企業スポーツにおけるラグビー存続に貢献した、現実的な制度設計

バブル経済崩壊によって日本の企業スポーツは大きな傷を負った。例えば日本野球連盟(JABA)に加盟する実業団チームの数は1993年の「148」から2003年は「89」と急速に減った。有力チームの消滅が特に激しかったのは、1967年に日本リーグを発足させた男子バスケットボールだろう。20世紀のチャンピオンクラブは99-00シーズンの東芝(現川崎ブレイブサンダース)を除いて、6社中5社が活動を休止している。

Jリーグは横浜フリューゲルス、プロ野球も近鉄バファローズが「合併」という形で実質的に消滅した。しかしこういったメジャー競技のプロチームが負った傷は、実業団に比べると相対的に小さい。

企業スポーツにおける例外がラグビーだ。ジャパンラグビートップリーグを中心に、無傷に近い状態で今もチームが残っている。五郎丸歩選手が所属するヤマハ発動機のように、強化体制を一時的に縮小した例はあった。1980年代に7連覇を達成した新日鉄釜石も地域全体の支援を受けたクラブチーム「釜石シーウェイブス」に体制を変えている。

ただし有力チームが完全に「消えた」例はおそらく皆無だ。パナソニックはバドミントン、バスケットを廃部にしたものの、三洋電機にルーツを持つラグビーは外様ながらも残した。

ラグビーが生き残った大きな理由が、現実的な制度設計だ。ラグビー界は東日本、西日本の2リーグに分かれていたリーグ戦を統一し、2003-04年にトップリーグをスタートさせた。

バレー、バスケのようにプロ化の動きが混乱の引き金となったケースもある。しかしラグビーは「当該チームの親企業等との間に雇用・嘱託の契約関係があること」という選手登録の条件を設けて、プロと明確な一線を引いた。リーグ戦の興行権もチームでなく協会が保持しており、クラブの別法人化も要求されていない。

確かに選手、監督が全員9時5時で働く企業スポーツとは違うし、1980年代以前に日本体育協会やIOCが要求していた「アマチュア」の定義からは完全に逸脱している。しかし戦略的に実業団的要素を残した。

リーグ戦はホーム&アウェイでやった方が公平で、地域密着を考えればいいに決まっている。ただしトップリーグの方式ならセールス、試合の運営に関わるスタッフを会社が抱えなくていい。トップリーグは「手間と人手」を大きく減らした仕組みになっている。

「自前で使う」ほうが社内の理解を得やすい

企業の雇用形態は昭和と違って多様化しており、選手は「嘱託」として実質的にプロとしての待遇を得ている。もちろん正社員として競技と仕事のダブルキャリアを追求してもいい。「中途半端なプロ化」には違いないが、過渡期にはこれで良かった。

ITに例えれば「iモード」のようなものだろう。1999年にスタートしたこのサービスはブロードバンドやWi-Fiの整備が進んでいない時代に、限られた帯域を「やり繰り」する技術として傑出していた。短期間に大きな成功を収め、2000年代の市場を引っ張る存在となった。しかし2007年に市場へ投入されたiPhoneはより進んだ技術を前提に、そこに適応したパッケージを取り入れていた。結果としてiモードは市場からほぼ淘汰されている。

年間売上高が数億円のスモールクラブを「兆」に達する大企業のカルチャーと共存させることは難しい。決算書を作成する段階で「収入の費目をどうするか」というような調整、意思決定が必要になる。極論すると大企業は負担する額の大きさ以上に手間を嫌う。数千万円単位の中途半端なチケット収入は、むしろ「面倒なお金」として嫌われるという。「福利厚生の一環として支出する」形態にした方が、企業は割り切りやすかったはずだ。

トップリーグに参加するような大企業は自前の練習施設を持っている。ラグビーの教育性や好イメージがおそらく奏功して、このリーグはキヤノン、NTTコミュニケーションズ、NTTドコモ、サニックスといった新興勢力も呼び込めている。

キヤノンやNTTコミュニケーションズはトップリーグ昇格後に、Jリーグでも見ないような立派な練習場とクラブハウスを新設した。NTTコミュニケーションズの例を挙げればグラウンド用地として浦安市に購入した土地の入札価格だけで、34億7600万円に達している。大企業にとって、そのレベルの投資は経営を揺るがすようなものでない。加えて企業の資産としてバランスシートに計上できる。

トップチームの親会社は年間の運営資金として10億~15億円程度を確保しているという。親会社の負担額はJリーグやBリーグのトップクラブより大きいが、一方で支出をする前段階の「ハードル」が低い。前述の通り決算やバランスシートといった部分の都合もあるし、一般論として第三者にお金を渡すより「自前で使う」方が社内の理解は得やすい。

トップリーグの設立を主導した故・宿沢広朗氏は往年の名選手にして名監督だが、ビジネスマンとしても三井住友銀行の取締役まで昇り詰めた人物。2006年に55才で急死されたことは痛恨だが、ビジネス界の中枢を知る彼の配慮はトップリーグの維持発展を支えた。

日本経済は今も低迷し、例えばJリーグは中国や中東に経済力で太刀打ちできていない。しかしラグビーでは今も日本の大企業が南半球の選手を「爆買い」している。世界トップの指導者、選手に引っ張られて日本人選手の力量は上がったし、日本に定住してジャパンを目指す外国出身選手も増えた。それが2015年の南アフリカ撃破を支えた遠因になっている。

トップリーグの制度設計は、「2019年以後」も機能するか?

トップリーグの「iモード」的な仕組みは、間違いなくバブル後のサバイバルを支えた。日本は2019年にラグビーワールドカップの日本開催を控えており、そこまで熱は続くだろう。問題はそれが終わった後だ。

今季のトップリーグは「レッド」と「ホワイト」の2カンファレンス制で行われているが、現在レッドの2位に神戸製鋼、4位に東芝が入っている。神戸製鋼は性能データ改ざんというネガティブな話題で揺れている。東芝も不正会計、原発巨額損失問題により時価総額を大きく減らし、半導体事業の売却を強いられた。「重厚長大」の代表格と言える大企業でも、経営の根幹に関わる失態があれば経営は一気に揺らぐ。

昭和の大企業は巨大なレガシーを持ち、ラグビー界は間もなく平成30年という今もそこに依存している。脛をかじり続けられるなら、永遠にかじり続ければいい。「プロ」だけが方法論でないことはこの10年間が示す通りで、トップリーグは成功だったと断言できる。しかし変革の激しい社会においては一時の成功が、次の成功のブレーキになる。

トップリーグの制度設計も10年後、20年後に機能し続ける保証はない。筆者は「2019年以後」が気がかりだ。

スーパーラグビーへの参戦、ワールドカップに向けたスタジアム改修といった手は既に打たれた。ラグビーとビジネスのダブルキャリアを持つ有能な人材も多く、よりよい未来を創るための「材料」は揃っている。2020年をメドにリーグ戦をホーム&アウェイ方式に変える、運営主体を日本協会から独立させて一般社団法人化する、独立採算制の導入を促すといった施策も浮上している。

とはいえ大企業の一事業部としてプロスポーツを立ち上げ、成功させることは容易でない。日本のプロ野球を見てもプロパー職員の採用などで「親会社からの独立化」を意図した球団が経営的には成功している。端的に言えばトップリーグの運営主体は「親会社との信頼関係を保ちつつ、運営や決算の自由度も高める」という矛盾を解決する必要がある。

ラグビー界のビジョンもまだ見えてこない。現状を見ればラグビーファンは1980年前後のラグビーブームを経験した世代が中心だ。そういったコア層への依存は続けられないし、2019年から先の「夢」を若い競技者やファンに与える必要がある。

もちろんラグビーという競技の時代が変わっても変わらないカルチャー、価値はある。ただし社会が変わったら、そこに適応しないとサバイバルできない。日本のラグビー界はバブル崩壊や1995年のオープン化(プロ化)といった荒波を乗り越えてきた。しかしもう次に向けた「結論」を出すべき時だ。Jリーグにおける川淵三郎のような人間が、旗を振り始めなければいけない。

<了>

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大島和人

1976年に神奈川県で出生。育ちは埼玉で、東京都町田市在住。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れた。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経たものの、2010年から再びスポーツの世界に戻ってライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビーなどの現場に足を運び、取材は年300試合を超える。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることが一生の夢で、球技ライターを自称している。