不穏な空気に包まれた会場、全てを理解していたわけではない観客

スーパースターの負けを目の当たりにする時、特にそれが自国にとってレジェンドともいうべき選手だった場合には、瞬時に受け入れられないことがある。それがふがいないものであったり、予想外の展開であったりしたら、なおさらだろう。

9月8日、テニスの四大大会である全米オープン女子シングルス決勝で、大坂なおみがセリーナ・ウィリアムズを破り、日本人選手として初めて四大大会優勝を果たした。セリーナは大坂が子どもの時から憧れてきたスーパースターだ。

第1セットは大坂が6-2で先取。しかし、第2セットの途中から、会場は不穏な雰囲気に包まれた。劣勢になったセリーナは規則で禁止されているコーチからのアドバイスを受けたとして審判に警告された。その後、ラケットを地面に叩きつけて壊し、2度目の警告を受けて1ポイントを減点。ここで彼女はイライラを爆発させた。審判を「泥棒」呼ばわりして、激しく抗議し、ペナルティーとして1ゲームを失った。

会場内ではブーイングが起こり、騒然となった。あの日、コート上の開閉式の屋根は閉じていた。ブーイングとざわめきの声も行き場を失い、それが騒然とした雰囲気に拍車をかけた。

会場内の観客は、セリーナが負けてしまいそうであることと、3度の警告を与えた審判に対し、尋常ではない様子で抗議をしていることは分かったはずだ。しかし、静かな環境でテレビ中継を見ているのとは違い、大観衆のざわめきの中で、セリーナがどのような強い言葉で審判を責め立てているのか、なぜ、1ゲームを失ったのかを、全ての観客が理解していたわけではないだろう。

ブーイングは審判に向けたものだけでなく、審判に激しく詰め寄るセリーナへ向けたブーイングもあったのではないか。理路整然とした理由はなく、周囲につられてブーイングしていた人も交じっていたかもしれない。

(C)Getty Images

ファンの不満と混乱をどう収めるか

大会の主催者は、表彰式でファンの不満と混乱をソフトランディングさせる必要があった。

セリーナが劣勢からの巻き返しを図るために審判に激しく抗議し、意図的に異様な雰囲気を演出したのかどうかは分からない。しかし、彼女も負けが決まった後は、この雰囲気をどこかで反転させる必要があると感じたのだと思う。セリーナは自身の威厳を保つかのように、優勝者の大坂に寄り添った。
 
ファンも、メディアも、スーパースターの褒められない行為と負けは、華々しく勝った時と比べると取り扱いが難しい。大幅に横道に逸れるが、こんな研究結果を紹介したい。

米国では2002年のFIFAワールドカップの決勝トーナメント1回戦で米国-メキシコが対戦した時のテレビ実況を分析した研究がある(JOHN.P. McGUIRE and GREG G,ARMFIELD, TWO Nations, Two Networks ,One game )。研究の対象となったのは、同じ米国内のテレビ放送で、一方は英語放送、もう一方はメキシコ系米国人を対象にしたスペイン語放送だ。

記憶されている読者もいるかもしれないが、この時、米国はメキシコに2-0で勝った。米国側にしてみれば歴史的な勝利であり、メキシコ側にしてみれば、予想外の敗戦だった。米国側から試合を中継していたESPNは、勝利が近づきつつある試合終盤に入ると、分析的、説明的な実況よりも、歴史的な文脈での実況が増えた。一方、メキシコ側の視点から中継していたUnivisionは、負けが近づくにつれて、説明的、分析的な文脈の実況が増えたという。

この研究結果を、メディアやファンは経験的に知っている。スポーツで快挙が達成される時は、まず、歴史的にどれくらい価値があることなのかを伝える。なぜ、勝ったのかよりも、その価値を知らせることのほうが、優先される。価値が大きいほど、ファンの喜びも大きくなる。一方、期待していた選手やチームが負けた時は、「なぜ、こんなことになったのか」という理由を探したくなる。不満と怒りをソフトランディングさせるため、説明的で分析的な実況が求められる。説明は、試合後の選手にも求められる。

話を女子シングルスの決勝戦に戻す。
ソフトランディングを図った全米テニス協会会長のカトリーナ・アダムス氏は、表彰式に続いて、「セリーナは表彰台ですばらしいスポーツマンシップを見せてくれた」と声明を出した。だが、丸く収めるには、セリーナに寄りすぎていた感がある。

この大会のセリーナ・ウィリアムズには、母親になって初めての優勝を狙うというストーリーがあった。セリーナとファンだけではなく、大会そのものがその偉業を期待していたところもあるのではないか。米ESPN局のテレビ中継では、大会スポンサーのチェース銀行のCMが頻繁に流れた。CMの主人公はセリーナで、母親として娘の世話をした後で、トレーニングに出かけるというストーリーだ。

全米テニス協会は大坂の優勝を称えると同時に、大会の大看板だったセリーナの体面を守るような説明をする必要に迫られたのだろう。

また、セリーナは試合後の会見で、審判との応酬について「男子選手が抗議するのはよく見ているが、私は泥棒と言っただけで1ゲームを失った。性差別を感じる」とも説明した。性差別は決して軽視してはいけないが、この試合のセリーナの言葉や態度からは、「性差別」をキーワードに「説明」するのは論点が少々ずれていると私は感じた。数日後には、複数のメディアがこれまでの四大大会で男女別にペナルティーを受けた回数を数え、実際には男子のほうがペナルティーを受けている回数が多いと報じている。

あの日、観衆の感情をソフトランディングさせるのに最も効果的だったのは、全米テニス協会でも、セリーナの性差別からの説明でもなく、大坂の涙ぐんだ表情と「こんな終わり方になってごめんなさい」という言葉だったと思う。

(C)Getty Images

自己矛盾に陥った現地メディアの報道

商業的スポーツメディアにとって、一番よいのは、誰もが知っているスーパースター選手がケチのつけようのない形で歴史的な勝利を収めてくれることだ。知らない選手には関心を持ちにくいが、誰もが知っている選手には多くのファンがいて、その活躍をかみしめたいと思って、多くの人が記事を読んでくれる。そのほうが利益につながる。セリーナの負けは、これとは全く逆のパターンだったといえる。辛辣なニューヨークの新聞はどのように説明し、分析したのか。

試合翌日の米紙『ニューヨーク・ポスト』は「全米テニスが大坂選手にしたことは恥ずかしいことだ」というタイトルの記事を掲載。『ニューヨーク・デイリーニュース』も「セリーナ・ウィリアムズは全米オープンで審判を泥棒と呼んだ」という見出しで書いている。セリーナ・ウィリアムズの猛抗議と全米テニス協会の対応が大坂の勝利の瞬間にケチをつけたことを批判した。

しかし、米メディアもまた、大坂の勝利よりも、セリーナと全米オープンの対応に多くのスペースを割くという自己矛盾の状態にあった。ニューヨークの売店にあった『ニューヨーク・ポスト』、『ニューヨーク・デイリーニュース』はいずれも一面にセリーナの写真を使っていた。批判はしても、記事の中心はセリーナである。

もし、大坂なおみが米国の選手であったならば、米メディアは大坂の勝利をどう扱ったのだろうか。セリーナのイライラの爆発とその説明ではなく、大坂の快挙の方を歴史的なこととして大きく扱ったのだろうか。あくまで仮定の話なので、分からないけれども。

東京2020でも同様の問題は起きうる。考えるべき“ホスト国としてのあるべき姿”

(C)Getty Images

2020年は日本がオリンピック・パラリンピックのホスト国になる。ファンはもちろん、メディアもスポンサーも日本のスター選手たちが爽やかに活躍し、勝つことを期待しているだろう。しかし、スポーツは筋書き通りにはいかない。もしも、自国のスター選手が思いがけない負け方をした時、メディアとファンはどのような反応をするのか。

欧米のファンと比較するとおとなしいといわれる日本のファンが審判や相手選手に激しいブーイングを浴びせることはないかもしれないが、他国の勝者をただ素直に祝福することができず、結果としてその勝利にケチをつけてしまうことはあるかもしれない。

選手に肩入れするからスポーツはおもしろい。オリンピックやパラリンピックでは多くの人が自国の選手を応援する。しかし、時に、その肩入れは不満や怒りにもつながる。見る側も不満や怒りをコントロールするべきなのか。それとも、お金を払って観戦しているのだから、場内規則の範囲であれば、怒りの表現も自由なのか。今のうちに、選手だけでなく、運営する側、見る側、伝える側もスポーツマンシップを考えてみるのもいいかもしれない。

<了>

大坂なおみ、大躍進を支える“女王育成のレシピを知る者たち”

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谷口輝世子

著者プロフィール 谷口輝世子

スポーツライター。1971年生まれ。1994年にデイリースポーツに入社。1998年に米国に拠点を移し、メジャーリーグなどを取材。2001年からフリーランスとして活動。子どものスポーツからプロスポーツまでを独自の視点で取材。主な著書に『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)、『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』(生活書院)、章担当『運動部活動の理論と実践』(大修館書店)。