1番・中堅 塩見泰隆(28)
2番・右翼 太田賢吾(25)
3番・二塁 山田哲人(29)
4番・三塁 村上宗隆(22)
5番・一塁 ホセ・オスナ(29)
6番・遊撃 長岡秀樹(20)
7番・左翼 濱田太貴(21)
8番・捕手 内山壮真(19)
9番・投手 吉田大喜(24)

 8人の野手の平均年齢は24.1歳で、そのうち23歳以下のいわゆる「U-23」は半数の4人を数える。この日は、5月に入って下半身のコンディション不良から復帰したばかりの正捕手・中村悠平(31)と、開幕から正左翼手を務めてきた青木宣親(40)が先発を外れたからではあるが、それにしても若い。

 思えばもう、何年も前からヤクルトでは“若返り”の必要が叫ばれてきた。真中満監督の下で14年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げた2015年当時、レギュラー野手の平均年齢は28.3歳。その中で25歳未満は、初のトリプルスリーを達成してMVPに輝いた山田哲人(当時23)ただ1人で、一方で33歳の畠山和洋(現二軍打撃コーチ)など、30代の野手3人がレギュラーとして名を連ねていた。

 投手陣にしても、この年に先発として10試合以上投げたピッチャーの平均年齢は30.9歳で、そのうち最年少はチーム最多タイの13勝を挙げた小川泰弘(当時25)。小川と並ぶ13勝をマークした石川雅規(同35)、3度目のトミー・ジョン手術から復活した館山昌平(同34)ら、ベテランの力なくして優勝はなかった。

 その後もドラフト指名の投手偏重や、2015年の2位指名で入団した廣岡大志(現読売ジャイアンツ)のようなホープが思うように成長しなかったこともあって、山田よりも年下の野手のレギュラーはなかなか現れない。投手陣でも、小川に続いて先発ローテーションを守る若手は出てこなかった。

 2019年には、小川淳司監督(現GM)の我慢の起用が実って高卒2年目の村上宗隆が36本塁打、96打点で新人王に輝くのだが、チームは前年の2位から最下位に転落。勝利を追い求めながら若い選手を育成するのは、容易いことではなかった。

“勝利”と”育成”

 転機となったのは、現在の高津臣吾監督の就任である。一軍投手コーチ、二軍監督を経て2020年から一軍の指揮官となった往年の“燕の守護神”は、就任会見で「今までは二軍で(選手を)育てることだけを中心にやってきましたけど、これからは勝つことを第一に、その次に選手を育てることを重要視していきたいなと思ってます」と語り、“勝利”と“育成”の両立に本気で取り組んだ。

 「一軍で育成しながらゲームを進めていくっていうのは、すごく難しいことだと思います」とも話していたその難題に対し、ここまではしっかりと答えを出しているように見える。就任2年目の昨シーズンは優勝争いの渦中にあっても「勝つことは絶対大事ですけど、育てることもすごく大事です」と強調。自らドラフトでクジを引き当てた“金の卵”の奥川恭伸のみならず、二軍監督時代に手塩にかけた若手にもチャンスを与えながら、チームを20年ぶりの日本一に導いた。

 球団としては29年ぶりのリーグ連覇がかかる今シーズンは、これまでレギュラーが固まらなかった遊撃に、高卒3年目の長岡秀樹を抜擢。ここまで全試合でスタメン起用を続けている。長岡と同じくキャンプから一軍に帯同させていた高卒2年目の捕手、内山壮真も開幕からベンチ入りさせ、正捕手・中村の復帰後もしばしば先発マスクを被らせている。

 投手陣では奥川が開幕早々に上半身のコンディション不良で離脱し、昨年は4勝を挙げた22歳の金久保優斗も現在は二軍で調整中だが、昨年は慶応大からドラフト1位で入団しながら一軍登板のなかった木澤尚文を、中継ぎで積極的に起用。大卒3年目の大西広樹ともども、しばしば大事な場面でマウンドを任せている。

 もちろん、彼らが起用に応えて結果を残しているからこそではあるが、小川GMを中心としたチーム編成、池山隆寛二軍監督率いるファームの育成、そして高津監督の起用が上手くかみ合っている証と言えよう。

 ただし、若手の台頭ということでいえば、ヤクルトだけに限った話ではない。今シーズンは、4月までに巨人の投手6人がプロ初勝利を挙げたことが「プロ野球新記録」として大きく取り上げられた。パ・リーグでは、就任会見で「優勝なんて一切目指しません!」と宣言して話題となった日本ハムのBIGBOSS(新庄剛志)監督の下、投手ではドラフト8位ルーキーの北山亘基、野手では共に2000年生まれの野村佑希、万波中正らが躍動している。

 昨年オフに西川遥輝(現東北楽天ゴールデンイーグルス)ら主力3選手を「ノンテンダー」という形で放出し、若返りを推進している日本ハムなどは、どちらかといえばメジャーリーグに近いスタイルといえる。現在はまだパ・リーグ最下位だが、注目はBIGBOSS監督が登用している若手がどこまで成長し、今後にどうつなげていくかだ。

 振り返ってみると1990年代のヤクルト黄金期も、80年代の終わりに関根潤三監督が育てた選手たちが後任の野村克也監督に「ID野球」を注入され、野村監督の就任と同時に入団した古田敦也と共に花開いたことによって、築き上げられたものだった。今や球界屈指の強豪となった福岡ソフトバンクホークスにしても、ダイエー時代に王貞治監督(現球団会長)の下で小久保裕紀(現二軍監督)、城島健司、井口資仁(現千葉ロッテマリーンズ監督)、松中信彦らが時に苦杯を舐めながら成長していったことが、今に至る隆盛の礎となっている。

 高津監督は今年発売された著書『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』(光文社新書)で「僕は『二兎』を追いかけたい。勝ちにこだわりつつも、将来のスワローズを背負って立つ若手にチャンスを与えながら、才能の花が開くのを見てみたいのだ」と記し、そのためには「ベンチに登録する選手のうち、何人かは『チャレンジ枠』的なものがあっていいと思っている」としている。

 2011年以来、11年ぶりに首位で恒例のセ・パ交流戦を迎えるヤクルトだが、高津監督は今後も積極的に若い選手を登用しながら、「育てながら勝つ」という難題に挑んでいくのだろう。その視線の先に、新たなる“スワローズ黄金時代”を見据えて──。


菊田康彦

1966年、静岡県生まれ。地方公務員、英会話講師などを経てメジャーリーグ日本語公式サイトの編集に携わった後、ライターとして独立。雑誌、ウェブなどさまざまな媒体に寄稿し、2004~08年は「スカパー!MLBライブ」、2016〜17年は「スポナビライブMLB」でコメンテイターも務めた。プロ野球は2010年から東京ヤクルトスワローズを取材。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』、編集協力に『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』などがある。