10年ぶりにパ・リーグを制した西武の「ミスター」

NPBはセ・リーグを制した広島カープに続き、埼玉西武ライオンズが10年ぶり22度目のパ・リーグ制覇を達成した。優勝が決まった9月30日、辻発彦監督に続いて胴上げされたのは、今シーズン限りでの現役引退を表明している松井稼頭央だった。1993年のドラフト3位で西武に入団し、走攻守そろった遊撃手として活躍。2004年にはMLBに活躍の場を移し、2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーしていたが、昨年限りで戦力外となり、テクニカルコーチ兼任の形で今年、西武に復帰。しかし好調を維持するチームの中で選手としての出場機会は限られ、年齢的な衰えもあって、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ決断を下した。そんな松井は、西武ファンの間では“ミスターレオ”と呼ばれている。ただし、正確には“二代目ミスターレオ”だ。

初代ミスターレオは、1980年のドラフト1位で西武に入団した石毛宏典氏。西武球団が設立されて間もない頃で、石毛氏はプロ1年目からレギュラーとして活躍。後に入団してくる秋山幸二氏、清原和博氏らとともに黄金時代を築いた。在籍期間中の通算安打数1803は球団史上1位の記録であり、キャプテンとして個性派の選手たちをまとめた功績は“ミスター”の称号にふさわしい。松井はプロ4年目にかつて石毛氏が着用していた背番号7を継承し、同じ応援歌が使用されるようになったこと、2002年にスイッチヒッターとして史上初のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を達成するなど中心として活躍したことによって、ミスターレオの称号も継承することになった。

パ・リーグの他のチームにも“ミスター”は存在する。今シーズン2位のソフトバンクは、南海→ダイエー→ソフトバンクと経営陣が何度か変わったが、「ホークス」という呼称は一貫して使用されているため、何人かの“ミスターホークス”がいる。南海時代では杉浦忠氏や門田博光氏の名前が挙げられる。杉浦氏はアンダースローの先駆者的存在で、通算187勝を挙げた名投手。門田氏は40歳の時に44本塁打125打点を記録するなど、長年にわたって長距離砲として活躍した強打者で、通算567本塁打、1678打点は、いずれも王貞治氏、野村克也氏に次ぐNPB歴代3位の記録だ。

ダイエー時代、ソフトバンク時代では、小久保裕紀氏、松中信彦氏が“ミスターホークス”と呼ばれている。小久保氏は1993年のドラフト2位(逆指名)でホークスに入団。2003年オフには球団首脳との確執が発端となり、無償トレードで読売ジャイアンツに移籍してファンに衝撃を与えたが、ホークスの親会社がダイエーからソフトバンクに移り、しがらみがなくなったこともあって2007年にはホークスに復帰。抜群のリーダーシップを発揮した。松中氏は「ダイエーホークス」最終年の2004年、元号が平成になってから初の三冠王に輝いた強打者だ。今年で平成が終わり、セ・リーグ、パ・リーグともに三冠王を獲得した選手がいなかったため、“平成唯一の三冠王”となった。ホークス一筋のキャリアを送り、2015年に現役を退いた。ちなみに、小久保氏がつけていた背番号9は現在、柳田悠岐が継承している。ここまでの活躍ぶりを見る限り、彼が“ミスターホークス”を拝命する可能性は――MLBなどに移籍しなければ――かなり高いと言える。

ミスターの誕生が待たれる球団は

北海道日本ハムファイターズでは、東京を本拠地としていた頃から北海道への移転直後にかけて活躍した田中幸雄氏が“ミスターファイターズ”と呼ばれている。1985年のドラフト3位で入団し、22年間、ファイターズ一筋のキャリアを送った。現役最終年の2007年には日本ハムの生え抜きとして初となる通算2000本安打を達成。長く背負った背番号6は、田中氏と入れ替わるように入団した中田翔が継承し、現在に至っている。

千葉ロッテマリーンズの場合は、ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズと名称が変わっているため、“ミスターロッテ”と呼ばれる。オリオンズ時代の有藤通世氏、そしてマリーンズ時代の初芝清氏がこれに該当する。有藤氏は1968年のドラフト1位で東京オリオンズに入団。球団は翌1969年から「ロッテオリオンズ」となり、有藤氏は1年目からレギュラーとして活躍した。1985年にはパ・リーグの大卒野手としては初となる通算2000本安打を達成し、翌1986年に引退すると、翌1987年からは監督に就任。選手・監督としてロッテの一筋のキャリアを送り、名実ともに“ミスターロッテ”となっている。一方の初芝氏は1988年のドラフト4位でロッテオリオンズに入団。1992年に球団名が「千葉ロッテマリーンズ」となった後も中軸を担い、2005年に引退するまで17年間、ロッテ一筋のキャリアを送った。ちなみに、有藤氏が着用した背番号8はその後、しばらく準永久欠番となり、千葉への本拠地移転後は今江敏晃(現東北楽天)が着用。現在は中村奨吾が継承している。一方、初芝氏が着けた背番号6も一時、欠番扱いに。2009年にこの番号を受け継ぎ、現役引退・即監督就任後もこの番号を着用しているのは、井口資仁監督だ。

オリックス・バファローズは、オリックスが阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブル-ウェーブと推移し、2004年に近鉄バファローズと合併して現球団名になるという複雑な歴史をたどっている。その中で“ミスター”の称号を得ているのは、“ミスターブレーブス” 長池徳士氏と“ミスターオリックス” 藤井康雄氏だろう。永池氏は1965年、記念すべき第1回のドラフトで阪急に1位指名され入団。14年にわたって阪急一筋でプレーし、不動の4番打者として活躍した。藤井氏は1986年のドラフト4位で阪急に入団。オリックスが球団を買収した1989年以降も在籍し続け、通算16年間にわたってプレーした。引退後はオリックスの二軍打撃コーチやスカウトを務め、2011年から2017年まではソフトバンクでコーチを務めていたが、今年からオリックスに復帰し、一軍打撃コーチを務めている。

最後は東北楽天だが、2005年に新規創設された球団ということもあり、誰もが認める“ミスターイーグルス”はまだ現れていないというのが実情だ。楽天一筋でプレーし、目覚ましい活躍をして現役を引退する選手が現れれば、その選手が“ミスター”の称号を得ることになるだろう。

こうして見ると、NPBの“ミスター”はセ・リーグ、パ・リーグとも野手が多い。毎試合、出場するためファンの目に触れる機会が多く、また様々な記録を積み上げやすいことが、“ミスター”が生まれやすい要因の一つだと思われる。次はNPBからJリーグへと舞台を移し、各クラブの“ミスター”を探ってみたい。

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池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。