアスリートの声を反映させる作り方は、いつもの開発アプローチと同じだ。アダム・スコット選手やロジャー・フェデラー選手のようなトップアスリートであるグローバルブランドアンバサダーと協業してきたので、LifeWearの延長線上で普段着から超ハイスペックなものまで作れる素地があるのが、驚きでもあり、自信にもなっている」。
高温多湿の東京の暑さ対策として、有明オフィスに開設した人工気象室などを活用しながら、人間工学や人体、汗のかき方、皮膚呼吸などを研究。「心地よさを数値で見える化」する科学的アプローチをとった。東京五輪後のフィードバックも、コメントを数値化して出してもらったという。
「スウェーデンの委員会や選手からは、通知表形式で、嘘偽りなく、アイテムそのものやフィット感、ラインナップなども含めて、いい、悪い、を評価し、コメントもいただいた。全体的には非常に喜ばれたことが数値にも表れていた。とくに嬉しかったのは、『スポーツブランドからのウェアの提供はいままでも経験があるが、今回、ユニクロとの新しいチャレンジングな取り組みでは、従来のスポーツブランドとは行なったことがないほどコミュニケーションの深さがあった』と言ってもらえたこと。物理的距離もあるが、実際にスウェーデンと日本を行き来し、オンラインなどでしっかりとやり取りを行ってきた。彼らが満足しなければ進めないし、社内の承認プロセスも多くてステップを前進させるのはなかなか大変だったが、サンプルの段階から信頼度が高く、お互いリスペクトしたうえで納品できた。最後のラストミニッツまで対話を重ね、一ミリ単位まで修正を重ねた、ものすごい手間と努力と情熱が、高評価につながって嬉しい。もっと時間があれば、との反省もあるが、タイトな時間の中でも妥協せず、こだわりと意志の強さを貫き通すさまは企業体質であり、学びになるとともに自分が強靭になっていっていると感じている(笑)」
北京では70%がサステナブル素材、レイヤリングシステムで快適性とハイパフォーマンスを追求
スウェーデン選手団に提供する公式ウェア 北京五輪に向けたウェアも完成に近づいている。どのようなアプローチで開発を行ってきたのか?
「東京では暑さ対策、湿気対策などからスタートしたが、北京では、極寒から、選手村内での暖かいシチュエーションまで考えたモノづくりをしてきた。コロナ禍で現地に頻繁に行くことはできなかったが、会場の気候や温度、湿度を計測し、マイナス10℃、0℃、10℃のシーンを想定し、ユニクロ有明本部内に設置されている『服の基礎研究所/ラボ(人工気象室)』で機能を検証。極寒地でのモニターテストも繰り返した。選手や委員会メンバーからのフィードバック、そしてパートナー企業との協業により、あらゆる環境下において選手が快適に過ごすことができる新素材を開発した。そして、天候や運動量に応じて脱ぎ着ができる仕様を施し、体温調節がしやすい快適で着心地の良い、アウター、ミドラー、ベースレイヤーで構成するレイヤリングシステムを導入した。スウェーデンの国旗に合わせて、ブルーとイエローを基本カラーにし、機能性素材やディテールで背中に十字架を背負ったデザインを採用。ビカビカ光らないマットな表面感にすることで、都会的で上品なイメージに仕上げて、スポーツやアウトドアだけでなく、シティユースにも好適なデザインにしている」
サステナビリティにも注力。「公式ウェアの約7割に、回収したペットボトルを使用したリサイクルポリエステル素材を使用した。ライトダウンジャケットには、お客さまから回収したリサイクルダウンとフェザーを100%活用している。一部のウェアには、工場の製造工程で廃棄される糸から作ったリサイクルナイロンを使用。さらに、ネイビー色には天然素材であるインディゴを使った植物染色を施したり、フッ素を使わない撥水加工剤を採用するなど、環境にも配慮した素材選定・製法を実施した」。
アウターの注目アイテムの一つ目は、ライトダウンジャケットだ。クオリティ、イノベーション、サステナビリティを象徴するアイテムと言える。「通常は布2枚をミシンでステッチしてダウンを封入するのが一般的だ。だが、今回は、本来は二枚使用する素材を二重織り組織にすることで1枚にし、できあがった無数のポケットにダウンを注入する仕様とした。ミシン目の穴をなくしたことで保温性が高まるうえ、縫い目からダウンが抜けることがない。見た目も都会的で、かつ、驚くほど伸縮性が高い」。布は裁断する際に裁断クズと呼ばれるゴミが15%前後出るのだが、「二重織りで整形された形で織り上がるため、使用する資材も少なくて済み、裁断クズもほとんど出なくてサステナブルだ。ダウンも100%リサイクルダウンとフェザーを使用している」。あなたが着た後、古着回収に出したダウンが、北京で活躍が期待されるスウェーデンチームのウェアに入っているかもしれないと考えると、顧客参加型であり、少しロマンを感じさせるアイテムでもある。
超アウターとも呼べるハイブリッドジャケットも進化している。「ユニクロのグローバルブランドアンバサダーであるスノーボードやスケートボードの平野歩夢選手と開発してきたハイブリッドダウンをさらにハイスペック化。マイナス15℃までは耐えられるように、新技術を採用し、隙間部分に空気を保持し防寒するダウンポケットを設計した。一枚の布で寝袋のように盛り上がりのコブを作ることで、暖かい空気がたまりやすいようにした。吸湿発熱綿も採用。リサイクルダウンを込めた部分は視覚でもわかるようにライトグレーに採色した。一方で、スニーカーなどにも使用される通気性の高いダブルラッセルメッシュ素材を背面に使用し、暖かく保ちながら汗によるムレを軽減した。さらに、他のシャツやジャケットと同様、背中や脇下など汗をかきやすい部分にベンチレーション(通気孔)を付けることで、熱いと思ったら自分で熱を逃がすことができるようにした。実は今回画期的なのは、すでに店頭で販売しているハイブリッドダウンにもこのメッシュとベンチレーションを付けており、オリンピック向けの開発で得た学びを通常商品にいち早く搭載することができた。開発スピードと機能性が格段に上がっている」と自信を見せる。
他にも、肌面の起毛素材で暖かさを保ちながらドライ機能で快適に過ごせるインナーシャツやタイツにも新素材を使用した。「リサイクルポリエステルを使ったストレッチフリースを選手に提供しているが、類似のフリース商品を4色展開ですでに店頭で販売している。オリンピック向けの商品開発の気付きを、店頭商品に落とし込むことができている。格子状の凹凸があるグリッドフリースは、肌面に当たる部分を点にして、肌との密着度を減らして適度な保湿性を追求した。保温素材ならヒートテックが良いと想定していたが、筋肉量が多いアスリートには暑すぎるため、複数の素材や形状を試した中でこのグリッドを採用した。他にも、インナーのウルトラストレッチドライは、従来以上のストレッチ性とドライ性の機能を投入しているのでその感触を試してもらいたい」。
筆者が着目したのは、フードの座り具合の良さだ。「通常商品でも、スウェットやダウンなどのパーカ類のフードに対してはものすごく厳しく、被ったとき、被っていないときの形を模索している。立ち上がりすぎると邪魔だし、寝すぎるとかっこ悪い。しかも、選手用のものは、防寒の性能や動作によって生死にかかわることもあるので、機能性を徹底的に追求している。加えて、心地よさという部分を追求している。他のブランドとはその優先度合が異なっており、心地よさに配慮しているのがユニクロらしいと感じる」。
ユニバーサルデザインにも最新の配慮を行っている。「車いす競技のパラリンピアンと一緒に、特別仕様のジャケットとパンツを開発した。座ったときの腹部周りの服のもたつきを解消してできるだけキレイに見えるように、前後の着丈を変えたり、人間工学に沿ってフィットを改善したハイブリッドジャケットや、腰周りを工夫し簡単に着脱できる仕様を施したシェルパンツを提供する。『見た目に特殊なデザインにするのではなく、オリンピアンと同じ見え方にしてもらいたい』という選手側の要望を具現化した。車いすに擦れる部分に堅牢な素材を施したりもした」。
競技では、フリースタイルスキー/スノーボード、モーグル、カーリングの競技用ウェアを提供する。まずは従来持っていたノウハウからサンプルを作成。「集めれば集めるほどフィードバックが集まるので、トップアスリートの方々にたくさんのリクエストを言ってもらった。ユニフォームや競技系の企画は、誰が選手になるかわからないので、誰が着ても同じように着られて、ストレスを感じないことが重要。選手に寄り添いつつ、誰か1人のためのものにならないようにしている」。
とくにモーグルについては、9月の発表の通り、スウェーデンのモーグル協会と新たな契約を結んでおり、10月からユニクロ提供のウェアを着用している。「東京の実績やテストなどで安心して着ていただけたようで、ぜひやりたいと申し出ていただき、契約につながった。競技によって可動域や重点ポイントが異なるが、モーグルはアクション時の可動域が大きいので、人間工学的なアプローチで、常に動作的で、着た時の見え方や袖の流れなどを注視した。ジャケットの肩部分には、水を逃すためのレーザーパーポレーション、いわゆる水抜け穴なども施している。さらに、ボトムスはベルトとサスペンダータイプと、サロペットタイプを用意。サスペンダーの構造はゼロから作り、素材の暑さやテンション、伸長率など何十種類もの中からベストなものを採用した」。
カーリングには、「我々が自信をもって提供できるドライEXを投入した。ペットボトルから作ったリサイクル素材で、氷上でも汗をかくほど動くスイーパーには半袖、ストーンを投げる選手には長袖を用意。(裾や袖口など)ヘムをボンディング処理してゴロツキをなくしたり、普遍的、都会的に見えるように美しいカッティングを目指した」。
スウェーデンオリンピック委員会のピーター・レイネボCEOは、北京冬季大会に向けたユニクロとの取り組みについて、「今年の夏、ユニクロのウェアは選手たちのベストなパフォーマンスを引き出し、期待以上の成果につなげてくれた。冬季大会に向けて、選手やコーチの要望に耳を傾け、会場のあらゆる気候に対応できる素晴らしいコレクションを完成させることができたと感じている。選手村や競技会場、表彰台で、ユニクロのウェアを着た選手たちを見ることをとても楽しみにしている。そして今後も、スポーツと服の力を通じ、より明るい未来をつくるというビジョンに向けて、ユニクロとともに挑戦を続けていきたい」とコメントする。
では、スウェーデンチームとの協業によって得たもの、目指すものは何か?
「われわれが求める服の基準がもっと高くなり、改革、アップグレードにつながっている。高い壁を乗り越えながら、品質のレベルも、それに伴うルールや品質基準も上がっている。これも工場の理解や技術があってこそのものだと感謝している。僕自身、オリンピック関連に加え、グローバルブランドアンバサダーのアイテムと、店頭やECで一般販売しているスポーツユーティリティのアイテムも担当している。僕らのミッションは、ハイパフォーマンスから日常服まで、LifeWearの延長線上で着られるものを開発することだ。高い機能性なのにユニクロ価格で、1枚で家の中でもスポーツでも、散歩でも買い物でも着られるし、黒などシックなカラーを選べば仕事やレストランなどでも着られる。コロナ禍以降、日常の幅広いシーンで安心して着ていただける服のニーズや、それを実践するカルチャーが加速したと思う。繰り返しになるが、LifeWearの延長線上で、スポーツもできて生活でも着られる服、このスポーツユーティリティの枠を広げ、トップアスリートと一緒に作り上げた機能性が含まれた服を、お客さまが安心して買えるお値段で提供できることが重要だと思っている。より高機能で楽しんでいただけるウェアのさらなる提供に注力したい」
スウェーデンチームがユニクロのLifeWearを着てどのようなパフォーマンスを北京で見せてくれるのか。私たちが手に入れられる商品としてどのようにその知見と技術が生かされてくるのか。さらに、3年後に迫っているパリ五輪まで、スウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップ契約は延長している。ユニクロとスウェーデンの3回目の協業に向け、ウェア挑戦は続く。